▲「自分らしく」「地域力」「共生社会」を並べるとその広がりを支えるようにして「認知症」が浮かぶ。右下は宮古市のHPより「住めば宮古」サイト。
岩手県宮古市で講演をしてきた。
宮古市には、浄土ヶ浜というまさにこの世の浄土のような景勝地があり、学生の頃行ったことがある。
今回、宮古市に行くには盛岡まで行って、そこでさらに特急バスに乗り換えてたどり着く。本州最東端のまちであるから、そうそう容易にはたどり着けない。
宮古市とはどんなところか。
宮古市のホームページはのけぞるほどにユニークで出色である。と、私は思う。
そこには「住めば宮古」というネーミングの移住定住を応援するコーナーがあり、宮古に住む人々の声が生き生きとした写真とともに載せられている。
ホームページには美しい宮古の海を背景に、看護師や消防団員やパティシエなど、ここに暮らす人々の声が笑顔と共に溢れていて、そこにこんなコメントが躍っている。
「大きなショッピングモールもなければ遊ぶ場所も少ない。でも日々の暮らしを楽しむ人の声を聴けば、みやこというまちが見えてくる」
「宮古は何もないまちではない。ここには暮らしのちょうどよさがある」
「暮らしのちょうどよさ」
そうか、これか。経済社会の繁栄に踊らされ、前のめりだった私たちがこれまで振り捨ててきたものが、これか。
さらに「宮古ってこんなところ」というページには、宮古の各項目の評価の星が並んでいて、「ウミネコにまとわりつかれる度」が星5つで、祭りの「盛り上がり度」も星5つ、「人口密度」が星ひとつ、などと、軽やかな遊び心を装うその裏には、自分たちの地域を見る確かなまなざしがある。「お仕事」の項目のコメントには、「年収は低いはずなんだけど、助け合ったり楽しんだりで、なんだかんだ意外と生活できる」とある。
このどこまでもポジティブなおおらかさはなんであろう。
私たちは地域を語るときには、ほとんど常に高齢化率、人口減少、地場産業の衰退などのデータを示すことから始める。実際に宮古市も高齢化率、人口減少は切実な現実である。しかし、そのようなデータで人々を震いあがらせて、果たして地域は生き生きと動くのか。
このホームページに見られる底ぬけに明るい声とまなざしは、データが示す陰惨な未来に絡みとられるのではなく、そこに暮らす一人ひとりの声から立ち上がる未来なのである。
「暮らしのちょうどよさ」「なんだかんだ生活できる」
こうした暮らしの中の声から積み上げていく地域社会のあり方は、行政発想の課題と解決の枠組みを解体して、自分たち一人ひとりの暮らしの中の福祉の発信力を信じることから生まれている。
宮古市社会福祉大会の私の講演のタイトルは、「『自分らしく』を作るための地域力~私たちの認知症とあゆむ共生社会~」だった。
最近はこの「自分らしく」と「地域」、そして「共生社会」といった用語がセットになった講演タイトルが多いようだ。どれも平易な用語なのだが、こうしてつながったタイトルを読むとき、地域の切実な声のように響く。とりわけ「私たちの認知症と歩む共生社会」には、覚悟や決意の奥行きがある。
講演会場までの迎えの車は、シャッター商店街や閉鎖された大型店の街路を通り抜けていく。
だから、会場に詰めかけた地域の人々を前にして、お決まりの講師紹介のかなり「盛った」コメントに身をすくめながら壇上に立つとき、いつもかすかな怯えが走る。私の言葉は地域の現実を突き抜けて、人々の思いに届くのか。
空疎なキレイゴト、安直な正解、上からのリッパな言葉は、たちまち見透かされる。
私はまず、講演のタイトルの「自分らしく」と「地域力」、そして「共生社会」のキーワードを切り出して、この3つの言葉はそれぞれ別の言葉でありながら、それぞれが強くつながっている。互いに呼び合っているようでもあり、音叉のように共鳴共振しているようでもある。
それはなぜだろう、そんな問いかけから話し始めた。
私は、今各地で「自分らしく」「地域」「共生社会」をカードの札のように並べることから始まる新たな動きを感じている。現実の不穏な敵に、切り札として並べられる3つの言葉。
勝負のときなのである。この少子超高齢社会をいつも不安と怯えの中に描くのではなく、宮古の輝く海と空に描くように、自分たちのはじける思いで地域をデッサンする。描くことができる。
