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長寿の未来フォーラム 家族と暮らす 〜認知症を“ともに”生きる社会へ〜

概要

ー 登壇者の皆さん〜本人の思い・家族の思い〜 ー

会場のパネリストと各地のパネリストをオンラインで結んで、パネルディスカッションを開催。認知症になった本人の思いと、介護する家族の葛藤について語り合いました。
徳島からリモート出演した山田耕作さんは、長年連れ添ってきた妻の初江さんが認知症を発症。耕作さんにとって最もショックだったのは、初江さんが耕作さんのことを認識できなくなったときだったと振り返ります。
「自分にとって大事な妻が僕を認識できていない。その事実にずしんと来ました」。
診療の現場で、家族が追い詰められていく状況を目の当たりにしてきた片山禎夫医師は「介護者の心をそばで支えてくれる人がいればいいのですが、なかなか見つからず、一人で抱え込んでしまいがちになる」と指摘。「その一方で、ご本人も家族の苦しみに心を痛めています」と話しました。(7:23)

ー はっちゃんと共に〜家族の一員として〜 ー

パネリストとしてリモート出演した山田耕作さんと妻の初江さんの日常を動画で紹介。
耕作さんは認知症の症状が進行した妻の初江さんを一度は施設に預けたものの、離れ離れで暮らすつらさに耐えかねて、自宅に連れ帰りました。
自宅に戻った初江さんは穏やかに過ごせる日もありますが、不穏になって耕作さんに暴言を浴びせることも。しかし一度離れたことで初江さんの大切さを再認識でき、どんな初江さんも受け入れられるようになったといいます。
一方、初江さんも自分の思いを少しずつ口にできるようになり、施設に入所する前に家族が良かれと思ってやってきた行動が、実は初江さんを傷つけてきたこともわかってきました。
「自分がしたいと思っているのに仕事をしないでいいと言われるのが嫌だった。『なぜ自分だけが』と思っていた」と初江さん。耕作さんと初江さんは試行錯誤しながら絆を深め、二人の時間を積み重ねています。(8:32)

ー 本人抜きに決めないで!〜すれ違いを防ぐために〜 ー

山田さん夫妻は、一度離れてみることで互いの存在の大切さに気づき、自分たちなりの生活を楽しめるようになりました。
「妻は認知症になってもちゃんと自己を持っている。自分自身があるがゆえに苦しんでいる」と、初江さんの気持ちを気遣う耕作さん。
パネリストとして参加した認知症当事者の藤田和子さんは、「介護者の目線ではなく、本人は本当はどうしたいのかを考えることが不可欠」と指摘します。
「お互いに言い合って折り合いを付けながら暮らしを作っていく作業を、認知症がある人とは特に丁寧に時間をかけてやっていく必要がある。どちらかが面倒くさいと投げ出してしまったら止まってしまいます」と藤田さん。そして「私は一人じゃない、私と一緒に生きてくれる人がいる。そう思えることが認知症の人が『よし!生きよう』と前を向ける力になります」と話してくれました。(7:10)

【2022年8月19日公開】

出演者

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片山 禎夫(かたやま さだお)さん

医療法人社団里慈会 片山内科クリニック 院長

1988年、広島大学大学院 博士課程修了。広島大学 医学部 第三内科 助手、広島大学 医学部内 講師、国立病院機構柳井病院(現 柳井医療センター)、国立病院機構広島西医療センター、川崎医科大学 神経内科 特任准教授などを経て、2015年に岡山県倉敷市で片山内科クリニックを開業。倉敷市認知症初期集中支援チーム、おかやま若年性認知症支援センター センター長を務める。『NHKスペシャル 認知症はなぜ見過ごされるのか ~医療体制の不備を問う~』、『チョイス@病気になったとき「認知症とわかったら」』出演。認知症ケア学会 理事、日本認知症学会 代議員。

