認知症EYES独自視点のニュース解説とコラム
  • 介護
  • くらし

なつかしい未来

コラム町永 俊雄

ウーム、深刻この上ない世界経済危機だ。このまま世界は日本はどうなっていくのだろう。私たちの子供達に未来はあるのだろうか。どう目を凝らしてもたちこめる暗雲ばかりで、未来を描くことが出来ない。
不安はあちこちに広がる。
「認知症になっても大丈夫な地域を」といわれても、そんなの口ばっかり。ではいったいどんな地域なの?と問われると、正直、エート、と小指で眉を掻くばかりである。

「認知症になったらどうしよう」 高齢者は心のどこかで案じ、
「認知症になったら大変」 介護に当たるかもしれない家族は悩む。
本当のところ、認知症を巡っては不安や怯えが共振するようにふくれあがるばかりだ。

私たちの社会に未来はあるのか。
かつて「未来」は必ず輝かしいイメージで描かれた。空中都市に月世界へのシャトル、空飛ぶタクシー。未来はいつもこれまでに見たことのない発見と技術で満たされた「夢」の社会だった。
今そんな「未来」は誰も描かない。描くのは超高齢社会。飛躍的に増える認知症の人、支える世代の確実な減少。のしかかるこの経済危機。
未来が描けない。

ほんのちょっと以前。下町の路地の夕暮れ時。縁台にはお年寄り達。子供達は群れ集まって缶蹴りかゴロベース。背中に赤ん坊をくくりつけた母親達は世間話に余念がない。通りかかった自転車のご用聞きの若いのも加わって賑やかだ。お年寄りも母親もいつも視界の端にやわらかく子供達の様子をとらえ、泣く赤ん坊はみんなであやす。
通りがかった人とは誰もが挨拶を交わし、遊び疲れた子供は、縁台のお年寄りの隣に割り込んで昔話に耳を傾ける。
隣近所で味噌やお米も融通しあい、つまりは貧しかったけれども誰もが人と人が結びついていく暮らしを持っていた。又結びついていかなければ子供も年寄りも暮らしていけないことを、誰もが知っていた。「お互い様」と「おせっかい」がつながって、地域に自分たちで自分たちの共生システムを作り上げていたのだ。

私たちの描く未来はこれではないか。
どこかから舞い降りてくる見たこともないような「夢」の未来ではなく、私たち自身で作る未来がここにある。
ここに「認知症になっても地域で自分らしく暮らす」という言葉をそっと重ねてみよう。どうだろう、ぴったりと重なり合うではないか。私たちの目指す未来は、全く新しいものを作ろうとすることではない。
かつて私たちが当たり前に持っていて、懐かしさの中にあこがれる地域の暮らしに、実は未来が潜んでいたのだ。未来は私たちが持っていた暮らしの中にある。
私たちがもう一度取り戻すことが出来る、私たちの未来だ。

それは「なつかしい未来」だ。
声かけあう暮らし、支えあう地域。
働き盛りの人、子育ての母親、認知症の人、誰にとってもそうあって欲しい未来がそこにある。

「なつかしい未来」 急ぎすぎた時代に、立ち止まってそっとそうつぶやく。
暗雲の向こうに光が射すような気がする。

| 第3回 2009.3.10 |

この記事の認知症キーワード