認知症EYES独自視点のニュース解説とコラム
  • 介護

認知症の人と家族の会「全国研究集会・福井」リポート

コラム町永 俊雄

▲ 福井での認知症の人と家族の会の全国研究集会は、若い世代のボランティアや地域へ様々な発信をするなど、新たな試みも目立った。登壇者も当事者の丹野智文氏、地元の認知症当事者、家族、そして厚労省からは田中規倫認知症施策推進室長(写真左下右端)も参加しての本音トークと多彩だった。

10月28日、福井で認知症の人と家族の会の「全国研究集会」が開かれた。
全国から約1600人という空前の参加者と規模の全研集会だった。

| 全研集会とは

認知症の人と家族の会を、セルフヘルプグループ、自助組織としての側面だけで捉えるのは十分ではない。実はこの全研集会はもう34回を数える。家族の会ができたのが38年前の1980年だから(当時、呆け老人をかかえる家族の会)、発足後まもなく1985年には全研集会が持たれ、1988年からはすでに全国持ち回りでの開催となっている。

この集会には家族だけではなく、専門職、ボランティアなど誰もが参加でき、小さくとも先駆的な研究、実践が発表されるという社会へ開かれたユニークな研究集会である。
家族の会は結成当時から、全国組織として社会活動も視野に入れての誕生だったことを考えると、これからの認知症の課題のみならず、この社会の方向性を見極めるためにも、この日本最大の認知症関連団体の動向を注視し、検証していくことが必要だろう。

福井での全研集会を単なるイベントではなく、どんな方向性が伏流しているのかは、それに先立って一年も前から毎月発行されてきた福井全研ニュースという双方向の声を反映する機関紙に現れている。
例えば、1回目には福井県支部の松原六郎代表が、全研集会への思いとして、ここから市民運動を起こしたいと述べ、それを受ける形での投稿記事には、これまで語ることの少なかった「偏見と差別」を取り上げる内容が載っている。
ここにすでに新たな機運への胎動がある。

| オレンジのロバと若い力

今回の全研集会のテーマは、「紡ぐ(つむぐ)〜地域力を活かし本人と家族が主役の社会へ〜」というもので、ここでのキーワードは「地域、本人、家族、そして社会」である。
若干の総花的印象を持つが、家族の会単体の活動を超え、大きく社会総体から絞り上げるようにして、「紡ぐ」というテーマで広範な市民運動へと繋げようとしている意図が読み取れる。

が、どんな立派な理念でも、現実と「紡ぐ」ことがなければ浮遊するだけだ。
具体としての「紡ぐ」形は、駅や街頭に示された。駅の土産物などを扱う店のあちこちにオレンジ色のロバのマスコットが置かれている。ロバは認知症サポーターのマスコットキャラクターである。

店の人に聞くと、観光客から「これは何?」と尋ねられることもあるという。当然、そこから認知症についての一言二言が交わされる。そのためにはまず地元のお店の人に「認知症」のことを知ってもらいながら、ロバのマスコットの配置をお願いしなければならない。
市民運動の始まりは、池に投じた小さな一石である。波紋がさざなみとなり、大きなうねりとなる、かもしれない。

そして駅頭には、朝から大きなオレンジ色ののぼりとお揃いのオレンジのTシャツのお迎え隊が並ぶ。アテンドに走り回り、案内し、そして行き交う人にそのオレンジの存在で「認知症」を語りかけた。
全研集会には多くのボランティアが関わった。若い人が多い。彼らはどんな思いで参加し、そして認知症の人や家族と交流し、どんな認知症観に触れたのだろう。
家族の会の会員数の減少や高齢化が言われる中で、彼ら彼女たち若い世代の参加は心強いと同時に、これからの共生社会に向けて「認知症」が切り拓く確かな未来だろう。
ボランティアとしてだけでなく、全研集会の壇上で若い世代と認知症の本人、家族がのびのびと語り合う場が設定できたらいい。それはぜひ目撃したいものだと思う。

| 本音トーク「本人の思い」と「家族の思い」

私が関わったのは、特別対談。タイトルがすごい。
「とことん語ろう認知症 〜本人、家族、地域の本音トーク全開!〜」というものだ。家族の会の発想としては斬新な試みといっていい。ここでも企画の段階から若いチームが関わっている。
家族の会の鈴木森夫代表や、福井県支部の松原六郎代表からも「好きにやっていい」「責任はこちらが取る」との言質をもらったと、担当者は言う。何か、幹部の心中深くに、イノベーションの思いが込められていたのかもしれない。
それだけに新しい試みをすることにどう踏み出すのか、若いチームでの討議を重ねたという。

