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必読!「認知症とともに生きるまち大賞」は、時代を拓く

コラム町永 俊雄

▲上段、北見市のまんまる農園の皆さん、下段左は神奈川県あざみ野でのオレンジバルのにぎわい。「認知症とともに生きるまち大賞」は、認知症基本法の「共生社会の実現を推進する」にまっすぐつながっている。(NHKハートネットTV・HPより)

NHK・Eテレの「認知症バリアフリーのまち大集合」という番組を視た。
NHKとNHK厚生文化事業団の第8回「認知症とともに生きるまち大賞」を受賞した全国の5団体の取り組みを紹介したものだが、「認知症とともに生きる」ということの確かな風景が描かれている。
映像ならではの人々の笑顔や息遣いに新しい「認知症」の捉え方が浮き上がっている。
ここでの取り組みのどれもが、認知症基本法が打ち出した「共生社会の実現を推進する」ことを地域の暮らしの中で社会実装するとどのようなことになるかの好事例なのである。

5つの受賞団体それぞれはどれも地域特性を活かしながら、しかし、そのアプローチはみんな違う。みんな違うのだが、しかしその5つの取り組みはどれも大きな一つのメッセージを伝えている。
「認知症」を福祉の枠組みの「支援の対象」とはしていない。「認知症とともに生きる」というこれまでのキャッチをも超えている。あえて言うなら、「認知症」を中心軸に据えたまっさらの「生きるをともにする」という新鮮な時代性がある。

それが一番良くわかるのが、番組に最初に紹介された神奈川県あざみ野の「オレンジバル」である。
「バル」とはもともとスペインの居酒屋で、映像はのっけから居酒屋でぎっしり満員の人々が賑やかに飲んで食べて歌っての光景が展開していく。なんなんだ、これは?
これが「認知症とともに生きるまち」なのである。毎月一回、もう50回以上続いている。
当然「まち大賞」の受賞なのだから、このオレンジバルに集まるのは、認知症当事者、家族、介護などの福祉職に行政の人が集まっているはずである。

この取り組みの素晴らしさは、音頭を取っている横浜総合病院の長田乾さんが見事に言い当てている。
「ここでのルールはただひとつ。自己紹介をしないこと」、えっ、それじゃ誰が誰だかわからないじゃないですか? 「そうです。誰が認知症の人か、家族か、介護する人か、福祉の人かわからない方がいい。誰が誰だかわからないでみんなで入り乱れて飲むのが一番いい」

賑やかに話し飲んでいた参加女性はこう語った。
「立場とか年齢とかすべてを取っ払った空間がここにあるのよ。同じ時をともにすること、いろんな人と一緒にいること、それがいいの」
隣でしきりにうなずく女性は「私はもう90過ぎたおばあさんなの」と、ふたりともバルでの仲良しで、だれもが限りなくのびのびしている。
長田乾さんはまたこうも語った。
「認知症の人にやさしいというけれど、外から見れば誰が認知症かわからない。だから、「認知症の人にやさしい」限定ではなく、「誰にもやさしい社会」とするのが基本なんです」

すごいな、オレンジバル。共生の社会とは、誰と、ではなく、誰とでものインクルーシブの社会なのだ。

このオレンジバルを見たうえでそれに続く取り組みを見ていけば、この時代がくっきりと浮き上がる。
大分県佐伯市の「ささえ愛ホーム・きよちゃん家(ち)」は、発達障害、精神障害、認知症の人たちのシェアハウスである。番組はこのシェアハウスの朝から始まる。「障がい者」というより「生活者」として、それぞれ苦手なことはあってもできることもある。できることを持ち寄って暮らしを分かち合う(シェアする)共同生活が「ささえ愛ホーム」なのである。
きよちゃん家の住人である認知症とともに生きる婦人は、「ここはどんなところですか」という取材スタッフの問いに「家族です」、そう一旦は答えて、その人はふと気づいたようにしてこう付け加えた。「そう、新家族です」
介護家族ではなく、できることを持ち寄ってつくる新しい家族、それはきっとこの地域社会のことだろう。

北海道北見市の「まんまる広場」は、ひとりの認知症の当事者の思いを地域の人々がバトンリレーするようにして、地域のあり様を変えていった。
この認知症当事者が最初に発したのは「畑作業をやってみたい」ということだった。それじゃあ、ということで地域包括の職員とともに農園作業が始まるが、ふたりとも農作業は素人、収穫は2年続きで失敗する。それを見かねて地域の人達が次々と繋がってきたのである。

