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東京のどまんなかで地域を創る 〜港区・地域ミーティング〜

コラム町永 俊雄

▲東京港区の地域ミーティング。上段は、左から共催の福祉法人の柴山延子さん、丹野智文さん、山中しのぶさん、町永氏。

東京港区の白金高輪という地域は、富裕層の街、閑静な住宅街におしゃれな店とレストランやブティックといったイメージで、東京下町のガサツな職人の街で生まれ育った私は、わけなく反感を持ったりして、どうも下町と山の手と言うのは仲が悪い。たぶん。

だいたい、あのあたりのレストランにでも行こうなら、どうも下町育ちのソワソワ感拭いがたく落ち着かない。カード残高、ダイジョブだろな。
とか、はるかな自分を思い起こしながら、その港区の白金高輪駅前の区民センターで地域ミーティングを開いた。

「認知症とともに生きるまちへ!地域ミーティング」は、全国各地で開催している。
これまで、秋田、岡山の津山、函館といったいわゆる地方での開催が多かった。ついでに言えば、この「地方」という言い方、なんとかならないのかとも思ったりするのだが、京都の人にすれば、東京に行くのは「都落ち」らしい。東京も地方なのだ。

今回は、港区という高層ビルの街での地域ミーティングである。地域特性としては、これまでの「地方」での開催とはかなり違う。果たしてどんな話し合いになるのだろう。
開催する私たちも、共催の港区の高齢者地域支援課の人たちもわからない。そしてそこが興味深かった。

地域ミーティングには今回も、丹野智文さんと山中しのぶさんが参加した。最初に私と三人で、今の認知症に関しての当事者の思いを中心に提起し、それからがグループに分かれての話し合いである。
グループミーティングは、だいたい10人ずつに分かれて1時間半の話し合いだ。
この話し合いの設定が難しい。議論ではない。答えも成果も出す必要はない。代表者の発表もしない。そもそも代表者を置いていない。誰もが飾らない自分自身の言葉と自分の感覚で自由に語り合う時間と場にして欲しい。
とかくこうした語り合いには誰もがつい「福祉」を念頭に置いてしまいがちで、となると、どうしても正しさや課題や成果に傾いていく。無論それは大切なことなのだが、「福祉」の枠組みから語り始めると、どこか知らない世界の、暮らしの実感から離れた「立派な」地域しか浮かんでこない。
この地域ミーティングの主人公は、地域住民なのである。主人公というのは、地域を創る人々である。

私自身は、ときに話に加わったり聴き込んだりしながら、それぞれのグループミーティングを回った。
あるグループでは、麻布のタワーマンションに住んでいる人の話から始まった。麻布や六本木やタワーマンションといった言葉が行き交う地域ミーティングというのも、何かスゴイな。
そうしたタワーマンションに住んでいて気がかりなのは、とにかく人との関わり、つながりが希薄だということだった。

「この街は人はいっぱい行き交うのに、孤立している」
その人は今、NPOの高齢者支援の取り組みをしているという。
「私ももう歳だから、自分のこととしてもなんとか他人との関わりを作らなくてはと思っている。でもここの人は、他人には干渉されたくないというライフスタイルなのね。そして何かあっても、このマンションはセキュリティが厳重だから、オートロックを解除できるのは救急隊しかいないとか言われているほどなの。隣合わせに住んでいながら、孤立死は現実の課題だわ」

この街の高齢者支援にあたる社協の人は、
「ここの住民は社会体験が豊富ということもあってとにかく、人のお世話にはなりたくない、人の迷惑にはなりたくないという思いが強い。それは同時に支援の糸口を遮断されているようなものだ」
と、支援につながらないことを語り、そこに孤立する高齢者への支援の難しさを語る。難しさは、それぞれの個人の社会体験の成功に裏打ちされていて、なかなか口を挟めない。
そうなのよ、と誰もが頷きながらも、ではどうすればいいのかと、互いの顔を見合うばかりだ。

地域ミーティングでは、若い世代の参加も呼びかけている。
今回もこの近くの明治学院大学社会学部の学生たちが、会場案内から受付などを担い、そしてミーティングにも参加してくれた。
いうまでもなく「認知症とともに生きるまち」というのは高齢者だけのテーマではなく、むしろ次の世代の社会なのである。

