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スコットランドの認知症の人が問うたこと

コラム町永 俊雄

▲ スコットランドで丹野智文さんは、スチュワートと出会った。当事者ならではなのか、会ってたちまち百年の知己となった。彼の語る話に思わず顔を覆う丹野さんと、肩に手を置くスチュワート(写真下段右)。そのスチュワートが2月初め、亡くなった。改めて彼の声を聴こう。(NHK ETV特集の映像より)

2月15日に報じられた警察庁のまとめによれば、去年一年間で、運転免許更新時などに認知機能検査を受けた75歳以上の高齢者で、交通死亡事故を起こしたのは385人で、うち49%となる189人が認知症の恐れがあるか、認知機能低下の恐れがあると判定されていた。つまり、75歳以上の高齢者で交通死亡事故を起こした二人に一人が、認知症の恐れ、ないしは認知機能の低下をきたしているということなのである。対策としては免許の自主返納を進めていくとある。

各社の記事とも警察庁の発表をデータとともに冷静に無機的に記すだけで、読んだ限り、論評はない。すでに私たちの社会の向き合う課題としては確立しているというわけだ。
確かに今後、さらに認知症の人が増えるのは自明のことだから、この課題を避けて通るわけにはいかない。本人や家族のためにも、どう対応すべきか選択しなければならない。そのことに異論はない。ただその前に、この課題を契機として、一旦深呼吸するように私たちの社会自体について、もう少し考えることはありはしないだろうか。

この発表の少し前の2月の初め、スコットランドのスチュワート・ブラックさんが亡くなったという報が届いた。すぐに仙台の丹野智文さんからもメールが来た。「悲しいけれど、たくさんの言葉と思い出をもらった事、スチュワートとの出会いに感謝しかありません」 悲痛な響きが伝わる。
スチュワート・ブラックさんといってもご存知ない人の方が多いだろう。私も会ったことはない。ただ、日本の認知症の人や認知症に関わる人にとっては大切な友人である。

スチュワートの存在が強く印象づけられたのは、去年1月にNHK・ETV特集「認知症とともによく生きる旅へ 丹野智文42歳」でだった。スコットランドへの旅で当事者同士として丹野さんはスチュワートと会った。ともに大の車好き。スチュワートは愛車のランドローバーを丹野さんに自慢する。
「いいなあ」、そういう丹野さんは車の運転は諦めている。スチュワートは免許更新の試験を控えていた。落ちれば運転できない。
番組ではここから息詰まるようなインタビューがノーカットで続く。
「運転できなくなったらあなたの人生は損なわれるのか」、スチュワートの重い沈黙があり、ためらいがあり、言い澱みがあり、そして彼は言葉を押し出すように、自分の胸をこぶしで叩きながらこう絞り出す。
「魂がもぎ取られるようだ」 
かろうじて声になったこのスチュワートの一言は、痛切の「叫び」として轟き、隣で無言で聴いていた丹野智文は、ただただ、こみ上げる嗚咽を抑えきれない。

私はここで何かを結論的に引き出そうとは思わない。認知症の人の運転を認めろなどということではなく、運転免許の課題をはるかに超えて、スチュワートの「叫び」からの問いをこの社会はどう受け止めるのだろう。「認知症の恐れ」という他者のまなざしでしかこの課題は語れないのか。「生産のまなざし」で見るだけでなく、切ない「喪失のまなざし」との交点にしか、この超高齢社会を描くことはできない。若く健康で明るい人々だけが語る共生社会ではなく、喪失からのまなざしと交差させ立ちあげる共生社会の方が、陰影深く豊かになるのではないだろうか。

番組での丹野智文さんは、涙を振り払い、新たな決意を語った。

「認知症になっても、今までと違っても、少しずつ少しずつ工夫をしながら、新しい人生を続けることができるのではないかなって感じています」

スチュワート・ブラック。
私たちは、あなたと共にある。

|第64回 2018.2.20|

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