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ご隠居さんの「地域包括ケア」

コラム町永 俊雄

「地域包括ケアシステム」という言葉を聞いたことがおありだろうか。
一般の人にとってはなんとも馴染みない言葉である。「地域包括」ということ自体、どうにも座りの悪い日本語だ。 「ケアシステム」と言っても、自動入浴リフト装置ではないらしい。なんせ、「ケアパス」の話を聞いたお年寄りが、「ほんじゃ、それで市バスは無料で乗れるんやろか」と聞くのも無理は無い。
でもね、いちゃもんばかりつけてはいるが、実はこれからの少子超高齢社会には、この「地域包括ケアシステム」というのは欠かせないカンヴァスなのである。厚労省の解説にはこうある。
「可能な限り住み慣れた地域で、自分らしい人生を最後まで続けることが出来る(ようなシステム)」
なるほどなるほど、いいじゃないか。では、お手並み拝見。とまあ、普通そうなるね。でもお手並み拝見ではなくて、そうするのは地域のあなたなのだ。 そう、誰かがやってくれることでなくて、それぞれの地域の人々が自分たちで作るのが、この「地域包括ケアシステム」なのである。では、どうやって自分たちで作り上げていくのか。

落語の世界には、よく長屋が登場する。長屋を知りたければ、山本周五郎の人情物だとか、あるいは宮部みゆきの時代物をお読みいただきたい。 で、その長屋なのだが、言ってみれば集合住宅。現在の集合住宅をマンションとすれば、駅前の利便性高く、長距離通勤と長時間労働のライフスタイルにぴったりだし、何より鍵をガチャリとかければ近隣の煩わしい人間関係を気にしなくていい。
だから若い核家族世代に受け入れられた。そのマンションを長屋と比べるのは、マンション住民にはいささか申し訳ないが、長屋の性格はマンションと真逆である。濃密過ぎる人間関係は、筒抜けの会話と飛び交う噂で成り立つような住環境である。

落語の世界での長屋のレギュラーの登場人物をみてみよう。 まず、ご隠居さん。実はこのご隠居さん、いつも他の住民から「ご隠居さん、すっかりボケちまって」なんて言われているから、きっと初期の認知症。 で、そう言う熊さん、八っつあんだって、いつもブラブラしているから、ひょっとしたらワーキング・プア。 おなじみ与太郎だって「また、ヨタやってんじゃねえよ」と言われてばかりで、これも軽い知的障害があるのかもしれないし、いつも背に泣く赤子をゆすりあげ、コメカミに膏薬貼っているおカミさんは、これまたシングルマザーかもしれないのですな。
でもね、何か事あればやっぱり「ここはご隠居さんに聞いてみよう」と一目置かれているし、与太郎だって「しょうがねえなあ」と言われながら、誰もが気にかける大事な仲間。 その与太郎を陰になり日向になり支えているのが熊さん、八っつあんとおカミさんなのである。
「認知症と共に生きる」とことさら言うまでもなく、わいわいがやがや、貧しくても寄り添って言い合って支えあって、ビンボー長屋の毎日にかけがいのない暮らしが流れていく。

これを現在の福祉施策は、認知症施策、障害者施策、非正規雇用対策に生活困窮者支援といった具合にそれぞれを別個の社会問題に分断して施策の対象にしていく。 だから、マンションのスティールドアの向こうで孤立する人々が余計に見えなくなる。 長屋の住民のように寄り添い支え合って、高齢者も子供も認知症の人も、笑顔で「包括」した暮らしの繋がりができるといい。それが「地域包括ケアシステム」なのだ。
愉快で笑いに満ちた共同体のくらしは、もはや落語の世界にしかないのだろうか。 打ち捨てたもののかけがえのなさを嘆くばかりではなく、「地域包括ケアシステム」に、かつてあった懐かしい暮らしの豊かさを蘇らせたい。

| 第23回 2015.11.9 |

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