認知症基本法
にんちしょうきほんほう
[ 認知症基本法 ] 関連記事一覧
-
希望は絶望に寄り添う 「生きるを支援する」自殺対策基本法と認知症基本法
普段ほとんど口を交わすこともない父親が、珍しく中学生の息子に声をかけた。「どうだ、一緒に風呂に入ろう」
-
師走にまるわかり!認知症基本法はこう読み解く
このところやたら忙しかったのが一息ついて、すっかりご無沙汰していたスポーツジムに行く。うーむ、体がなまっている。というか、運動不足というより加齢現象に過ぎないのかも知れない。
-
A君との対話 〜認知症基本法は問いかける〜
「マチナガさん、先日の「対話する認知症」のコラムを読んで、ボクも関係者会議資料の認知症施策推進基本計画の素案を読んでみました」
-
2024年を認知症基本法が拓く 〜1月1日基本法施行〜
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。新しい年が明けましたね。やはり新年というのはどこか改まった気分になるものです。
-
「認知症基本法」ものがたり 〜その後編:認知症が共生社会の実現を推進する〜
さて、ここからは、いよいよ「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」を読み解いていきます。ただその前にお断りしたいことがあります。
-
「認知症基本法」ものがたり 〜その前編:涙の旅路から新たな時代の扉を開くまで〜
認知症基本法は6月14日に成立しました。だからもう5ヶ月が経ったことになります。この法律ができた意味合いが大きいとされるのは一つは基本法であること、そしてもう一つには、法律タイトルに「共生社会の実現を推進するための」と云う惹句が付されていることです。
-
認知症基本法「わかりやすい版」は、実はわかりやすくない?! 〜「わかりやすい版」のダウンロードはこちら〜
このコラムも前回で300回を超えた。まことに小さな声をつぶやくようにしてここまで回を重ね、その時々の気づきや想いやとまどい、それから理不尽へのはかないあがらいの言の葉という落ち葉のコラムだ。
-
認知症基本法を「自分ごと」に
共生社会の実現を推進するための認知症基本法ができたことの端的な役割というのは、「認知症」を私たちの暮らしの「現場」に置いたことです。
-
認知症基本法、その施策基本計画をよみとく
「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」が、いよいよ私たちの街に歩み出す。認知症の施策をどうつくるのか、「認知症施策推進関係者会議」が6回にわたる話し合いを終えて、いよいよこの秋にも閣議決定を経て、施策の基本計画が策定される。
-
認知症基本法を語り合った 〜なにが変わるのかではなく、なにを変えるのか〜
認知症基本法の勉強会が開かれた。勉強会はいつも三鷹にある認知症のクリニックで開かれるが、そこの診療が終わる夜になってだから参加者もまたそれぞれの仕事を終えてから集まってくる。学びのコモンズといった小さな志の集結である。
-
認知症基本法の「わかりやすい版」をなぜ、つくったのか 〜声に出して読む「認知症基本法」〜
認知症基本法の「わかりやすい版」を作成した。嬉しいことに、認知症の本人から自分のホームページに載せたいとか、さまざまな人から勉強会に使いたいといった声が寄せられた。わざわざ「よろしいだろうか」と丁寧に断りや許可を求める人々もいて、かえって恐縮する。
-
認知症基本法 「わかりやすい版」をつくりました
6月14日に認知症基本法が成立しました。認知症の当事者や関わる人々からは、ようやく自分たちの思いが形になった、画期的であるという受け止めが多かったようです。
-
「向こうからこっちをみたら、どうみえるんだろう」〜「自分ごと」の発見〜
いつだかの新聞に、俳優のイッセー尾形氏の出身母校の思い出が載っていた。ある若い古典の教師が、窓の外を眺めながらふと「向こうからこっちをみたら、どう見えるんだろう」とつぶやいたという。
-
振り向いて「ふるさと」 〜鹿児島県錦江町のまちづくり〜
鹿児島県錦江町に行ってきた。錦江町は鹿児島の大隅半島にある小さなまちだ。
高齢化率が鹿児島県で2番目に高い。ほぼ2人にひとりが高齢者で、人口減少も急速に進んでいる。15年ほど前の1万人の人口が、今は6400人である。 -
共振する言葉、「自分とともに生きる」
講演を頼まれると大概は、事前にレジメを求められる。レジメ、レジュメとも言われるが、もともとは論文での概要で、考察の趣旨や要点などを記したものとされているのだが、私の場合、事前にレジメとして主催者側にお渡しするのはそうしたレジメとは随分と違っていて、いつも申し訳なく思っている。
-
必読!「認知症とともに生きるまち大賞」は、時代を拓く
NHK・Eテレの「認知症バリアフリーのまち大集合」という番組を視た。NHKとNHK厚生文化事業団の第8回「認知症とともに生きるまち大賞」を受賞した全国の5団体の取組みを紹介したものだが、「認知症とともに生きる」ということの確かな風景が描かれている。
-
認知症と診断されても、「認知症の人」になるわけじゃない
認知症と診断されたからと言っても、「認知症の人」になるわけじゃない、と言ったらどのように受け止めるだろうか。「え? なに言ってるの」と訝しく思うだろうか。それとも、「そりゃそうよね」とうなずくだろうか。
-
今年2024年を振り返る 〜私たちの「いとなみとなりわい」を取り戻す〜
能登半島の奥能登で被災した友人は、「地域」とは言わない。ふるさとを「いとなみとなりわい」の舞台と語る。震災と豪雨という二重被災、天を呪い地を恨んで当然の絶望の中から、ふるさとの「いとなみとなりわい」を取り戻すと、友人は小さく、しかし心決める強さを滲ませ、そうつぶやく。
-
岩手県宮古市で話をして、誰がまちをつくるのかが見えてきた
岩手県宮古市で講演をしてきた。宮古市には、浄土ヶ浜というまさにこの世の浄土のような景勝地があり、学生の頃行ったことがある。
-
認知症の希望をどう語るか 〜認知症当事者勉強会の報告から〜
小学校の書き初めのお題はいつも「希望」とか「大志」だった。へそ曲がりの小学生だった私は、「希望」とか「大志」というお題にどこか馴染めなかったような気がする。