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津軽回想法紀行

コラム町永 俊雄

津軽はもう冬支度だった。
道沿いには防雪柵が秋の深まりに追い立てられるように慌ただしく組み立てられ、その中を私は五所川原市のグループホーム「祥光苑」に向かっていた。
このグループホームでは回想法を積極的に取り入れている。
リーダーの秋田谷さんが出迎えてくれる。間もなく今回のセッションの第一回が始まるのである。渡り廊下には昔懐かしい農具や家具が並んでいる。回想法に使うために集めたそうだ。
もう既に姿を消しつつある丸ダイヤル式チャンネルのブラウン管テレビ。
「私もよくチャンネル争いをしたものです。ガチャガチャッと回し合ってねえ」
そうそう、と秋田谷さんがうなづく。この時点ですでに私が回想法モードなのだ。黒のベークライトの電話機がある。
「これねえ、女友達に電話するとき、最初にダイヤル回してジーッと音たててダイヤルが戻る間って、すごくドキドキしましたよねっ」
秋田谷さんが、しょうがなく曖昧にうなづく。

グループホームの一角には椅子が丸く並べられいよいよ回想法が始まる。
ふふふ。何を隠そう(隠してどうなる) 私は回想法にはちょっとはうるさいのだ。
そもそも認知症における回想法は医学的にも効果は実証されている、ト。
記憶を掘り起こし会話することで前頭前野の血流が活性化し、とりわけ海馬付近の神経細胞が刺激され、認知症の予防ないし進行を食い止めるに効果があるのだ、ト。

が、しかし、回想法の現場は実は私の知ったかぶりの知識よりはるかに深い人間交流の世界だった。
「まずミーティングをします」
秋田谷さんは別室に担当スタッフと集まった。リーダーの秋田谷さん。コ・リーダーの女性二人。初担当の女性スタッフは大切な記録係だ。
「今日は一回目だから、そんなに盛り上がることはないと思う。それでいいので、まずはグループ形成に目を向けよう。互いの人を認め、仲間と思う気持ちを醸成させること」
秋田谷さんはそんな風に切り出した。なんか粛然とするなあ。
それから回想法に参加する一人一人についての話し合いだ。
「奥さんと死別している人は、家族の話題をどう思うだろう。悪い回想に向かわないかな」
「耳が遠いので、私がその度に耳元で伝えたい」と、これはコ・リーダーの女性。
「人の話を聞かず自分ばかり話す人がいる」という意見に対しては、「その話をみんなに聞いてもらう機会を作ろう。自分の話がみんなに聞いてもらえたことは、その人の自信につながるはず」
うーむ。ちょっと感動。回想法って技法ではない。人が人と向き合う意識の共有だ。

かくしてようやく回想法が始まる。ミーティングに参加した視点から見るとこれは大変な取り組みだ。
ゆっくりとした間合いをじっくり待つ。耳の遠い人のためにのべつスタッフの伝える言葉が重なる。ほとんど話さない人に、ことさらのんびりと秋田谷さんが質問する。別の人はとても声が小さい。もう一度その発言をスタッフがみんなに伝える。
傍目にはしごくなごやかに時間が過ぎているように見えるが、各スタッフの、一人一人に対する気配りと観察には、張りつめた並々ならないものが込められている。

回想法が終わった。いやあ、ご苦労様でした。
「終了後のミーティングです」
秋田谷さんはきっぱりとそう言って、また別室にスタッフと集合する。
「鬼!」などという人はモチロン誰もいない。今度は一人一人の発言の検討だ。主体的に話したか、仲間との発言の連動はどうかと言った観点から点数化し、次につなげていくのだ。
「回想法のセッションは終わっても、ここでの暮らしは続くンではんで、そこでの発言や活動につながっていくのが、大切だと思ってほしい」
ちょっと秋田谷さんの津軽弁を再現しようとしたが、無理らしい。そう、ここでの回想法はこれまた当然ながら全編津軽弁である。これがまたいいのだ。

人が人と向き合う。人が人とつながる。
外は津軽の地吹雪がうなりをあげても、家の中では、みんなが囲炉裏を中心に寄り添いぬくもりに昔話コの華を咲かせる。

ここ「祥光苑」での回想法を見ると、認知症への取り組みを超えて、実は人が人である世界をしっかりと再現しようとする意思に裏付けられている。そんな気がした。

| 第7回 2010.11.26 |

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