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「認知症の人基本法」へ

コラム町永 俊雄

▲ 今年、京都ADIを引き継いで行われた世界の認知症当事者のフォーラム。フォーラムが終わって、立ち去りがたい聴衆に向かってなんども記念撮影に応じた。世界の認知症の人たちと共に、この世界を新時代に推し進めていこうという熱気溢れたフォーラムだった。その延長線上に間違いなく「認知症の人基本法」がある。

認知症の政策展開が急ピッチである。12月1日に公明党は認知症施策に関する提言を首相官邸で菅義偉官房長官に申し入れた。タイトルには「総合的な認知症施策の推進に向けた提言・認知症の当事者、家族に寄り添うために」とある。
この提言のために、公明党ではJDWG(日本認知症本人ワーキンググループ)、認知症の人と家族の会にヒアリングを行ったり、仙台の「オレンジドア」などの視察もし、現場の声を反映させたものとなっている。
全体は7つの項目となっている。

1. 認知症施策推進基本法(仮称)の制定
2. 本人視点
3. 介護者への視点
4. 地域づくり
5. 早期診断・早期対応など
6. 若年性認知症支援
7. 認知症研究の推進

全体は、これまでの認知症の当事者活動での発信を踏まえたものである。例えば「本人の視点」を冒頭部分に掲げ、「空白の期間」や社会参加、本人の意思決定といった本人発信で問いかけたことが盛り込まれている。新オレンジプラン以降の施策推進の方向性としては大きな意味があるだろう。
ただ、その肝心の「本人の視点」で改めて全体を読み下してみると、どの項目も「支援」の羅列なのである。これは「本人の視点」としては違和感を持たざるをえない。当事者が一貫して訴えてきたのは、認知症になると「医療」と「支援」の対象とされ、暮らしの中の自立と自己決定が奪われてしまうに等しいということだった。「支援」はともすれば心地よい善意の発動であるが、本人の視点からすると、どこかに人権の収奪として立ち現れる。「認知症と共に生きる時代」に、いつまで他者からの「支援」の対象としてしか認知症は語れないのだろうか。立法という政治過程に乗ると、どうしても本人以外の施策者が本人の視点を憶測を重ねて探り当てるしかない限界が見え隠れする。「本人の視点」をお題目でなく、どう実質化するのか。

もう一点、今回の提言にあるのが、認知症施策推進基本法(仮称)の制定である。
実は、こうした政策の動きに先立って、インフォーマルな認知症の当事者活動グループでは認知症の人と一緒になって「認知症の人の権利」や「認知症の人基本法」の提言を話し合ってきた。
基本法というのは、理念法である。この社会はどうあったらいいのか。人々の思いと理念をより合わせて、社会現実の方向と改変の力とする立法である。一部政党から「認知症対策基本法」と名づけた構想が聞こえてきた時、当事者グループは強い危機感を持った。「対策」であってはならないのである。誰もがなりうる時代と言われながら「対策」では、時代の潮流に逆行する。誰もがなりうる認知症だからこそ、認知症を超えて社会の成員全体を包摂する共生社会の理念を世に高々と掲げることができるのは、この「認知症の人基本法」しかない。

「認知症の人基本法」は、認知症の人の提言として世に問われるべきだ。議員立法というのは、国民の代表が策定するということ。私たちの意思を反映できる回路なのである。私も認知症の人も政策者も誰もが声を上げ、共にこの社会の理念を策定したい。
「五日市憲法」は、農民、地主、教員、集落の人々が討議と対話を重ね、人権を軸として近代日本の扉を押しあけようとした証だ。近代日本の黎明期に一瞬垣間見えた「市民社会」の光芒だった。市井の人々が語り合った奇跡のような希望だった。そのひそみにならえば、認知症の人と認知症になりうる私たち誰もが共に熱議を重ね、この「基本法」を作り上げていきたい。
持続可能な未来社会の扉を押し開く、認知症の人と私たちの「市民立法」とするための公論となるか。

*五日市憲法:明治初期、明治憲法の公布に先立ってあきる野市の五日市の市井の人々によって書かれた「民衆憲法」。基本的人権、自由に多くをあてた画期的な憲法草案とされる。

|第59回 2017.12.12|