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認知症の予防

コラム町永 俊雄

「認知症のいちばんの予防策は、認知症になる前に亡くなることです」
と、ある専門医は言った。ちょっとブラックだけど真理でもある。ここには、高齢化で誰もが認知症になりうること、そして今のところ確かな予防策はない、という二つの真理が込められているからだ。
そうは言ってもなあ、凡人は悩む。
「認知症になったらどうしよう」誰もがふとしたときに不安に駆られる。
エート、今日は何曜日? うちの郵便番号? 平成と西暦がグチャグチャだあ。
そんなとき、自分の脳みそのどうも海馬のあたりがムズムズと縮み始めているような気がする。(あくまでも気がするだけです)
考えるほどに思い当たることも多く、自分の奥さんの年齢がわからなくなったのは、単に知るのが怖いからなのか、認知症の前兆であるのか、それさえもあやふやになる。不安だ。

そうだ、認知症の予防には確かワインだ。それも赤ワイン。なぜかそのことだけが鮮明に記憶に残っている事自体が問題なのだが、で、赤ワイン。そうそう、これこれ、ポリフェノールがいいのだ。 聞きかじりの知識である。 ウーム、海馬のあたりがポカポカしてきたような気がする。(普通しません) もう少しいくか。さらに飲む。そのうち赤ワインのポリフェノールの効果をアルコールの弊害がとっくに帳消しにして、もうろうとして夜は更け、翌日の二日酔いで確実に脳みそのダメージだけが残ることになる。

私たちの「認知症フォーラム」でこの認知症の予防について、どう取り上げるか。
誰もが「認知症になったら」と不安を抱く。だったら予防である。関心も高い。しかし、この「認知症の予防」を取り上げるとき、私の中にかすかにためらいがある。なぜか。
フォーラムの会場には多くの当事者が来場する。会場前列はたいがい、認知症の人を伴った介護家族の人だ。必死の面持ちでフォーラムの話し合いを見つめている。その人々に「予防」はどう受け止められるのだろうか。その人々を疎外することにならないか。「もう、私たちは手遅れ」と悔恨だけを与えることにならないのか。

「認知症の予防」を考え直そう。
「予防」するということは、認知症に「ならない」ようにすることではない。それは認知症の発症と進行をできるだけ「遅らせる」ことだ、と。
誰もが認知症になる時代なのだ。予防は大切だ。もっともっと予防の取り組みがあっていい。そして予防することで発症と、仮に認知症になってもその進行を遅らせる。うまくすれば(と言っていいのかどうかだが)認知症になる前に亡くなることになる。天寿の全うである。

認知症は、決して「なってはならない病気」ではない。認知症を排除するのではなく認知症とともに生きる社会の中で、初めて「予防」が意味を持つ。
「認知症の予防」を語るとき、それと同質同量、あるいはそれ以上で「認知症になっても大丈夫」な医療と介護と地域社会が語られなければならない。

私はそのようにして、「認知症の予防」をフォーラム会場前列の人々に胸はって語りかけたい。

| 第5回 2010.8.2 |

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