「ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ」とは、ヘーゲルの「法の哲学」の中の一節である。初めてこの言葉に接した時は、詩的で映像的で、神話に託された不思議な世界観にただ魅せられた。
群馬発 長寿の未来フォーラム 人生100年時代への処方箋 〜最高齢化率の村に学ぶ“健やかな暮らしと生きがい”〜
今年の「認知症とともに生きるまち大賞」の表彰式とフォーラムを開催した。今年の「まち大賞」は、どれも不思議な活力がみなぎっていた。どの紹介映像にも、地域の人々の笑顔が輝いていた。
パラリンピックは、未曾有の感染爆発の中で、「やめたほうがいい」と示唆する専門家もいたが、なかば強行されるように開催された。
2021年3月14日、東京渋谷でフォーラムが開催され、インターネットでライブ配信されました。
朝の連続テレビ小説、「おかえりモネ」をついつい視てしまう。私にとって朝ドラというのは、朝刊、トースト、コーヒーとともに出てくるモーニングセットのような生活習慣で、いつもなんとはなしに見始める。
今年も「認知症とともに生きるまち大賞」の募集が始まった。去年に続き新型コロナウイルスの日々の中の募集である。緊急事態が解除されたとはいえ、不要不急の自粛や密の回避の中で、どうしてまちづくりなどができようか、そんな声も聞こえてくる。
認知症ケア学会が6月5日から始まった。その冒頭の特別講演をおおせつかった。どうやら、学会理事長の繁田雅弘さんの画策らしい。「あのマチナガに語らせちゃおうじゃないか」、たぶん、そんな感じだったのだろう。
「汗を流して畑仕事をするようになって、将来の不安が減ったような気がする」と郊外の貸し農園に来る高齢者が言ったという。渋谷で「超高齢社会を生きる」のオンラインフォーラムを開く。
福祉を語ることに皆さんはどんなイメージを持つだろうか。私が現役の頃、番組で「福祉を語る」というタイトルで各界の著名人にインタビューするコーナーを企画した。今から20年以上前の話だ。
石川県発オンラインフォーラム 超高齢社会を生きる ~コロナ禍で考える 認知症とともにあるまち~
このところの感染急拡大で、それまでの「これからはウィズコロナの時代だあ」などとノホホンとした楽観はどこかに霧散した感がある。
金沢で「認知症とともに生きるまち」と題してオンラインフォーラムを開く。このフォーラムの特色のひとつは、パネリストの誰もが、地域での「現場」を持っているということだろう。
NHK厚生文化事業団のディレクターのタカハシくんに取材され、「共生社会とはなんですか」と直球を投げてきた。知るか、そんなの。
NHK Eテレ「ハートネットTV」で「認知症とともに生きるまちを行く」の二本を視聴した。タイトルにあるように、全体のテーマは「認知症とともに生きる」だろう。
コロナの時代はこの世の中に何をもたらしたのか。施策や新しい生活様式など様々な側面が取りざたされているが、その騒擾を突き抜けて人心の底に横たわるのは、不安ではないだろうか。
フォーラム「超高齢社会を生きる ~フレイルを知って 備えて 暮らす~」(東京・立川市)
新型コロナウイルス感染症の流行が始まってから感染を防ぐために自宅で過ごす期間が多くなり、フレイル(心身の虚弱)が進行してしまう高齢者が増えています。
緊急事態が延長されることになった。これで閉じこもるようなステイホームがさらに続くことになる。これまで人との接触を避け、不要不急の外出を控えることで、なんとかこの事態の収束につながるようにとがんばってきた人々の中にも、糸が切れるように自粛疲れが出始めたのだろうか。
私は長くメディアの世界で過ごしてきて、幸いすぐれたスタッフ、仲間に囲まれて、多くの至らなさ失敗を重ねつつも、とりあえず、まあまあ、やりがいや手応えのある人生だったと思っている。