共生社会というと、いつもあるスケール感で語られる。でも北見での活動は、たったひとりの当事者の思いに応えようとすることから始まっている。二人いれば地域は動く。しかも、そこでの「失敗」が大切なポイントだ。失敗して助けを求める、失敗に手を差し伸べる人がいる、そこから地域の力が立ち上がる。
地域社会の成果とは、いつも失敗を回避した直線的な取り組みが目指される。しかし、ジグザグのほうが、多くの人との接点が増える。だから新たな関わりやつながりが生まれる。暮らしはジグザグだから大変だけれど、涙や笑いにあふれる。そのような取り組みだ。
何より、北見での取り組みでは幼稚園児がどんどん参加して、見ていて胸迫るほどに子どもたちがこの社会の励ましになっている。地域を動かすと、子どもたちの未来が輝くのだ。

大阪高槻市のデイサービス、「Roles 晴耕雨読舎」の取り組みは、わたしたちの共生社会の新しい地平を感じさせる。
ここでの利用者は、普段、花を使ったフラワーアレンジメントや押し花づくりを楽しんでいる。
そしてその作品の一部は、大阪から遠く離れた香川県の「四国こどもとおとなの医療センター」に送られる。この医療センターにはギフトボックスが設置され、入院している子どもたちが自由にギフトボックスから受け取れる仕組みになっている。付添の人が贈り物を手にした車椅子の子どもに語りかける。「よかったね、手術のときも一緒に持っていこうね」、うなずく子ども。

遠くからの知らない人、高齢者からの励ましのギフトである。
私達の「共に生きる」ことの交流は、これまで多くは、互いに見知った同じ地域の「私とあなた」の二人称の範囲だった。しかしいま幾多の震災経験を経て、私達は遠く離れた見も知らぬ人の不安や試練にむけ、切ないほどの想いを押し広げることができる。「私と彼ら彼女たち」の三人称の、地域と世代を超えたはるかな人への想いとつなぐ、そんな取り組み。
時空をキャンバスにした一篇の物語のような映像だ。

そして今私たちは、「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」を手にしている。認知症施策を地域社会で機能させるため、これからは地域自治体が基本計画に取り組むことになっている。
自治体は何をすればいいのか。
鹿児島県錦江町の「認知症フレンドリーな錦江町づくりプロジェクト」は、その手本のような取り組みである。
錦江町は、鹿児島空港からも車で1時間半ほどはかかる本土のほぼ最南端のまち。例に違わずここも人口減少、高齢化が進んでいる。私達が地域のあり方を考えるとき、どうしてもその課題と現実から考える。しかし、錦江町の自治体は、まちのあり方を「未来づくり」としている。現実の重圧に潰されない。諦めない。それにはどうしたのか。錦江町に暮らす人々の発想と暮らす力に託したのだ。
打ち出したのが「認知症フレンドリーコミュニティ」である。
まちを上げて6つのテーマに取り組む「Our Project」である。全く異なるいくつものテーマでの取り組みは、地域住民の暮らしの発想力によるところが多い。暮らしは一つのテーマの中に閉じることはない。そしてこのことは、これまで見えてこなかった課題や可能性を浮き上がらせることにつながっている。地域の人々の側から汲み上げるようにしてカラフルな未来が浮き上がる。かけがえのない地域の風景が人々を励ましているようだ。

そして今回の「まち大賞」でぜひ触れておかなければならないのは、選考委員特別賞として受賞した能登半島の被災地の人々の存在である。
「輪島・ごちゃまるクリニック」「石川県地域密着ケア連絡協議会」が受賞した。

被災地の受賞となると、それは甚大な被害への「支援や応援」と思うかもしれない。もちろんそれは大切なことだが、この受賞は実はそうではない。受賞理由は「まちづくり」なのだ。
能登半島被災地の人々は、根源的なつらさと困難の中からふたたび復興に立ち上がっている。しかもそれは創造的復興(Build Back Better)と言われる自分たちの主体が担う究極の「まちづくり」なのである。それは単に地域の復興と言った次元を超えて未来をひらく取り組みであり、その意味合いからすれば、この社会全体の復興を担っていると言っていい。
わたしたちの「まちづくり」の本質が凝縮された形で、この半島で始まっている。

これまでの災害支援が、「何を造るのか」という復旧なのに対し、被災地の人々が取り組む創造的復興はまさに「何を残すのか」というそこに暮らす人々自身の「いとなみとなりわい」を取り戻すことである。いのちはぐくむふるさとを取り戻すことである。
「まちづくり」とはいのちと暮らしをつなげること、その一点に祈るような想いを注ぐ能登の人々から、実は私達の共生社会は励まされていると言ってもいい。

その事をもって、ここに能登半島被災地のすべての人々に、「認知症とともに生きるまち大賞・選考委員特別賞」を贈呈させていただく。

|第305回 2025.1.24|