認知症EYES独自視点のニュース解説とコラム
  • くらし

同窓会で 全国の「認知症とともに生きる町」の人たちが語り合う

コラム町永 俊雄

▲「まち大賞」第一回の同窓会。まずは試みとしてのパイロット版だったのだが、多くの皆さんが参集した。いずれ、地域づくり、まちづくりに関心ある人全てに開かれた語り合いの場に育てたい。

同窓会を開いた。
同窓会といってもオンラインで、集まったのは、全国各地で認知症の人と共にまちづくりの取り組みをしている人々である。しょっぱなから、画面の向こうでちぎれんほどに手を振って、わあ、きゃあの雰囲気になるのは同窓会ならではだ。

これはNHK厚生文化事業団とNHKが主催して毎年開催している「認知症とともに生きるまち大賞」の、これまでの受賞者の皆さんとの「同窓会」なのである。

なぜ同窓会なのか。
基本はシンプルで、同窓会ならではの、「今、あいつ、どうしてる」といった素朴な懐かしさの中に友を思う心情なのである。そしてとりわけ、このコロナの日々なのだから、そこに「元気でいるか」「困りごとはないか」という思いも重なっての同窓会だ。

もちろん、主催するNHK厚生文化事業団としては、この「まち大賞」の取り組みをネットワーク化することで、これからのまちづくりの発信拠点としたいという思惑がある。
受賞が終わりではなくそこから新たなスタートにもなり、そして継続するためにも他の受賞グループとも連携し(が、この同窓会でわかったことは、とっくに各グループが自発的に交流を始め、相互訪問をしているところがいくつもあった)、さらにはこれから取り組みを始めたいとする地域と、自分たちの経験を自由に話し合える場があった方がいい、というわけだ。

いわば、まちづくりの活動に行き交うさまざまな声の結節点としてのハブ機能、「まちづくりコンシェルジュ」といったものに発展させたいとしている。とは言っても、いきなり完成形を提示するのではなく、これこそ、当事者とともに育てていくわけだから、まずはその手始めとして、第一回の「同窓会」なのであった。

担当者が「同窓会しませんか」と声をかけたら、たちまち15の団体とグループが参加を表明した。もちろん、認知症の当事者が何人も張り切って参加している。
まずはそれぞれの自己紹介。各地でのこの日々での困難や工夫を語り、表彰式で登壇した認知症当事者も画面の向こうから手を振りながら語りかける。
オンラインだから、WiFiの状態か機材の関係からかうまくつながらず、途中からやっと参加したメンバーもいる。
なんとなく実際の同窓会でも、「ごめーん、遅れちゃったあ。渋滞だったのよお」とか言って駆け込んでくるクラスの人気者のような和やかさが、オンラインの画面に溢れる。

思えば、オンラインもあちこちで経験を重ねるごとにぎこちなさがこなれ、むしろ中心点がないフラットな新たなウエブ上の「人間関係」を育ててきたのかもしれない。

和やかであっても、それぞれの発言にはこの一年の現実の中の試練がにじむ。
コロナの日々に、こうした活動をしている人にとっては互いに会えないことが一番の困難だ。その中でのつながる意味については、さまざまな声が集まった。

新潟で、誰もが集まれる農業用ハウスが小さな共生社会という「まるごーと」を展開している岩崎典子さんはこう語った。
「コロナのせいにして、つながりが途切れたことを見過ごしてはいないでしょうか」
この指摘は、世間の痛点をついたというべきだろう。
この事態はもう一年半以上にわたる。緊急事態だというのに、都市の繁華街には人出があふれる。経済や人々の暮らしからすれば、すでに限界なのかもしれない。もはや、自粛をいくらお願いしても効果は限定的という声も出てている。

そんな中、「しょうがないよ、この事態だから」をいいわけに、つながりがあちこちで分断している。確かに「しょうがない」としか言いようがないのかもしれない。しかし、「しょうがない」と言える人はある意味では強者で、しょうがないとつぶやくことさえできない人々がいる。我慢できる人がいる一方で、ただ我慢させられ続ける人はこの事態に押し潰されていく。

同じつらさや困難の中にいてさえ、格差が生まれているのではないか。
渡辺典子さんが取り組む「まるごーと」とはそれこそ、障害のある人や認知症、引きこもりの人誰もがまるごと一緒というダイバーシティ、多様性の地域での取り組みだ。
だからこそ、コロナの事態であっても、そうした人々のライフラインである地域社会のつながりは途絶えさせるわけにはいかない。隣に同席しているマスクの認知症当事者が、大きくうなづく。

この言葉に触発されて、つながりの意味をめぐってさまざまに意見が行き交った。
「会わなくても、つながることができるはず」
そんなふうに切り出したのは、大阪門真市の認知症グループホームが中心になって地域住民を巻き込んでの綿花栽培から特産品につなげる取り組みをしてきた「ゆめ伴プロジェクト」の角脇知佳さんである。
会えないからこそ、直接のコミュニケーションではないつながりを作りたいと考える。困難が、新たなイノベーションを生み出すという発想だ。

こうした対話の続く中で、誰だったかこんな発言をした。
「なんか、できるんとちゃうか」

この発言は、スッと鮮やかに響いた。雑踏の中に、想い人を見たような感覚に捉えられて、思わず振り返りいつまでも探し求める時のような新鮮な感覚。
「なんか、できるんとちゃうか」
それはこの日々の困難の中で、どうしたら打開の道を探り当てられるのか、そんな語り合いの最中に発せられた。その人は、自分の取り組みを語り、その課題を語り、そしてちょっと間をおいて、それから自分に言い聞かすようにこの言葉を最後に加えたのだった。

「なんか、できるんとちゃうか」
持続する志。その言葉自体に前を向く向日の音韻がのせられていて、私はハッと気づいた。
そうか、まちづくりとは成果、結果だけではないのだ。こうした想い、志と言ったものが根付いていくことなのだ、と。
「これができる」、と言った明確な目標ではないからこそかえって、「何かができる」、そんな手応え、可能性に、今、気づいた。そんな生まれたての想いがその言葉に込められている。しなやかに発想が生まれる場、こうしたことが自由に言える場が大切なのだろう。

そして、ここでの対話はどこか地域社会の変革をうかがわせる言葉もかわされた。
横浜の昔ながらの六角橋商店街の高齢者や認知症の人と地元の神奈川大学の学生が交流を重ねてきた「オレンジプロジェクト」の原島隆行さんは、この事態で、大学当局から学生たちの地域活動が規制されているという。商店街の高齢者や認知症の人も寂しいですね、と聞くと、原島さんは「いや、学生がどうしているのかなって思ってね。講義もオンラインだし、コンパもできないらしいよ。みんな元気かな」

商店街の高齢者、認知症の人はもちろんだが、何より、ここにきてくれていた若い人たち、どうしているのだろう、そう案じるのである。

認知症とともに生きる、とはこういうことだ。認知症の人とともに生きるというのは、他者に対する想像力を備えるということなのである。そのようなことが、暮らしの中の実感としてしみじみと行き交う町が生まれてきている。
「認知症とともに生きる」とは、認知症の人のためにする取り組みではない。その取り組みを通じて、自分たちが、自分たちの町が変わっていくことなのである。

第一回の「同窓会」の二時間はあっという間に過ぎた。通常は、このあと二次会だよね。しかしそれはなくともまた会おう、互いにそう言い合いながら、誰もがオンラインから退出しがたいようでいつまでも画面に笑顔が映っていた。

オンラインに、認知症とともに生きる町が浮かんでいたひとときだった。

|第184回 2021.8.5|

この記事の認知症キーワード