長寿の未来フォーラム 家族と暮らす 〜認知症を“ともに”生きる社会へ〜
丹野智文を読み解く、といったことがこれから大切になるだろう。たとえば、彼が決まって使う「笑顔で生きる」であっても、そのソフトな言い回しと彼の人柄が反映して、聴く側もついニコニコと笑顔になってうなずく。
この稿を記している時点では、新型コロナウイルスの爆発的な第7波が続いていて、この先どうなるのか誰にも確かなことは言えない。
秋田で地域ミーティングを開いた。コロナの日々でどうしても停滞していた地域がこれからどう動くか。どうあったらいいのか。コロナに覆い隠されていた課題をどう見つめ直すか。
今年も第6回の「認知症とともに生きるまち大賞」の募集が始まっている。このコロナの事態が始まった2020年には、果たしてどれだけの応募があるかと気を揉んできたが、確かに応募数は以前に比べれば減ってはいる。
不動産会社の熱血営業マンとして働いていた松崎敏彦さん(46)は、11年前にギランバレー症候群を発症。体に麻痺が出て車いすの生活になり、さらにうつ病、若年性認知症と診断され、次々に病気を抱えることになりました。
NHK Eテレ ハートネットTVの「認知症の私に見える風景 下坂厚 49歳」を観た。京都在住の若年性アルツハイマー型認知症と診断された下坂厚さんの日常を、彼のSNSの写真とスケッチのような、つぶやきのような短詩を交えて描いたものだ。
以前ラジオ深夜便に出演したときに、ディレクターの佐治真規子氏から、「マチナガさんは、どうしてそんなに認知症に熱心なのですか」と直球を投げられて、随分と面食らったことがある。
認知症を考える時、私たちはまず「認知症とは」と語り始めます。認知症当事者は、「わたしは」と語ります。私はこの立場の違いの認識が重要だと思います。
大分県佐伯市内にある「在宅支援クリニックえがお」。訪問診療を行うクリニックですが、理事長の山内勇人医師が中心になってさまざまな地域活動を展開しています。
レビー小体型認知症と診断された山田初江さんと、夫の耕作さんの日々を紹介する3回目。
2013年にレビー型認知症と診断された小倉章造さんと妻の和代さんの日々を紹介する「お父さんありがとう」の2回目。
仕事部屋に、コトリ、春を置くようにひとつの雛人形を置いた。まことに小さな手のヒラにのる素朴な造作の土人形である。造り手がこねて彩色し、細く小さく眉目を引いた可憐なお顔をしている。
岩手県岩泉で一人暮らしをしている佐藤充博さんは、10年来のパーキンソン病で歩行障害や腰痛、全身の機能低下といったさまざまな不具合に悩まされ続けています。
このコラムも200回を超えた。第一回が2008年7月だからもう14年間続いているわけだ。コラムタイトルは認知症EYESだから、当然、認知症がテーマなのだが、200回を超えて描いたこの社会の認知症を改めて振り返ると、そこには大きな変化を見て取れる。
京都でオンラインのがんフォーラムを開いた。フォーラムのテーマのひとつが、がんの再発だった。国立がん研究センターが運営する公式サイト、「がん情報サービス」の「転移・再発」の項目を読むと不思議な感銘を覚える。
8年前にレビー型認知症の診断を受けた小倉章造さん(78)。徐々にパーキンソン症状が悪化して誤嚥性肺炎を繰り返すようになり、2021年12月、妻の和代さんは入院先の病院から「延命措置か看取りの段階に入った」と告げられました。
この国で新型コロナウイルスの感染症の第一例目が確認されたのは、2020年の1月15日だった。それから2年が経った。現時点で740日を超えたのである。あるいは千日を超えるかもしれない。
みなさんはどんな正月を過ごしたのだろう。正月というのは不思議な歳時記で、なんだかんだ言っても除夜の鐘が響き、新しい年になるとだれもが改まった気分になる。
「ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ」とは、ヘーゲルの「法の哲学」の中の一節である。初めてこの言葉に接した時は、詩的で映像的で、神話に託された不思議な世界観にただ魅せられた。