いよいよゴールデンウイーク突入だ。一年で一番いい季節とされる5月、まさにゴールデンウイーク、黄金週間である。しかし、私の属していた公共放送では、ゴールデンウイークとは言わない。大型連休ということになっている。
みなさんこんにちは、今ご紹介いただいたマチナガです。えーと、私はおわかりのように医者ではないし、介護職でもありません。たまたまメディアの世界で認知症というテーマに向き合ってきた立場です。
NHK Eテレのハートネットテレビに「フクチッチ」という番組がある。そのコンセプトは、「福祉の知識をイチから楽しく学べます!」という教養バラエティなのだそうだ。
丹野智文さんをモデルとした映画「オレンジ・ランプ」の初号試写会に参加した。初号試写とは、編集が終わったネガから焼き付けられた最初のプリントを見ることで、スタッフや関係者の試写会である。
コロナの日々もどうやらひと区切りの気分だ。こんな時こそ自分自身を振り返りたい。しかも俯瞰的に。いや、そんなに難しいことではない。画用紙に一気にぐいっと我が人生の曲線を描いてみる。
愛知県豊田市にある高齢者のデイサービスの事業所を拠点にして、オンラインでの「交流タウンイベント・認知症とともに生きるまちづくり」を開催した。
いよいよ、マスクの着用が緩和される。そのマスクの着用について、こんな見解が報道された。「マスクを着用しなくてもよいこととすることも考慮されうる」
コロナの日々で変わったことのひとつに、オンラインの定着があります。当初は、対面でなければ互いの心情の機微がわからなくて、随分とギクシャクしたところもあったのですが、今ではすっかり馴染んでWEB上でのコミュニティの形成となっています。
山本周五郎に「ちいさこべ」というすがすがしい作品がある。舞台は江戸神田。大火で親もろとも、大工の老舗「大留」の一切合財を失った若棟梁、茂次が主人公だ。まっすぐな気性の茂次にとっては親を失うと同時に、老舗の再建が年若い自分にのしかかる。
サードプレイスという言葉がある。直訳すれば第三の場所、ということになるが、ま、何も難しい概念ではない。家庭や職場以外の第三の心地よい居場所がサードプレイスである。
1月21日に三鷹駅前コミュニティーセンターで、認知症当事者勉強会が開かれた。会場は、まさにコミュティ、地域のためのセンターで、ここでは男性の料理教室や子どもたちが参加するイベントやコーラスなどの練習に使われていて、私が勉強会に訪れたときにもボイス・トレーニングの講習などが開かれて参加者の女性陣がにぎやかに集まっていた。
成人が18歳からとなって初めての成人式が行われた。とはいっても、「20歳を祝う会」とするところも多く、18歳の成人式というのは少なかった。
みなさん、明けましておめでとうございます。本年も、良い年になりますように。例年の決まり文句である。でも、決まり文句というのは、ある意味で長い歳月の中で洗い晒されて生き残った言葉だから、なにかの言霊を宿しているに違いない。
2022年の「認知症とともに生きるまち大賞」が決定した。コロナ禍の中、今年の応募団体はこれまでになく少なかった。今年の受賞は4団体だ。しかし、その応募内容を知るほどに、ここには「ともに生きる」社会への本質的な問い直しが込められている。地域とは何か。
今年もNHK厚生文化事業団の「認知症とともに生きるまち大賞」の受賞団体が決まった。その詳細はNHK厚生文化事業団のHPに掲載されており、またNHK Eテレのハートネットテレビでも放送の予定なので、全体はそちらに譲るとして、このコラムでは、このコロナの事態に改めてこの「まち大賞」が何を問いかけ、何を引き受けようとしているのかを見つめてみたい。
新型コロナウイルスもまた新たな感染拡大の懸念も言われ、師走となって気ぜわしい中でただ気分だけが右往左往している。ここで深呼吸するようにして、さてこれからのこの社会をどうすればいいのか。
秋が日毎に深まって庭の木々の葉が散っていく。ふと、「認知症学」といったものを提唱できないだろうか、そんなふうに思ったりする。
「桜色の風が咲く」という映画を観た。9才で失明、18才で聴力を失った盲ろうの大学教授の福島智さんと、ひたすらに彼を支えともに生きたその母・令子さんとの実話をもとにした物語である。
11月3日の文化の日、八王子で「懐かしい未来」を語り合うような、そんなイベントが開かれた。これまでの未来社会といえば、20世紀の科学主義の中、ロボットと空飛ぶ自動車と空中都市といった風に常に新奇なもの、まだ見ぬもので描かれた科学の想像図でしかなかった。
最近、「認知症のある人」という書き方をすることがある。もちろん、「認知症の人」と記すことも多い。どちらかに決めているわけではない。