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防災放送は問いかける

コラム町永 俊雄

▲ 自治体の防災行政無線のスピーカー。地域を見守っているようでもあるし、存在自体が私たちに何かを問いかけているようでもある。

街に防災放送が響く。
「◯◯町にお住まいの79才の高齢者の行方がわからなくなっています」
文節ごとに区切ってワンワンと反響しながら郊外の住宅地にお知らせが流される。「見つけた方は積極的にお声をおかけください」
いつの頃からだろう。こんな風にくらしの風景に、この社会の超高齢社会の通告が響くようになったのは。伝えられる高齢者の服装や特徴を思い浮かべ、とりあえず書斎から身を乗り出し、前の公園のあたりを窺ってみたりする。
時間がたち思い出した頃に「行方がわからくなっていた方は、無事帰宅しました」街の防災放送が伝える。良かった。パソコンのキーの手を止めてスピーカーの声に耳を傾ける。警察に保護されたのだろうか。誰かが声をかけたのだろうか。ブツッというノイズを残してスピーカーの声が途切れた。
「ベンチで座り込んでいたところを通りかかった人に声をかけられ、帰宅することが出きました」とか、その辺の事情まで伝えてもいいのにな、そう思ったりする。

3月1日、NHKニュースは八王子での介護疲れの老夫婦の無理心中事件を伝えた。84歳の夫が、81歳の認知症の妻を絞殺し自分も自殺を図ったというものだ。一命をとりとめた夫は「ごめんなさい、もう限界です」とメモに残していたという。
NHKの調べでは、この6年間でいわゆる“介護殺人”は138件、約2週間に一件起きているという。こうしたニュースに接したときの感情は「怒り」だ。妻を殺害した夫に対する怒りも当然ある。が、同時にその夫は明日の自分かもしれないという恐怖に立ちすくむような感情が、怒りとなっている。被害加害ではなく、夫婦共に被害者として追い詰めたこの社会へのやり場のない怒りがある。
私達は明日の自分達を裏切っている。行方不明の高齢者の通報を受け、防災無線のマイクに向かう担当者の切ない思いを裏切っている。そんな怒りと言ってもいい。“介護殺人”を特集した番組の反響で最も多かったのは「考えさせられた」であったという。「考えさせられた」という体のいい思考停止でいいのだろうか。

国は地域包括ケアシステムの強化のための介護保険法改正案を出している。そこには新たに日常的な医療を要する「重介護者の受け入れ」と「生活施設」の機能を兼ねた「介護医療院」の創設だとか、地域包括ケアシステムを更に進化させるための「我が事丸ごと」の地域共生社会が提案されている。しかし、「地域」は制度で出来るわけではない。住民一人ひとりが自分のこととして地域に踏み出すしか、この少子超高齢社会の未来の扉は開かない。
 “介護殺人”の当事者に誰が声をかけたのだろうか。追い詰められる前に相談するところがなかったのだろうか。
地域の中であたりまえのように、つながり声をかけていく「覚悟」が地域を創る。あたりまえのことなのである。地域を創るのに「奇策」はない。
防災放送は、又わたしたちに問いかけるだろう。
「見つけた方は積極的に声をおかけください」
私たちは自分たちの明日を裏切る訳にはいかない。

|第41回 2017.3.17|

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