描くための絵の具は鮮やかな色彩の「自分らしく」と「地域力」と、そして「共生社会」。
カンバスは、広々とした「私たちの認知症」なのである。
よっしゃあ、という感じがしませんか。
では、「自分らしく」と「地域力」と「共生社会」を並べたときに見えるものは何か。
難しく考えることではない。3つの言葉は順にたどるほどに豊かに広がるイメージを持っていることに気づくはずだ。
「自分」がいて「地域」の中に歩みだし、そうした人々が集まって「共生社会」へと広がりながらつながっていく。
「自分らしく」という一人ひとりの物語から始まるのが地域社会なのである。
でも多くの人はいきなり大きく、「地域社会」や「共生社会」から語り始めるから、そこに「自分」がいなくてもいい誰かの物語になってしまう。
一人ひとりが主人公の「自分」から始める。でもなぜ「自分」ではなく、「自分らしく」なのだろう。それは、「自分らしく」とはひとりでは見えないものだからだ。
絶海の孤島にたったひとり漂着したあなたが、「よしっ、これからはここで自分らしく生きよう」と誓ったところで、通りかかったウミイグアナに鼻で笑われるだけである。
「自分らしく」はひとりでは成立しない。「自分らしく」とは「共に生きる」ことであり、自分と他者との関係性に生まれる。となると、それはそのまま「地域」の中に関係性を行き来させる「地域力」となっていく。
そしてそれぞれの異なった「自分らしく」がともに生きるとき、その違いを組み合わせすり合わせることで力強く推進されるのが、「共生社会の実現」なのである。
このようにして今、私たちは「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」を手にしている。自分らしく暮らすための共生社会として。
この岩手県宮古市の講演タイトルには副題に、「私たちの認知症とあゆむ共生社会」とある。
これは私には、認知症基本法を自分たちの暮らしの中に引き受けた宣言と聞こえる。
とりわけ、「私たちの」と優しく言い添えるその言葉に、それはまるでこの共生社会のあり様を自分たちの暮らしの言葉で語り合うような、そんな手応えのある言葉として控えめでありながらこころに響く。そして「認知症とあゆむ」の「あゆむ」とは日々の暮らしの実感からきている。
しっかりと暮らしに引きつけた言葉、「私たちの認知症とともにあゆむ共生社会」
ここに暮らす人々は、認知症の人々と共生社会のつらなりに無意識ながら、深い共感を抱いているようの思える。
それはどこからうまれているのだろう。
この人々はかつて筆舌に尽くしがたいつらさと困難をくぐり抜けた人々だった。
2011年3月11日、東日本大震災。宮古の堤防を乗り越えて町を呑み込む真っ黒な津波映像を見た人も多いだろう。凄惨な震災体験を生き抜いた人々が、今、この会場に詰めかけて私の講演を聴いてくれている。
かつて認知症の人々は、診断によって「自分らしさ」を奪われ、そこから地域に歩みだし、ともに生きることを人々に呼びかけ続けた。
「自分らしさ」も「地域」も「いのち」「人生」もろとも、震災で根こそぎ奪われた宮古の人々もまた、そこから営々と地域をつくり直し取り戻し、互いの「自分らしく」を確認するようにして、ここまで歩んできたのである。その体験が、きっとリアルに「私たちの認知症とあゆむ共生社会」につながっている。
宮古のホームページをおおらかに飾る笑い合う人々の奥底に秘めた困難に立ち向かう意思には、ブレることない「自分らしく」があるにちがいない。
私達の未来としての共生社会の先行モデルは「地域」にすでに始まっている。
文化人類学者の山口昌男が、社会は「中心」と「周縁」から成り立ち、「中心」は秩序を担うが硬直化しやすく、対して「周縁」はそうした「中心」を組み替え、人間存在の豊穣性を再生産し続けるとしたのは、随分以前の論考である。
震災体験も「認知症」も、高齢化や過疎も、その弱みを共生へと押し広げるとき、弱さの強みを生み出し、「周縁」の人々の「暮らしのちょうどよさ」という豊穣性の再生産につながっている。
自分らしい暮らしのちょうどよさ。考えてみませんか。
|第299回 2024.11.20|