認知症EYES独自視点のニュース解説とコラム

    今、改めて介護家族を考える

    コラム町永 俊雄

    ▲ 2017年4月、京都で開催された国際アルツハイマー病協会の国際会議(ADI)での認知症の人と家族の会のブース風景。運営や応接は、すべて家族の皆さんである。自身の体験と思いを寄せ合いながら、二度の国際会議を成功に導いた。

    この国の認知症をめぐる環境、状況というものを創り上げてきたのは誰か。
    それは、認知症の人を介護する「家族」だった。
    1980年に京都で「呆け老人をかかえる家族の会」が生まれる。
    当時、認知症は「痴呆」であり「呆け」と言われていた。その「呆け老人」をかかえ、追い込まれ、孤立し、切実な現実を抱え込んでいた家族たちが集結し、認知症に対する福祉や施策もほとんど何もない中、小さな声を石の礫とし、荒野に積み上げるようにしてここまでの認知症環境を築き上げた。

    また、その成立当初の背景を分析してみると、認知症に留まらない現在の地域福祉の原型が、発足と同時に作られていることがわかる。私は2017年6月に、高見国生前代表の引退記事の中でこう記した。

    「実は「呆け老人をかかえる家族の会」は結成と同時に全国組織として発足する。段階的に支部が拡大したのではない。ほとんどいきなりである。この時点ですでにこの社会全体の認知症に対する要請と普遍の課題を見据えていたとしたら、ここにもう一つ、成立時点で見落とせない要件がある。
    それは京都西陣が当時から「地域医療」の先進地だったことだ。早川一光医師や三宅貴夫医師が深く関わっていた。認知症は「医療」だけでは担いきれない。
    そうした先駆的な医師たちの思いが家族の会結成に注ぎ込まれていたのではないか」

    全国組織、地域医療との連携、そして暮らしなどの相談支援。現在の社会福祉の柱とも言えるこの三つの要件が、約40年以前に、偶発的にも重なり合い成立したのは、今から考えれば奇跡のようなことだ。

    2004年に「痴呆」が「認知症」と名称変更されても「呆け老人をかかえる家族の会」の名称はしばらく残った。当時の高見国生代表は、「名称のインパクトで家族のつらさと同時に、頑張っているんだということを知ってもらいたいのや」と語っていた。2006年に「認知症の人と家族の会」と名称変更。
    名前は変わったが、家族のつらさと頑張りの現実は変わったのだろうか。

    今、この瞬間にも認知症と診断される人がいる。ということは本人のみならず新たな介護家族が生まれるということだ。その介護家族のつらさと頑張りは改善されているのだろうか。
    本人発信が盛んになる中で、どうも介護家族の率直な声が以前ほど聞こえてこないような気がする。それはどうしてだろう。
    仄聞したところによれば、去年の京都ADIが盛会のうちに幕を閉じた時、参加した家族の中からこんな声も出たという。
    「認知症の本人たちばかりが注目された」

    2004年の前回の京都ADIの時、今でも私は鮮やかに覚えているが、ポスターセッションで、家族からほとんど私の袖をつかまんばかりにして、説明を受け続けた。あの時、家族が訴えたのが「ボケても心は生きている」ということだった。
    身近な認知症の人を介護しながら、この人の心は生きている。わからない人ではないと、涙の中から一条の希望と確信をすくい上げたのは、介護家族だった。
    認知症を考える上での重要な転換点を明示したのは、現実の重圧の中の介護家族だった。この意味合いの大きさはもっと共有されていい。

    「ボケても心は生きている」 それは、認知症になると何もわからない人になるという偏見を覆し、新たな認知症医療と認知症ケアにつなげ、医療とケアの対象者ではなく、地域でともに生きる隣人として位置付け、そして「私たちにはできることがある」という認知症の本人発信の土壌ともなったのだ。

    認知症の本人発信は、それまで医療とケアと、そして家族の視点から語られてきた認知症に新たな光を当てた。それは社会に鋭くアピールするとともに、既成の認知症概念の検証も迫った。
    とりわけ「支援」のあり方の問い直しは衝撃だった。
    「支援はともすれば守ることになり、先回りの支援は、私たち認知症の人を出来ない人という存在にしてしまう」

    24時間365日、かけがえのない人への介護に懸命に当たってきた家族にとってはこの指摘は、あるいは痛点だったろう。しかし、家族と本人の視点が相反し続けるわけがない。家族も本人の自己決定や自立にどう関わって行くのか。それは家族にだけ押し付けるのではなく、「ともに生きる」社会化に向かって新たな局面への展開になる。

    家族の姿も変容した。高齢化、単独、老老世帯が増え、その中で地域包括ケアと新オレンジプランで社会福祉の基盤は「家族」の単位から「地域」へと移行された。
    家族の会が懸命に推し進めてきた認知症施策は、少子超高齢化と社会保障の持続というこの国の宿命的な課題を呼び起こし、「認知症にやさしい社会」という国家戦略の次元に突き進んだ。
    これまで、本人と介護家族の暮らしのつらさ、困難をなんとかより良いものしようと、認知症環境の整備を先導してきた家族の会は、その原点を維持しつつ、今後は施策要望だけでなく社会全般への発信や提言がより求められてくるだろう。

    会員以外には意外と知られていないが、実は「認知症の人と家族の会」は、家族だけの構成ではない。会員の内訳は、本人と家族が全体の6割で、専門職と一般市民が4割を占める。そして大きな柱とする「電話相談」は、その9割が会員以外からの相談なのである。
    すでに、「家族の会」は、認知症社会のインフラとして存在しているのだ。

    誰もが認知症になる時代をどう切り拓くのか。
    家族の会も変革しなくてはならない。巨大組織だけに機敏な動きは難しいが、家族の高齢化や、会員の減少などを見据えれば、地域のインフォーマルセクターとの連携もより強く求められる。さらには認知症の国際的な動向、政策提言、JDWGとの関係などこれからの課題と同時に可能性も見えている。

    社会総体が、認知症の人と家族の会の「パートナー」である。そんな方向に進んでいくといい。

    ▲ 認知症の人と家族の会の鈴木森夫代表とインタビューした。鈴木さん自身は介護家族の体験はなく、これまでソーシャルワーカー、ケアマネージャーとして家族の会とともに歩み、支えてきた。そんな鈴木さんの考える家族の会と介護家族のこれからについてお話を伺った。

    |第69回 2018.5.7|