▲最近文庫版が出てまた話題となったガルシア・マルケスの「百年の孤独」。これは1999年の改訳された版。ひとつの枠組みで社会を論じるとどうしてもひ弱になる。壮絶な百年の物語、最近また読み直している。
今、この社会にこれまでにない動きが生まれている。
それはこの社会はどうあったらいいのかという話し合いが行われていて、しかもそれが同時進行で公開されているのである。
えっ、それ、どこで見ること聞くことができるの? という人がいるかもしれない。
タイトルはちょっと堅苦しいんだけどね、実は私たちの地域や暮らしに大きくかかわる話し合いである。
それが、認知症施策推進関係者会議というものだ。
これは今年1月に施行された共生社会の実現を推進するための認知症基本法の基本計画を策定するための話し合いなのである。
関係者会議というように、認知症施策に関わる広範な関係者が今、話し合っている。もちろん認知症本人もいれば、家族、それだけではなく医師会、経団連、労組、自治体の長、介護施設、ケア専門職に薬剤師や企業の人々も加わっての関係者会議なのである。
そしてここでの話し合いは公開されなければならないということも認知症基本法で定められている。
政府の施策の立案段階から多くの関係者が話し合い、そのすべてが公開され、私たちが接することができることは大きな変化だ。その議事録、資料、素案はすべて内閣府のホームページに公開されている。
つまり、私たちはいつも結果としての政策施策が発表されてから報道され、そのことについて批判したり、受け入れざるを得なかったりしてきたが、今、同時進行でそのプロセス全体を目撃できる環境にいる。
この話し合いは、今後は各地域自治体レベルに移行して続く。この話し合いもまた公開されることになっていて、誰もが間接的にでも参画できる。おそらくこれほど広範で綿密な公開討論を同時進行的に共有する経験はこれまでなかったのではないか。
これは大きなメッセージだ。
この社会を変えるのは誰か、という呼びかけだ。
「共生社会の実現を推進する」のは誰か。あなたもぜひ参画を。
さて、ここで一息ついて、前回のコラムで「新しい認知症観を創り直す」として、これまで大きな柱となってきた「認知症とともに生きる」などの私たちの「認知症観」を今一度、創り直す、つまり一人ひとりがその検証作業に当たらないと、共生社会の実現の推進にはならないだろうといったことを書いた。
では今回はその目指すところの「共生社会の実現の推進」である。
こうした「新しい認知症観」とか、「共生社会の実現」とかを私たちはそのままスルーしてしまったまま自分の言説を組み立てている。こうした言葉を散りばめるとたちまち何かすごい問題意識のヒトになってしまう錯覚がある。反省。
こうしたかつての言葉に立ち止まることは後退でも停滞でもない。実は一番着実な前進なのである。
私たちがスルーしている言葉の多くは、この大衆社会に投げ込んでも、ほとんど私たちが期待するような反応はないだろう。ズブズブと群衆の中にもぐり込んでしまうだけである。
こうした世間の反応に対して、とりわけ認知症にかかわる取り組みを熱心にしていればいるほど、つい「チッ、問題意識希薄だなあ」として、あまり相手にすることなく、かえって自分達の活動の充実に立ち戻って精魂込めたりする。私もまたそうであったかもしれない。
しかし、認知症基本法を起点として、グルリと転換するようにしてこの国の「認知症」は新たな局面に向き合おうとしている。それが「共生社会の実現」なのである。俗な言い方をすれば、「相手」を選り好みするわけにはいかなくなった。
いうまでもなく、「共生社会」とは、認知症の人と認知症に関心を持つ人々との盟約ではない。が、そうはいっても誰にどう語りかけるのか、どこか呆然としてしまっても無理はない。それは、多分、認知症の捉え方が限定的であるからだ。無意識にも認知症をある種の課題、問題としてしまっていたり、「正しい認知症の理解」といった側面からだけで語りかけてしまってはいないだろうか。
