総人口に対して65歳以上の高齢者人口が占める割合を高齢化率といい、世界保健機構(WHO)や国連の定義によると、高齢化率が7%を超えた社会を「高齢化社会」、14%を超えた社会を「高齢社会」、21%を超えた社会を「超高齢社会」という。
平均寿命が長くなり、少子化が進むにつれ、社会の中で高齢者の占める割合が増え、将来に向けて大きな課題となっている。
【参考】内閣府ホームページ
こうれいかしゃかい
総人口に対して65歳以上の高齢者人口が占める割合を高齢化率といい、世界保健機構(WHO)や国連の定義によると、高齢化率が7%を超えた社会を「高齢化社会」、14%を超えた社会を「高齢社会」、21%を超えた社会を「超高齢社会」という。
平均寿命が長くなり、少子化が進むにつれ、社会の中で高齢者の占める割合が増え、将来に向けて大きな課題となっている。
【参考】内閣府ホームページ
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さて、ここからは、いよいよ「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」を読み解いていきます。ただその前にお断りしたいことがあります。
先日、横浜で地域医療をテーマに対談をした。対談相手は、横浜港南区で「つながるクリニック」というなんともぬくもりのある名称の医療法人院長の八森淳さんだ。
広島県の庄原で「認知症講座」に参加してきた。庄原市は、広島県の一番奥、北に鳥取、島根に接し、山に囲まれた近畿以西では最も広大な地域である。広島空港から車でも1時間半近くかかる。
認知症が進行したゆみ子さんの日常を通して、「介護のあるべき姿」を考えるシリーズの2回目です。
上高地に行ってきた。8月のカレンダーも最後だから、そろそろ日本随一の山岳リゾートも息づくようにして季節が移ろうとしているに違いない。台風も一休みのこの時期を逃してなるものか。
岩手県大船渡市末崎町の「ハネウェル居場所ハウス」は、東日本大震災から2年後の2013年に開設。津波による大きな被害を受けたこの地で10年にわたって、文字通り地域住民の居場所の役割を果たしてきました。
八月も半ばを越そうとしているが、実はこの稿を記しているのはお盆の最中で、私の育った東京の下町では、お盆にはどこの家庭でも迎え火、送り火をしていた。
先日、岩手県八幡平で認知症シンポジウムに参加してきた。東北も暑かった。「会場の八幡平の体育館には冷房がないのです」と、主催の市の担当者や地域包括の人が恐縮しながらあちこちに大きな業務用の扇風機を備え、至る所に飲み物のペットボトルが置かれて、そうしてシンポジウムが開催された。
秋田県の社会福祉会館で「地域ミーティング」を開いた。去年に続いて2回目である。コロナの日々の真っ最中だった去年、地域で何ができるか、まずはそこに住む人々の声を聴こう、去年開催した1回目は、そんな原点に立ち帰るような地域ミーティングで、大きな手応えがあった。
このところ、騒然と言った感じで論じられているのが、チャットGPTである。生成AIとも対話型GPTとかいろいろ言われていてよくわからない。そのわからなさがまた、どこか説明のつかない不安にからみとられる。
コロナの日々もどうやらひと区切りの気分だ。こんな時こそ自分自身を振り返りたい。しかも俯瞰的に。いや、そんなに難しいことではない。画用紙に一気にぐいっと我が人生の曲線を描いてみる。
山本周五郎に「ちいさこべ」というすがすがしい作品がある。舞台は江戸神田。大火で親もろとも、大工の老舗「大留」の一切合財を失った若棟梁、茂次が主人公だ。まっすぐな気性の茂次にとっては親を失うと同時に、老舗の再建が年若い自分にのしかかる。
成人が18歳からとなって初めての成人式が行われた。とはいっても、「20歳を祝う会」とするところも多く、18歳の成人式というのは少なかった。
長寿の未来フォーラム 記憶の見方が変わる 〜高齢者心理と認知症治療からひも解く〜
みなさん、明けましておめでとうございます。本年も、良い年になりますように。例年の決まり文句である。でも、決まり文句というのは、ある意味で長い歳月の中で洗い晒されて生き残った言葉だから、なにかの言霊を宿しているに違いない。
今年もNHK厚生文化事業団の「認知症とともに生きるまち大賞」の受賞団体が決まった。その詳細はNHK厚生文化事業団のHPに掲載されており、またNHK Eテレのハートネットテレビでも放送の予定なので、全体はそちらに譲るとして、このコラムでは、このコロナの事態に改めてこの「まち大賞」が何を問いかけ、何を引き受けようとしているのかを見つめてみたい。
新型コロナウイルスもまた新たな感染拡大の懸念も言われ、師走となって気ぜわしい中でただ気分だけが右往左往している。ここで深呼吸するようにして、さてこれからのこの社会をどうすればいいのか。
秋が日毎に深まって庭の木々の葉が散っていく。ふと、「認知症学」といったものを提唱できないだろうか、そんなふうに思ったりする。
11月3日の文化の日、八王子で「懐かしい未来」を語り合うような、そんなイベントが開かれた。これまでの未来社会といえば、20世紀の科学主義の中、ロボットと空飛ぶ自動車と空中都市といった風に常に新奇なもの、まだ見ぬもので描かれた科学の想像図でしかなかった。
「マチナガさん、確か以前に認知症革命とか言ってましたよね」仲間との勉強会で、あるメンバーからそう言われた。議論の流れの中で、彼が「これは革命だな」と言ったことに対して、そう安易に革命という単語を使っていいのか、というようなことをつぶやいた私への反問だった。