▲ 駐日イギリス大使公邸でのスコットランドのスティーブン・リスゴー氏の講演。スクリーンには「認知症は誰もが関わること」と、いつもの標語から講演が始まった。
2月15日、シャンデリア輝く東京の英国大使館公邸で「日本・スコットランド認知症セミナー」が開かれた。これはスコットランド国際開発庁と東京都の間で認知症に関わる相互研究の覚書が交された事による。
大使公邸だから、普段私たちが、勉強会、研究会をやっている会場とはかなり趣が違う。マントルピースにエリザベス女王の肖像画である。町田でデイケアの「DAYS BLG!」に取り組む前田隆行さんもスーツにネクタイをしている。前田さんのネクタイ姿は初めてだぞ。仙台からは丹野智文さん達が来ているし、大牟田市の大谷るみ子さん達、全国から認知症に関わる人びとが一堂に会した。
スコットランドからは、認知症、老年学をリードするスターリング大学の研究者が、グラスゴーからは当地の認知症戦略の責任者で日本の認知症当事者や研究者との交流もあるスティーブン・リスゴー氏などが顔を見せている。
セミナーでは日本とスコットランドの研究者がそれぞれ講演をした。そのテーマが「認知症とともに暮らせる社会・ディメンシア フレンドリー コミュニティ」である。スコットランドは世界で初めて国連障害者権利条約に拠る「権利に基づくアプローチ」を認知症施策に取り入れた。だから当事者の施策への参画、様々な認知症の制度も全て「権利に基づくアプローチ」との整合性が問われるのである。
さて、この人権、そして権利をどう捉えるか。認知症施策と権利。これは正直、なかなか日本の風土にはなじまないのではないかと思っていた。この社会では「権利を声高に叫ぶ」だとか「人権派」といった表現や括り方自体に、「正義」を振りかざす硬直した原理主義的な匂いを感じ取る向きがないとはいえない。
ただ、スコットランドの研究者の講演を次々に聞くと、印象は変わった。どの講演も、まずポリシーとして「権利に基づくアプローチ」を掲げる。アタリマエのことなのである。同席した仙台の山崎英樹医師は「権利って英語ではRIGHT、正しいってことです。ある弁護士の話では、この言葉が日本に入ってきたときに福沢諭吉はこれを「当然」と訳したそうです」と言ったエピソードを披露してくれた。権利とは、あったりまえのことなのである。
日本では「デメンシア フレンドリーコミュニティ・認知症にやさしい社会」である。やさしい社会、どうもね、甘口の情緒が最初に響く。ハイハイ、そうですね、そうなるといいですね、といった感じか。他人事である。
スコットランドではその捉え方はこうだ。「認知症にやさしい社会」、それは、「認知症とともに生きる当事者と家族の、人権を尊重する社会をつくるメッセージである」としている。どうだろうか。ここにはくらしの中に「権利」が生きている感じがする。
なぜ、日本の社会では「権利」が生活の感覚になじまないのだろうか。「権利」というと、固定したある種の正義の権威をまとった観念の言葉、というイメージがつきまとう。私はそれはつまるところ、私たちの側の「市民性」が希薄なのだと思っている。「権利」を獲得した記憶を、残念ながら私たちの多くは持っていない。私たちはこの社会や福祉をいつも「誰かがやってくれること」としてきた。しかし、「市民社会」を私たちの手で作り上げようとするとき、その一番の確かな力が、権利、人権なのである。遅まきながら私たちは私達の未来として「認知症社会」を作り上げなければならない。
「認知症にやさしい社会」それは、その背後に「人権」「権利」が微笑んでいる社会だと思う。
▲ 講演をした認知症当事者の丹野智文氏(右)と仙台からのチームの人びと。左から町永氏、石原哲郎氏、山崎英樹氏。大使公邸にて。
|第39回 2017.2.23|