「ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ」とは、ヘーゲルの「法の哲学」の中の一節である。初めてこの言葉に接した時は、詩的で映像的で、神話に託された不思議な世界観にただ魅せられた。
今年の「認知症とともに生きるまち大賞」の表彰式とフォーラムを開催した。今年の「まち大賞」は、どれも不思議な活力がみなぎっていた。どの紹介映像にも、地域の人々の笑顔が輝いていた。
シゲタハウスで認知症を語り合った。参加したのは、東京慈恵会医科大学の繁田雅弘さんと慶應大学大学院教授の堀田聡子さん、今をときめく論客のおふたりである。
長谷川和夫さんが亡くなられた。敬虔なクリスチャンであったから、天に召されたというのがいいのかもしれない。自分の人生を生き抜き、その使命を果たして天に召されたと言うのが、いかにも先生の人格と生涯を語るふさわしさを感じる。
共感する力がこの社会を創ったというのは、長年、霊長類を研究し、そこから人間社会を洞察する京都大学総長だった山極寿一さんの論である。
がん患者だったその女性は、3年前に亡くなった。その人の物語を、先日の札幌でのガンフォーラムで紹介した。不思議な力に満ちた、そして深い想いがつながるような「物語」だった。
長く続いてきたコロナの事態も、収束の気配なのだろうか。人数制限などの規制緩和も進んで、経済を回して、ひょっとしたらリベンジ回復なのかという見方もある。
番組の冒頭は意表をつくような物語に満ちた映像から始まる。深海から一群の泡が湧き起こり、そこに「潜水服は蝶の夢を見る、という映画をご覧になったことがありますか」という静かな語りかけのナレーションがかさなる。
認知症の当事者発信を活発にしている人がしばしば経験することが、「あなたは認知症らしくない」と言われることだという。
丹野智文氏の近著「認知症の私から見える社会」は、どうやらこの社会に小さからぬ波紋を及ぼしているようだ。出版されてわずか半月ほどで増刷されたという。
丹野智文の新刊「認知症の私から見える社会」は間口が広々としている。読む側の立場によって、さまざまに受け止められ考えることができる。
パラリンピックは、未曾有の感染爆発の中で、「やめたほうがいい」と示唆する専門家もいたが、なかば強行されるように開催された。
福岡の小さな町のある朝、小学2年の子供が弟と、近所の小川に無造作に捨ててあった鉄パイプで遊んでいた。それは銀色に光り、少年と弟にとってはなんとも魅惑的な外観をしていたのだ。戦争が終わった翌年1946年の夏のことだった。
同窓会を開いた。同窓会といってもオンランで、集まったのは、全国各地で認知症の人と共にまちづくりの取り組みをしている人々である。しょっぱなから、画面の向こうでちぎれんほどに手を振って、わあ、きゃあの雰囲気になるのは同窓会ならではだ。
二回のワクチン接種が終わって二週間も過ぎた頃、すっかり足の遠のいていた行きつけの街のレストランに夫婦で行ってみた。普段は予約を入れないと席が取れない場合が多いのに、ランチタイムということもあったのか、すんなり席につく。
朝の連続テレビ小説、「おかえりモネ」をついつい視てしまう。私にとって朝ドラというのは、朝刊、トースト、コーヒーとともに出てくるモーニングセットのような生活習慣で、いつもなんとはなしに見始める。
オンラインでがんフォーラム「がんと生きる」を開いた。テーマは、「情報」である。がん患者にとっては、「情報」は第二の医療といわれるほど大きな意味を持つ。
今年も「認知症とともに生きるまち大賞」の募集が始まった。去年に続き新型コロナウイルスの日々の中の募集である。緊急事態が解除されたとはいえ、不要不急の自粛や密の回避の中で、どうしてまちづくりなどができようか、そんな声も聞こえてくる。
「認知症とともにあたりまえに生きていく」という最近出版された本を読んだ。認知症に関わる専門職たちが自身の実践を執筆し、それを編んだものだ。
認知症ケア学会が6月5日から始まった。その冒頭の特別講演をおおせつかった。どうやら、学会理事長の繁田雅弘さんの画策らしい。「あのマチナガに語らせちゃおうじゃないか」、たぶん、そんな感じだったのだろう。