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盛岡にイーハトーブを見た

コラム町永 俊雄

「認知症フォーラム」は全国各地で開いている。どの会場も超満員、それぞれの地域の人々の思いがぎっしり詰まっていて、こちらはその思いに励まされ力づけられる。

その次に励まされ力づけられるものと言えば、ヤッパ、その土地の旨いもの、うまい酒だな。といきなり話題は下世話になるのである。とはいえ、実情はそんなに甘いものではない。このフォーラムはたいていギリギリまで追い込まれて、スタッフは徹夜の連続になり、ここはどこ? 今日はいつ? と長谷川式認知症スケールの危ういゾーンを行き来しながらだから、なかなかその地域の風物を堪能する余裕はない。夜遅くに現地入りし、深夜にぼそぼそと打ち合わせし、翌日のフォーラムが終わるや風のように帰京しなければならない。

でも時には僥倖、奇跡のごとく前日に余裕を持って現地入りできることがある。盛岡のときがそうだった。
私は盛岡には格別の思い入れがある。青春のとき、詩人の魂を持つピュアな私は(一応ギャグですからまともにとらないでね)よく石川啄木の面影を求めて不来方(こずかた)城を訪ねたものだった。だから、「ヨシッ、盛岡ならまかせておけっ」の意気込みは、さながらナントカ旅行会社の旗を掲げて先頭に立ち、「ハーイ、皆さんこちらでーす。集合は30分後ですので遅れないでくださーい」といったツアコンなのであった。
「おっ、いいねえ、この家並」「南部の地酒と言えばさあ」「椀子そば、いっちゃう?」
あやしげな一団である。そんな風にして歩き回ってある街角を曲がったとたん、とんでもない光景に出会ったのだ。

その通りはなんと多くの人出でにぎわっていた。ようやく傾きかけた日差しの中で、よく見るとたくさんの店が出ている。店といっても道ばたにシート、ゴザを広げたもの、屋台、車の荷台を利用したもの、様々だ。
「なんだなんだ、これ」「お祭り?」「ねぶたか?」「それは青森だろ」
盛岡の「夕市」であった。そこここに農産物が積まれていると見れば、こちらには漬け物に骨董品、あちらには地ビール、そして串に刺した焼き肉。おいしい匂いが漂い、あやしい一団の私たちもすっかり人ごみに混ざって、あちこちに首を突っ込んでいる。

「いいなあ」「なごむなあ」「なんかなつかしくない?」
何だろう。見渡せばたくさんの人がそぞろ歩いている。店を出している人々は近在の農家の人だろうか、お年寄りが多い。あちこちで買い物というより、そのお年寄りとの話が弾んでいる。誰もがのんびり歩き、話しかけ、笑い、子供が走り回り、子供の手を引き、赤ちゃんを抱き、夫婦で語り合い、誰もが眉の間を広々とくつろがせている。

気づいたら、スタッフ統括のヨコカワ氏がいつの間にか手に何かの苗を入れたビニール袋を持っている。
「何、それ?」「シドケ」「は?」
「山菜。何でもタラの芽よりも美味いとあそこのおばあさんが言っていた」
シドケ。山菜の王様と言われ、これを食べたらほかの青菜のおひたしなぞ、「それはもう食べられんで、ハア、ンでなす」と言ったそうな。おひたしよし、天ぷらよし、ごま和えよし、とヨコカワ氏は舌なめずりしながら、そういった。
「まだ苗だろ」
「そう、庭に地植えにする。グンと伸びるが今年はまだ収穫したらだめなんだ。来年、来年」と、ヨコカワ、嬉しそう。買ったのはシドケの苗というより、その思い出だな。

そうか、この夕市の不思議な懐かしい感覚。これはお年寄り、若い夫婦、子供、赤ちゃん、各世代のみんなが一緒に集っている。そして誰もが笑顔のこの和やかな、改めて見ると涙が出そうな親和性に満ちた光景。かつて、確かにあったが、いつの間にか私たちが置き忘れてきた光景がここにしっかりとある。
フォーラムで「認知症になっても自分らしく暮らせる地域」を語り合っている私たちの目の前にあるのは、まさにその地域の光景なのだ。すっかり傾いてきた陽の光に照らし出された夕市は、まるで劇場のように懐かしいふるさとの雰囲気が漂う。
ここに満ちている幸福感は、地域の力に支えられているという安心感だ。

そう、こここそ宮沢賢治がこの地を呼んだ「イーハトーブ」、理想郷なのだった。

東京に戻ってしばらくして、ヨコカワ氏は「あのシドケ、根付いたよ」と報告した。地域にしっかりと根付く暮らしの確かさ。シドケに託したささやかな思いだ。
私たちのフォーラムもしっかりと地域に根付きたい。

| 第6回 2010.11.15 |

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