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コロナの時代だから見つけられた大切な秘密とはなにか

コラム町永 俊雄

▲長野県佐久穂町と小海町の境にある10月の白駒の池。うっそうとした苔の原生林をぬけると宝石のような白駒の池が現れる。くぐりぬける時代の向こうに私たちは何を見るのだろう。

私の友人で長野県の小海町という美しい高原の町で地域医療に取り組んでいる医師がいる。
人間性の豊かな人で、いや、人間味があると言った方がいいのかもしれない。なんせあの新海誠監督の「君の名は」の舞台というか聖地は小海町なんだぜえ、という感じで自慢したかと思えば、ラグビーにはひとかたならぬ関心を持ち、先日のラグビー大学対抗戦の早明戦には、誰に頼まれたわけでもないのに、やたら前景気を煽っていた。(ワセダは負けてしまったが、そのことはこの際関係ない)

で、その人、由井和也医師がラグビーについてこんなことを言っていた。
「ラグビーというのは、それぞれのプレーヤーがそれぞれの役割を持っていて、まるで多職種連携の見本のようだし、なによりどこに転ぶかわからない楕円球を後ろにしかパスできないルールで、しかもひたすら前に進む。まるで人生のようじゃないですか。」

どこまで続くかわからないこの新型コロナウイルスとの日々の中で、人はこの事態のカオスの中に、本質的な何かをふいにまなざしに捉えることができるようになったのかもしれない。困難の中に希望をつかみ取るようにして、大切な秘密が不思議な感覚で見えてくるようになったのかもしれない。

由井和也氏の言葉を繰り返せば、それ自体がパラドックスのようにして、あの楕円球を、途切れないようにただ後ろへ後ろへとつなぎながら、しかし目指すのは「前へ!」なのである。
この寓意は、今の私たちの目指す社会なのではないか。後ろへ後ろへつなぎ続け、そして前へと進む私たち。

由井医師が地域医療に取り組んでいる長野県南佐久郡の小海町は、人口4500人というまことに慎ましく人々が想いを寄せ合う町だが、そこにもこの国の重い現実がのしかかり、高齢化と人口減少の中にある。
地域医療とはプライマリ・ケアと言われるように地域の健康と人々の暮らしを包摂し統合するヘルスケアのサービスである。言い換えれば、地域共同体を支える基盤といっていい。プライマリ・ケアとはいつもその後ろにはパスを受ける人がいることで成り立っている。

プレイヤーは高齢者であり、そして単独世帯か老老世帯である。彼らとチームを組んで、後ろへ後ろへとパスを回し、一歩でも前に進む。パスのつながりが途切れれば、楕円球はどこに転ぶかわからない。タッチラインを割れば孤立へと落ち込むかもしれない。

地域医療の現実は、地域住民と専門職のプレイヤーたちが、ワンチームとなってそのような連携を危うくつなぎながら、ひたすら前ににじり進む。見事に生き切ることができる地域と人生へトライするために。

この社会はともすれば、他者に抜きん出て、ひとり駆け抜けることを目指してきた。成功とはそうした勝者の栄冠だった。そうだろうか。駆け抜けたものが振り向けば、うしろには誰もいない荒涼とした地域社会が広がっている。小子超高齢社会とはそうした姿をしている。つながりや共に歩むことを止めれば、そのまま無惨に解体されていく。

私は全国社会福祉協議会のボランティア部会の運営委員の末席にいるが、10月に「ボランティア・市民活動シンポジウム」が開催され、その抄録の冊子が手元に届いた。

それによれば、記念講演をしたのが東京大学名誉教授で社会事業大学学長の神野直彦さんである。
「危機の時代のボランティア・市民活動の使命」と題したこの講演会もまた、このコロナの時代に「過剰な対策は本質を見失ってしまう」という神野さんの想いのこもった講演だったと思う。
その中で神野さんが語ったのは、こうしたパンデミックは過去にも大きな時代の転換期に経験したことであり、ヨーロッパの全人口の三分の一が亡くなったペストは、人類の農業社会から工業社会への転換期を襲い、スペイン風邪は軽工業社会から重化学工業への転換期を襲った。
そして今回のコロナ禍は工業社会からポスト工業社会への移行期を襲っている。問われているのは、私たちはポスト工業社会をいかに形成できるかだと神野さんは問いかけている。

そしておぼろげながら見えてきたものは、ポスト工業社会とは、「所有(having)要求」から「存在(being)要求」への転換だとする。これまでのひたすらモノを所有する豊かさの追及から、これからの時代は生活様式の充実、人と人との関係で充足される要求なのではないかと語っている。

それは言い換えれば、欲望の奪い合いから幸福の分かち合いへの転換であり、神野さんはその実現には、一人ひとりの自由な意思と自発性によって参画するボランティア・市民活動が社会を変えていくと期待している。(全社協・ボランティア情報No.522)

神野直彦さんのこの言葉はまさにそうだと思う。今、認知症の人と共に歩み出した地域や、まちづくりや認知症カフェや居場所など、みんな人と人とのつながりの実感であり、幸福の分かち合いなのだ。

一人ひとりの自由な意思と自発性によって分かち合う社会。一人ひとりが小さなものや弱いものがつらなる後ろへとつながりながら、前へと進む共同体。
経済の碩学と、地域の現実に向き合う医師の志とが、このコロナの時代のノイズの向こうに、期せずして、新しい時代の同じ風景を見つめている、私にはそう思えてならない。

感染の急拡大のこの時期、後に続く人々を信じて後ろへ後ろへパスを回し、そして前に進む。「コロナに負けない」とはこういうことだ。感染対策の中での新たな社会と暮らしへの転換は楕円球を抱える私たちの側にある。

|第160回 2020.12.8|

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