認知症を中心軸に置いてこの社会を考えるということは、実は認知症を考えることではない。
認知症のまなざしを借りて、この社会の当たり前とされてきた暗黙のルールの正当性を洗い直すことである。「共生社会の実現」とは、こうした一人ひとりの認知症観の獲得からスタートするはずだ。それが前回の「新しい認知症観を創り直す」ということである。
では、社会に向かって私たちの「新しい認知症観」を限りなく拓くことが、なぜ「共生社会の実現」につながるのだろう。わかったようでわからない。
認知症施策の大転換とされた2015年の認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)では、サブタイトルに「認知症高齢者等にやさしい地域づくり」が掲げられた。これはわかりやすかった。誰もが新しい息吹を感じ、これが現在のカフェやまちづくりなどの広がりを生んだのだ。
それに対して今回の、「共生社会の実現の推進」って、手に余る感じを持った人が多いかもしれない。どうすればいいの。どこから手をつければいいの。
共生社会とは達成を目指すと言った経済指標ではない。「共生社会達成、おめでとう!」と霞が関あたりでくす玉が割れ、盛大に紙吹雪が舞うということはない。(あってもいいが・・)
考えてみれば、「共生社会の実現」とはかなり大雑把な言葉である。
しかし、大雑把なことが共生社会なのではないか。今、各地の地域づくりなどの活動を見ると、そこにあるのは大雑把であることの多様性や包摂する力に満ちている。そこにあるのは認知症限定ではなく、誰もに門戸が開かれ、「こうあったらいいよね」とか「こっちのほうがマシかも」といったいかにも大雑把な言葉を交わすことで、生き生きと持続する取り組みに育てている。
そしてそれが最も先鋭の共生社会の実践なのである。そしてそれを参加する誰も「共生社会」とは呼んでいないのである。
「共生社会の実現」とはこうしたことである。
誰かが語る「共生社会」ではなく、自分たちが創り直す「共生社会」なのである。
ちなみに認知症基本法には、共生社会についてはちゃんとこう記されている。
第一条(目的)
「認知症の人を含めた国民一人一人がその個性と能力を十分に発揮し、相互に人格と個性を尊重しつつ支え合いながら共生する活力ある社会(以下「共生社会」という。)の実現を推進することを目的とする」
どう読み取るだろうか。一人一人が自分なりの読み取りをすることから「共生社会」が始まる。多様な読み取りができるように、ここでは注意深く定義づけから離れ、それぞれの捉え方のための余白ある記述のようにもなっている。
ただ私は、ここでの「認知症の人を含めた国民一人ひとり」という主語に、ある種の感銘を覚えざるをえない。これは対等だとか自分ごとの含意を超えて、読み取りようによっては「認知症の人を含めた国民」という表記に深い意味合いを感じるのだ。
ここにあるのは、認知症の人の人間回復なのではないか。
かつてこの国は、認知症の人を、地域によっては座敷牢状態の離れに鍵をかけて閉じ込め、病院や施設のがらんとした部屋のベッドに縛りつけられ、痴呆とされて地域と人間を奪われ「いない人」とされてきた。認知症の人は長くこの社会には見えない存在だったのである。
「認知症の人を含めた国民一人ひとり」
この包摂の主語には、認知症の人の人間回復への、込められた深甚の想いと歴史がある。
かつて見えない存在とされた人々を含めた私たち国民一人一人が、共生社会の実現を推進する。
しばしうなだれ、それから決然、顔を上げるようにして。
共生社会を考えることはひとくくりにはできない。ただ共生を考える確かな一つは、この社会には今なお、見えていない存在の人々がいるということを想像することである。
まだ見ぬ存在の人とともに生きる。
「認知症の人を含めた国民一人ひとり」はそのことを示している。それが認知症のまなざしを借りて、この共生社会を実現するということだ。私はそう思う。