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「認知症学」を創ろう

コラム町永 俊雄

世に「水俣学」というのがある。これは長年にわたって水俣病の被害者と関わって来た医師の原田正純さんの提唱する新しい学問だ。医学など単独の学問だけでは水俣病は解決できなかったという原田さんの痛切な思いから始まった。
これだっと私はハタと膝を打ち、ポンと手を叩いた。これだ、「認知症学」を創ろう。

認知症とは何か。「生活に支障がなければ、認知症ではない」という視点がある。これを医療者が言うのである。これは私にはとても新鮮だった。この捉え方はすでにこれまでの医学の疾病観から大きく脱却している。顕微鏡の中や、検査データや、診断画像だけで疾患を見るのではなく、その人の暮らし全般の中でこそ、認知症を語らなければならない。認知症医療が、一躍医療の最前線に躍り出た。医療は「臓器」だけではなく、まず「人間」を見る、そのことをとても力強く語り続けている。

誰もが老いていく。「老い」は避けられない。その老いの過程で認知症は必ず出てくる。だとしたら今この日本の「超高齢社会」は取りも直さず「超認知症社会」なのである。老いの自然な道筋の中に認知症をどう組み込んでいくのか、それはもはや医学単独の課題ではない。誰にとっても避けられない「老い」や死生観をどう考えるか。

認知症を総合的多面的に語り始めたい。これまで医療が、介護職が、介護家族がそれぞれ個別に語ってきた。それを体系化し「認知症学」というひとつの学問として創り上げていけないだろうか。斬新な医療システムの提言につなげ、この社会のありようを俯瞰し、人はどう生きるべきかの命題に答え、理念と知恵を創出し、人間が人間であること、社会が人間の社会であることを問い直す、そんな学問だ。
そこには多様な分野の人が参加する。経済学者、行政者、詩人に文学者、ジャーナリスト、もちろん医療者や専門職も加わって、忘れてはならない、認知症の人本人も加わり、その本人からも学び、言ってみればこれは初の「認知症文化」の創出だ。
日本は世界一の高齢社会、ということは世界に先駆ける先端学問である。

日本の認知症をめぐってはここ10年で大きく変わった、と誰もが言う。「認知症新時代」だと。
でも私は思う。本当は「認知症が拓く新時代」なのだ、と。
だからこそ、今「認知症学」を。どうよ、コレ、諸兄。

| 第8回 2011.2.3 |

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