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ワニの腕立て伏せ

コラム町永 俊雄

「あのね、とてつもなく役に立たないという本を出す、というのはどうよ」
「は?」眼鏡の奥の怜悧な眼差しがキラリと光って、その女性編集者はボールペンでトントンとテーブルを叩いた。
(あーたね、なにをタワゴトを言っているの。役に立たない本を出してどうするのよ。私も忙しいんだからね)
「というようなことを今、貴女は思ったでしょ。そこなんだな。貴女のような福祉専門出版は、最初から実用性とか情報性といったことを思い浮かべるのだね。でも、『福祉』というのはそもそも、実用性とか情報性から一番遠いところにあるべきなんじゃないかね。実用性といった功利性に縛られるから今、『福祉』は息も絶え絶えなのだよ。書店に行くと平積みになった実用書の多くは『こうすれば良くなる』といったたぐいの本ばかりだ。それって読み替えると、『アータの今はダメだから、こうしたほうが良くなる』その秘訣、極意、近道といった本ばかりだ。だれでも『だからあんたはダメなんだ』と言われたら、思い当たるところもあるし、ズキッとするわけ。でもね、そうして自己否定の上に何かをいくら積み上げても、その土台の自分は否定されているんだから、いっときその気になってもその場だけの変化なのだ。『福祉』というのは、違う。自分の奥深くを覗きこんで、その自分の確かなところから出発する道筋だ。だからつらく困難で、挫折や失敗もする。でも、その挫折や失敗こそが福祉の糧なのだ。だから人とつながる。弱音を吐ける場を求める。失敗してもやり直せる社会に組み直す。役に立つという実用性が役に立たないのが『福祉』であるべきなのだ」
「あのう、おっしゃってることが、よくわからないんですが」
「ウン、実は私も自分の言っていることがよくわからない。でもね、誰もが自分に何かの力があるはずなのだ。その力はただ強いだけではないから、失敗したり落ち込んだりする。でもそれを皆何とか自分ですくい上げたり、誰かの助けを得たり、誰かの笑顔で支えられたりして、あたりまえで、かけがえのない毎日を過ごしているのだ。その連続が『暮らす』ということなのだと、私は思う。否定されない自分がいる、ということから出発しようじゃないか、そんな本を出そうじゃないの」
「新しい福祉の本になるかしら」
「というか、これってずっと以前から言われてきたことなんだ。だって、認知症の人がずっと訴えてきただろ。『私はなにも出来ない人ではない。私にはできることがたくさんある』 それって今や、この社会全体の生活者のメッセージなのだ。私には私の力があり、やれることがあり、やることが出来る。そうした一人ひとりがつながるのが『共生社会』というものである、とね」
「タイトルはどうしましょう」
「それはね『ワニの腕立て伏せ』、これしかない」

とまあ、こんなやりとりがあって、このほど「ワニの腕立て伏せ」という本を出した。タイトルがわからないって? ウーム、それは本を手にとってもらうしかない。
実はここには私の考える「認知症」の、この時点の集大成を込めたつもりでもあるのです。

| 第15回 2014.10.30 |

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