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「認知症 5.0」 すぐそこの未来

コラム町永 俊雄

▲認知症を考える視点を大転換してみる。
「認知症をなんとかしよう」から、「認知症が何を変えるのか」、さらには「認知症と何ができるのか」と視点を自分に引き付けるように移した時、この認知症社会は別の姿を見せる。未来社会は遥かな「あちら」からやってくるのではない。私たちの暮らしの只中から創り出す。(図・政府広報より)

ソサエテイ5.0(Society 5.0)というのをご存知だろうか(社会5.0とも呼ぶ)。
この国がめざす未来社会で、超スマート社会のことなのだそうだ。
そもそも世界の歴史を見れば、この社会は均等な連続線に沿って進化しているわけではなく、どこかでジャンプするようにして全く次元の異なる次の段階に突入してきた。

つまり、太古の狩猟社会をSociety 1.0とし、農耕社会で人類は定住を確立し(Society 2.0)、産業革命は工業社会をもたらし(Society 3.0)、そして世界はネットで瞬時に情報が行き交うインターネット革命の情報社会(Society 4.0)の現代に至った。
1分でわかる文化人類社会学。ちょうど、パソコンのOSがWindows8とか10のアップデートと同じようにこの社会のシステムがすっかり入れ替わるわけだ。

Society 5.0とは、2016年1月に政府が策定した「第5期科学技術基本計画」で打ち出されたもので、現在の情報社会Society 4.0に続く人類史上5番目の新たな社会だとする。「人類史上5番目の新たな社会」、壮大なSF世界の幕開けのようでもあるが、現在進行形の現実でもある。

その定義にはこうある。「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会」
うーむ、よくわからない。ただ、現在の社会システムをデジタル革新、イノベーションの最大限の活用によって、これまでのモグラたたき型の課題対応で解決するのではなく、新たな社会システムの創出につなげていくという新鮮な発想は認めたい。すでにITやAI、ビッグデータ、ドローンにロボットなど、Society 5.0の時代の入口は見えている。
あの「下町ロケット」で、無人のロボットトラクターが少子超高齢社会の日本の農業を蘇らせるべく、帝国重工と佃製作所ががんばるのだが、あれがSoceity 5.0の先取りだったわけだ(視ていなかった人は、ここはスルーしてね)。

これは日本だけではない。先進各国は、英米独、そして中国もこうした新たで斬新な産業革命を国の未来図に組み入れている。
Society 5.0に関して言えば、どうもいつも経済の成長戦略の文脈で語られることに違和感もあるが、別に目新しいわけでもない。80年代に、アメリカのジャーナリスト、アルビン・トフラーは、あの「第三の波」の著作ですでに「情報革命」の大波を予言していたのだ。その必然からすれば、否応なく時代の波は私たちの暮らしを呑み込み変えていくだろう。

このSoceity 5.0はあまりに多くの分野のイノベーションを含むので、とてもこの稿で覆うことは難しい。ただ、科学技術基本計画というようにどうも全体がテクノロジーの発想が基軸になっている。
内閣府の解説でも最後に「人間中心の社会」の項目で、「これは一人一人の人間が中心となる社会であり、決してAIやロボットに支配され、監視されるような未来ではありません」と加えているのだが、あえてこう触れること自体、その危惧の存在は認めているのだろう。確かに全体を読むとその「人間」からの発想がどう組み込まれているのかが見えてこない。

では、このSociety 5.0を「人間中心の社会」とするためには私たちはどうふるまえばいいのか。
ここでようやくこのコラムの本題である「認知症」が登場する。
Society 5.0に至る人類の歴史のように、認知症の歴史を振り返ってみよう。
「認知症の人」はどう捉えられてきたのか。実は「認知症」自体、この社会を大きくバージョンアップさせて現在に至っている。見方を転換すれば、「認知症」は、社会変革の力となってきた。
Soceity 5.0のひそみにならい、認知症を、課題として対象化する従来の福祉的枠組みから完全に解き放して、大きな世界観とともに社会の変革過程に置いてみよう。

まず、認知症の人を何もわからなくなった人と見た時代、これを「認知症 1.0」とする。ついで医療の中の患者とされ、これが「認知症 2.0」、続いて介護、ケアの対象とされる「認知症 3.0」、そしてようやく、地域で暮らすあたりまえの「人」としての登場が、「認知症 4.0」である。

いかがだろう。「認知症」は、この社会資源の基幹部分を変革してきたのだ。
かつての、収容、隔離、拘束から、医療とケアが寄り添い、医学モデルは社会モデルに転換し、「住み馴れた地域で安心して暮らせる社会の構築」の生活モデルが各地域に生まれてきた。
「認知症」はこの社会システムを、人間の物語として次々にアップデートしてきた。何百万年もの人類史に比すれば、現代という複雑に凝縮されたタイムラインで、人類のSociety 1.0からSociety 4.0に匹敵するような変革を、「認知症」は確かにこの地域社会に及ぼしてきたのである。

社会をイノベーションするのは、AIやロボットだけではない。いうまでもなく、この社会を動かしてきたのは「人間」である。
Society 5.0については、この閉塞をブレークスルーするビジネスチャンスとばかり、産業界ではやや浮き足立った感があるが、こういう時こそ深呼吸して「人間中心の社会」の原点に立ち戻ることが必要だ。

最新テクノロジーのイノベーションは確かに革新であり、大きな力がある。しかしそれを駆動するのは、人間のリアルデータがあってこそである。
「認知症」は、そのリアルデータの宝庫である。「認知症」は、医療、ケアの人、本人、家族、そして地域に暮らす生活者全ての不安、悩み、困難、希望、汗と涙という人間のリアルデータの集積でここまで社会を切り拓いた。
この力が、AIやビッグデータ、ロボットに組み込まれた時、その時きっとSociety 5.0とともに「認知症 5.0」の時代は始まる。

Society 5.0の概念の新しさは、この国を「課題先進国」と規定し、「課題」こそが「機会(チャンス)」の源泉であるという発想の転換を示したことだ。
私たちはすでに言っていた。
この社会は、認知症の人がいることを前提として社会システム全体を組み直すべきであり、その時、認知症は自身を「課題」であるより、この社会に内包する「活力」に変容させるだろう、と。

そして今、「認知症 5.0」の時代に入ろうとしている。
認知症の当事者発信は、「認知症だからこそできること」へと社会への積極的な参画を表明し、地域社会もまた認知症の人との共生モデルの策定の過程を通じて、理念と現実の統合の「人間にやさしい社会」という超スマート社会へ変貌し、超高齢社会を成熟社会の一つの手本として世界に示すことを目指す。
そこでは、「認知症」それだけが切り出されるのではなく、この社会のありようを測る指標であり、社会全体の安定のための基盤となるだろう。

最新のテクノロジーが社会を革新しSociety 5.0をもたらすとしたら、AIやロボットに匹敵するような、「認知症 5.0」に必要なものはなんだろう。
それは、技術革新の中、変わらない人間原理として貫く「権利」であり、社会原理としての「認知症の人基本法」ではないだろうか。
「認知症 5.0」 認知症が切り拓く新時代。

|第92回 2019.1.28|

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