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認知症と向き合う世界観

コラム町永 俊雄

ベストセラーの「ペゴロスの母に会いに行く」でよく知られた漫画家の岡野雄一さんと対談した。認知症の母との日常がみずみずしいタッチの漫画で綴られ、映画化もされた。
岡野さん自身は、当初、自分は母をグループホームに預けているのだから、母の介護のことを話す資格はないと思っていたという。でもその「会いに行く」という距離感がいいのでしょう、と私は話した。グループホームで適切なケアを受けている母親と週に2,3回会いに行く、その距離感がまさに「母に会いに行く」という感情をずっと維持させているわけで、在宅介護での困難は、いつの間にか「認知症」の側面だけに絡み取られ、自分の「母」に対する思いを喪失することにもなりかねない。岡野さんの場合は、ある意味理想的な認知症の親の介護体験だったのではないだろうか、そんな話をした。

その岡野さんの作品の中で私の好きなひとつに「爪を切る」と題したのがあって、それはホームの母の爪を切ってあげる光景から始まる。老いた母の爪が伸びているのに気づき、「短い指が短い指を持ち、爪を切る」「あんまい動かんとかい」「痛うせんとゾ」「パチ、パチ」と言った吹き出しとコメントで描かれた作品だ。そうして爪切りを終えると散歩に出かける。
外はおだやかに春めいている。通りかかった下校中の小学生と挨拶を交わしながら、母の車イスを押しての散歩だ。いつもの日常、いつもの散歩コース。そのコマ漫画に添えられた岡野さんのコメントがすごい。
「このたわいのない時間、のどかな景色の全てが」
「どれだけ大切でいとおしいものか、どれだけもろいものか」
そして、最後の一コマ。ふざけあって帰り道をゆく小学生の二人連れを母と見送る岡野さんはこうつぶやく。
「3.11以降ずっと考えている」

認知症の母の爪を切るという日常の、いちばん小さな光景、いちばん近くの人間関係が、実は3.11以降のこの社会のありようというものを探る、いちばん確かな視点になっているのだ。
ここには人が人と向き合う時の世界の強さと大きさがあざやかに描かれているのだと、私は思う。

| 第16回 2015.1.7 |

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