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藤田 和子(ふじた かずこ)さん

一般社団法人 日本認知症本人ワーキンググループ 代表理事

1961年鳥取市生まれ。看護師として15年勤務。認知症の義母を9年間介護した経験を持つ。2007年に若年性アルツハイマー病と診断された後、地元の鳥取市で認知症の本人としての発信を始め、現在にいたる。鳥取市で、「認知症になってからも自分らしい暮らしを考えるサロン」や、本人同士がともに語り合う「本人ミーティング」、「おれんじドアとっとり」の本人相談員として活動。2020年に、厚生労働省から認知症の本人大使「希望大使」に任命され( 2022年1月再任) 、2021年6月には、鳥取市認知症本人大使「希望大使」に任命される。著書に、『認知症になってもだいじょうぶ!そんな社会を創っていこうよ』(徳間書店)。

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山田 耕作・初江(やまだ こうさく・はつえ)さん

徳島県徳島市在住。夫婦で美容室を二人三脚で経営してきた。2017年に妻の初江さんがレビー小体型認知症と診断され、以降約4年間、耕作さんのサポートを受けて自宅で暮らす。2020年頃から幻視や妄想などの症状が強く現れるようになり、翌年8月には耕作さんの心労も重なったことから、初江さんは介護施設への入所を余儀なくされた。しかし、妻がいなくなった強烈な寂しさと、初江さんの「帰りたい」という思いを受けて、耕作さんは2か月後に初江さんの退所を決意。再び自宅での暮らしを再開させた。現在も夫婦二人で“認知症とともにある暮らし”を続けている。

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堀 操(ほり みさお)さん

公益社団法人認知症の人と家族の会 広島県支部 若年認知症担当

広島県在住。父親と夫との3人暮らし。夫が40代後半で若年性認知症と診断される。夫も自身も不安だらけのなか、担当医の励ましの言葉や、夫の勤務先のサポートにより気持ちが救われる。その後、「陽溜まりの会(若年性認知症の人と家族のつどい) 」に参加し“仲間”と出会う。現在は看護小規模多機能型居宅介護、その他各種訪問サービスを利用。高齢の父親は、2019年と翌年の2度の骨折がきっかけで介護度が上がったが、デイサービス、ショートステイなどを利用しながら自宅で過ごしている。二人の介護は決して容易ではないが、多くの専門職の技術や知恵を借り、家族、親戚、友人、近隣の人に見守られながら“今、ここ”で暮らすことができている。介護者も様々な方とつながりを持ち、“ひとりではない”と思えることが大切なのかもしれないと感じている。

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竹中 庸子(たけなか ようこ)さん

特定非営利活動法人 もちもちの木 理事長

1992年にボランティア団体「レジャンティア」を結成後、特別養護老人ホームの開設に関わり、認知症の方の尊厳ある暮らしのあり方に課題を感じる。2001年「特定非営利活動法人 もちもちの木」を設立し、認知症の方の暮らしを支える活動を開始した。共に活動をしてきた夫ががんになり、3年余りの闘病生活の後、在宅で看取る。地域とともにある法人として、社会変化によって失われていく“家族機能を補うもの”を事業化。介護家族の離職を防止するための支援体制を構築し、地域住民と共に支える活動を行っている。世代間の価値観の対立があっても、人のつながりによって互いに尊厳を持った対話を続けることで認め合い、より良い関係を醸成できると臨んでいる。介護福祉士、認知症ケア専門士。20歳の時、突発性難聴を患い、それをきっかけとした進行性聴覚障がいがある。

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三宅 民夫(みやけ たみお)さん

アナウンサー 立命館大学産業社会学部 客員教授

1952年名古屋生まれ。75年NHK入局。岩手、京都勤務を経て、85年東京アナウンス室へ。『おはよう日本』『紅白歌合戦』など、さまざまな番組を進行。その後、日本のこれからを考える多人数討論を長年にわたり司会すると共に、『NHKスペシャル』キャスターとして、「戦後70年」や「深海」など大型シリーズも担ってきた。2017年NHKを卒業し、フリーに。現在は、NHKラジオ『三宅民夫のマイあさ!』(月~金・R1午前6:40~8:30)、総合テレビ『鶴瓶の家族に乾杯』の語りなどを務めている。著書に「言葉のチカラ」(NHK出版電子版)。

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