演出もさることながら、踏み出したテーマは、やはり「本人の思い」と「家族の思い」の本音トークだろう。
だから、丹野智文さんなのである。
丹野さんは本人発信の中で常に「自立と自己決定」を求め、「偏見、差別、権利」にも触れ、とりわけ支援については「守ってあげるということは、お世話の対象にされることであり、出来ることも先周りのお世話の中で奪われることになり、結果、『出来ない人』とされていく。できることを奪うな」と鋭く指摘している。

壇上で、丹野さんに私は尋ねた。
「でもね、家族もなんとかしてあげたいと思ってお世話するのではないですか」
丹野さんは一言答えた。「余計なお世話です」

トークの採録には誤解を生む恐れがある。文字だけで記せば刺激的な言葉もその軽やかな笑顔、表情と合わせて受け止めないと、発言者の本意から離れてしまう。実際にこの時も会場からはドッと笑いが湧き起こった。
こうした本人の思い、家族の思いのズレは語り合うことが大切だ。語り合って分かり合えるといった短絡的な調和点を求めるのではなく、それぞれの「つらさの違い」を知ることが必要だ。

家族の介護体験は、会場が息を呑む思いだったろう。
母を介護した男性。「追い詰められていく自分を意識しつつもどうしようもない。思わず母の首に手をかけた。本人と自分とのコンフリクト(摩擦、ぶつかり合い)の中にしか日常がなかった」
母を介護する女性。「排泄の失敗に、自分がキレた。虐待介護、暴言介護、結構だ。そう言い散らすことでかろうじて自分を保てた」

これも活字体で接すると誤解を生む。いずれも深沈とした自分の思いに、いつくしみや悲しみ、自己嫌悪の情が混じり合い、わかってもらいたいとわかってもらえないだろうという揺れ動く中の発言なのである。よくぞ率直に話していただけた。

| 「誰も責められない」を問う

それでもなお、家族の会として向き合うべき現実も浮き彫りになった。
ここからは慎重に記すのだが、介護家族のギリギリの切ない思い、つらい思いに満ちた介護は、誰も責められないだろう。私も責めることは出来ない。
ではそのことで認知症の本人のつらさの行き場はどこなのか。誰も責められはしないという免責を与えることで、介護される本人の言葉にならないつらさは誰が引き受けるのか。

本人もつらいだろうが、家族だってつらいのだ、というつらさの同量をもって、互いのつらさは相殺されるのか。
それは、この瞬間にも生まれる新たな認知症の人と家族に、同じつらさの年月を過ごさせることにつながる。

それは、認知症の本人誰もが、診断された後に長い年月を不安と嘆きの中で過ごさなければならない現実とどこか呼応する負の現象だ。
誰かが、こんな「認知症」の現実はあってはならないと言明しなければならない。責められるべきはだれか。それは、介護家族の切ない思いを責められないものとして放置する、私たちすべての怠慢ではないのか。

私たちの怠慢ではないか。その厳しい自己検証があってはじめて、介護の社会化の必然と公的責任の不在を指摘できる。そのために、静まりかえったあの壇上で介護家族は自身を指弾するように、身を切る思いで聴衆と社会へ問いかけたのだ。
「自分ごと」として考えるというのは甘くはない。覚悟と決意を伴う。

全研集会はこの社会のともし火であってほしい。そのためにも、自分の心と社会の深部を覗き込むようにしてうなだれる経験をしなければならない。一年に一度、心底から「これでいいのか」という真摯な検証の場があっていい。そのことを語り合い共有できる場であってほしい。

全研集会が始まった80年代半ばは、まさにバブル絶頂期だった。
日本が経済成長を駆け上る陶酔の中で、認知症の人と共にある人々は直感的にこの社会の危うさを感じ取った。
小さな声、弱い者が押し潰されないか、これでいいのか、そう感じ取ってこの社会総体の補完機能として、小さくとも確かな声を発信する場が必要だと、1985年、繁栄の大合唱の片隅にこの全研集会は生まれた。私はそう思う。

つむぐ一本に、きっと涙でじっとりと濡れた糸がある。希望のタペストリーを織り上げる時、そのことを思え。

|第84回 2018.10.31|