夢の道場に気合が響く 〜高次脳機能障害を乗り越える〜三ツ山克郎さん・井子さん夫妻は30年前、東京都日野市に道場を備えた自宅を新築。道場で克郎さんがお弟子さんたちに古武道を教え広めていくことを井子さんも応援し、夫婦の夢を実現させてきました。
アメリカで生まれ育ったジェロさん(61)は、ミュージシャンとして30年前に来日。日本人の美佳さんと結婚し、大阪市天満で暮らしています。
この頃ことあるごとに耳にする「コロナ禍」という言葉に、私はどうも馴染めない。あれは、「新型コロナウイルスが・・」と、いちいち書き出す手間を省いたとか、新聞の見出しの字数スペースの倹約になるとかの説もあるらしいのだが、それ以上にあの「ころ・なか」というころころとした音韻の軽さと、そう言い切ってしまう言葉とその運用に杜撰と怠慢を感じてしまう。
この一年も締めくくりの時期だが、いまなお濁流のような進行形であり、とても総括など出来はしない。その中でただ惑い、イラだち、そして日々の向こうに透かし見るようにして何をコラムやSNSで発信したのか。
ことしも「認知症とともに生きるまち大賞」の表彰式と記念シンポジュームが開かれた。例年なら、受賞した全国の団体が集まり、表彰状を受け取る認知症当事者たちのとびきりの笑顔がはじけていたはずのイベントだ。
NHK Eテレ「ハートネットTV」で「認知症とともに生きるまちを行く」の二本を視聴した。タイトルにあるように、全体のテーマは「認知症とともに生きる」だろう。
正楽忠司さんが、若年性認知症と診断され5年前に亡くなった妻との日々を振り返ります。
フォーラム「超高齢社会を生きる ~フレイルを知って 備えて 暮らす~」(東京・立川市)
新型コロナウイルス感染症の流行が始まってから感染を防ぐために自宅で過ごす期間が多くなり、フレイル(心身の虚弱)が進行してしまう高齢者が増えています。
私の今の肩書は、一応「福祉ジャーナリスト」というものである。どこかエラそうに聞こえてしまう以上に気恥ずかしい。 だから、名刺を出しながら「福祉ジャーナリストのマチナガです」と思いきり反り返って自分から名のることは、まずない。
「語る」ことと「聴くこと」、これは認知症の当事者活動の核だけでなく、あらゆる市民的活動を推進させていく私たちの力でしょう。
うちの愛犬は15歳のトイプードルだ。はるかな老犬である。プードルという犬種はひたすらノーテンキなキャラクターで、陽気にまとわりついては愛玩犬の全ての要素を振りまくようにして私の日々に彩りを添えてくれた。
6年前に認知症と診断された中見川清秀さん(59)は病状が進行して、夜中に起きだして突然怒り出すといった興奮状態が1年ほど続きました。
アメリカテキサス州出身の岩田スーザン・リンさん(68)は、23歳の時に岩田長太郎さんと結婚し来日。奈良県天理市にある長太郎さんの実家で暮らし、3人の娘にも恵まれました。
第3回 認知症とともに生きるまち大賞受賞 さがみはら認知症サポーターネットワーク 認知症の人とサポーターをつなぐウィッシュカード
フォーラム超高齢社会を生きる in 仙台〜認知症の人の思いから始めるまちづくり〜
あえて、「認知症」を語らない。過剰に「認知症」を語ることは、「認知症」を問題化するだけだ。当たり前の認知症だから、語らない。認知症ではなく、切実な現実の「地域」をかたりあおう。
青森県八戸市内の県道沿いに、「無添加お弁当『二重まる』一番町」がオープンしました。二重まるが提供しているのは、共生型デイサービス(通所介護)。
台風19号の時、地域の避難所に現れたホームレスの男性を、避難所の担当者が「区民ではない」として断ったという事態が起きた。誰もが強い違和感をもったはずだ。
「認知症の人と家族」は、ほとんどいつもセットで語られる。どうしてなのだろう。家族なんだからか。認知症の当事者発信が盛んになる中で、家族の存在だって忘れていませんよ、ということなのだろうか。