孤立しつつも、助けは求めたくないとするこの街の高齢者の暮らしとどうつながればいいのか。
「どう思う?」グループみんなの目が、そのひとりの女学生に注がれた。
「うーん」、怖そうなおばさんたちに囲まれて、まずは慎重に言葉を選ぶ。
何を言ってもいいんだよ。この人たちにとってあなたが希望なのだ、と傍の私は心の内でつぶやく。

その学生はこんなことを語った。
「私は小さなときから、父母に挨拶はしなさいと言われて育った。だから実家の近所の人には必ず挨拶した。おはよう、こんにちは。それは当たり前のことだと思っていたが、進学してここに住んでみたら、誰も挨拶しない。自然と私も挨拶しないまま過ごしている。
私は、小さな頃からお祭りが好きだった。みんなとワイワイ一緒になれるお祭りが好きだった。
ここにはお祭りがないんですね。縁日くらいかしら。縁日ではあまり話が交わされないような気がする。あ、すみません、ちっとも答えになっていないんですが・・・」

素晴らしい答えだよ。あなたは希望なんだ。うなずくみんなの表情がそう言っているだろ。

またあるグループには、高知からの山中しのぶさんが参加していた。

港区のグループミーティングには、土地柄だろうか、どちらかと言えば高齢者支援や認知症への問題意識、見識が高く、実際にNPOで支援に関わる人も多かったようだ。

そのこともあってそのグループでは専門職も交えて、それぞれの取り組みの課題が語り合われていた。それぞれの取り組みは、利用者の介護度や認知症のことなど考えあわせると、どうしたらいいのかの正解が見つからない。それぞれの取り組みを通しての課題は多様で、誠実に向き合うほど話し合いは煮詰まる。重い沈黙が流れた。
それまで聴いていた山中しのぶさんは、そのとき、高知の言葉でこう言い放った。

「正解か不正解かなんて、誰にもわからん。その人にしかわからん!」
高知言葉の迫力か、高知ハチキン女の迫力か、一瞬みんな息を呑み、そして次には誰もが深くうなずいた。

山中さんは、「皆さんのいうことは、それは支援する側の見方です。そうではなく、当事者の側の思いから組み立て直すと見えてくるものがあると思います。皆さんは正しい取り組みについてお話しですが、それが正しいかどうかは、「その人」の声を聴けばいいのでは。いかがでしょうか」ということをたぶん言いたくて、それをしのぶさんは自分の言葉で一発で言い当て、誰もの気づきを生んだのである。

この地域ミーティングのこの街の参加者は気づいている。
傍目からは、人も羨む豊かでおしゃれな街ではあって、そこに暮らす人のつながりは希薄だ。ぎっしりとした群衆の孤独が、この街にある。どうすればいいのだろう。

一人ひとりが自分を小さくてもいいので変えてみてはどうだろう。
たとえば、「干渉されたくない。お世話になりたくない。迷惑をかけたくない」は、確かにこの街の人のライフスタイルで、自分の人生に培われた自負なのだろうと思う。しかし、迷惑をかけたくない、お世話になりたくない、というのは「ともに生きる」ことを手放すことだ。

認知症の当事者の丹野智文さんも山中しのぶさんも自身の不安と絶望から、自分の弱さを公開し、そのことでいまこの社会を「認知症とともに生きるまち」へと大きく進ませている。

迷惑をかけるといってもトラブルを起こすわけではない。お世話になる、迷惑をかけるというのは互助が行き交う地域社会の創造につながる。

そして、ひとりの女学生が語った。
「ここには挨拶がない」
豊かな街の隙間風の防ぎ方を、私たちの未来の若い世代から教えてもらったのである。
オートロックを解除するのは、救急隊だけではない。挨拶というほほえみの関わりが解除する。

地域ミーティング終わって、誰もが、そうはいってもこの街の厳しい現実や、語り合うことでかえって浮き上がった多様な課題を口々に感想としていた。
しかし、感想を言い合いながら、その表情は誰もが晴々としていたのである。

地域ミーティングをしたからといって、すぐに成果が出るものではない。ただ語り合った人々の晴々とした表情が、「ともに生きる」ことを実感していたようだった。

「正解か不正解かは、誰にもわからん。その人にしかわからん」
地域は変わる。地域に暮らす一人ひとりの「その人」が動く。

▲地域ミーティングのグループトーク。熱弁の山中しのぶさん。学生、専門職、高齢者、認知症の人、NPOの人、地域の人々誰もが語り合う。

|第298回 2024.11.7|

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