「認知症の施設は大丈夫なのかっ」
東日本大震災が起きて放送はすぐさま災害放送に切り替わった。私たち福祉番組班はとりわけ災害時要支援者、災害弱者を対象に情報を集めた。が、あまりの甚大被害に情報が入らない。自治体も関係機関も機能を停止状態だ。
携帯のメールの振動音がひっきりなしだ。グループホームのネットワークが情報の確認に悲鳴のようにメールを交わしている。
「連絡がつかない」携帯を握りしめ、最悪の事態か、と一瞬呆然とする。薄暗い部屋の中でまずは情報の確認だ。この時に痛感したのが当事者や、関係者のネットワークの強みだ。情報からの孤立はそのまま支援からの断絶になる。
ネットワークをたぐり寄せるようにして連絡がついたところから、番組のなかで電話をつなぎ、話を聞く。
話を聞いたのは仙台市若林区でグループホームを運営する蓬田隆子さん。
認知症フォーラムにも何回か参加してもらっている。被害に息を呑む。二棟あるグループホームの一棟が津波で全壊。スタッフの献身的な力でなんとか、なんとか持ちこたえている、と言う。持ちこたえている、という事態は直ちに支援がなければ崩壊する、ということでもある。どこもがそういう中をくぐりぬけた。
が、このグループホームの被害の実態は、その後取材スタッフが現地に入ってさらに明らかになっていった。避難のさなか認知症の7人が津波にさらわれ犠牲となる。施設スタッフは悲しみを自分の心に押し込め、悲しむ余裕もなく運営したのだ。
「こんな大変な目にあったのだから、とにかく休息してもらいたかった」
蓬田さんは、高齢者を前にしてまずそう思った。
が、違った。二棟の利用者を一棟に集め暮らし始めるとその環境の変化が大きく認知症の高齢者にのしかかった。穏やかだった人が暴言を吐き、誰もの顔に不安が張り付いたままだ。どうしよう。蓬田さんたちは話し合った。何もやることがないのがかえっていけないのではないか。役割を持ってもらおう。
グループホームでの作業にまた加わってもらった。配膳や布巾の整理、誰もが活き活きとしてきた。庭に出てお茶を飲む。ニコニコと笑みが溢れる。
蓬田さんは涙の中、しぼり出すように語った。
「認知症の人は大きな力を持っている。それに教えられ助けられた。感謝しています。亡くなった人のためにも、認知症の人と一緒に誰もが安心して暮らせる地域を作っていかなければ…」
ぎりぎりの状況のなかで蓬田さんは改めて二つのことを確認したのだ。
認知症の人はなにもわからない人ではない。いやむしろ地域で大きな役割を持っている。
そして、認知症の人が活き活きと暮らせる、そんな当たり前の地域が安心のためのしなやかで強靭な社会の再生につながるという、その二つのことを。
大震災で、私たちはこの社会のありようを根本から考えなおそうとしている。そのためにどうするのか。テーマはあまりに大きく身の丈を超えている。しかしだからこそ、認知症を取り巻く地域と暮らしの取り組み、物語を見つめたい。それは安心と安全のための確かな道筋につながる。
| 第9回 2011.6.24 |