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認知症医療とがん医療

コラム町永 俊雄

認知症国家戦略の冒頭に今後の認知症の人の推計がある。2025年には認知症の人は約700万人。65才以上の5人に一人となる(現在は7人にひとり)。ここには誰もが認知症になる時代がくっきりと浮かび上がっている。だから、これまでのオレンジプランで謳われていた「認知症になっても住み慣れた地域の良い環境で自分らしく暮らせる社会」はそのまま踏襲したうえでさらに、「うーむ、これだけじゃなあ、誰もが関わることとして、もひとつ踏み込めんかい」「ははっ」といった会話が厚労省老健局認知症対策室あたりでかわされたのかどうか私は知らないが、最後の方に「認知症の人を含む高齢者にやさしい地域」が新たに柱立てられた。
まさに去年11月の東京での認知症サミットの国際会議で、各国の報告で盛んに言われた「ディメンシア・フレンドリー・コミュニティ(認知症にやさしい地域)」のパクリである。いや、パクリではなく、世界標準の記述として意味が大きい。

ところが意外なところに同じような記述があった。それは「がん対策推進基本計画」の中だ。平成24年に見直しされ、そこに全体目標の新たな項目としてこう加えられた。
「がんになっても安心して暮らせる地域の構築」
おんなじである。もちろん字句は違ってはいるが、そこに謳われているのは、疾病のみならず、地域や社会に目を向け、認知症やがんの人のくらしの困難にどう向き合うかという「当事者」の視点。いわば「医療モデル」から「社会モデル」への視線転換と言っていい。

認知症医療とがん医療は、その分野は大きく隔たっている。いや、対極にあると言ってもいいかもしれない。認知症医療はよく言われているようにかつて「敗北の医療」から始まった。残念ながら根治は難しい。しかしそこから始まった医療の形が認知症医療だ。本人のくらしの困難に向き合い、家族や介護、地域と連携を伸ばし、そうして「認知症になっても自分らしく暮らす地域」の構築に辿り着いたのだった。
対して、がん医療は華々しい。先進医療の典型として「がん僕滅。制圧」をかかげ、その進歩はそのまま患者の生存年数の改善につながった。がん専門医が、がんによっては治せると胸張って言えるまでになった。認知症とがん、同じ「医療」だが、それぞれ向かう方向はまるで「はやぶさ」と「のぞみ」ほどに違っている。青森に行くか、それとも福岡なのか、といった具合だ。
ではなぜ、このふたつの方向性を異とする医療が同じような「安心して暮らせる」「自分らしく暮らせる」社会の構築を打ち出しているのだろうか。

ひとつはその数だ。今2人に1人ががんになる。当然高齢化にともなって確率は高くなる。認知症もしかり。どちらも誰もが関わることとしての側面がますます膨れてくるだろう。
もうひとつは「当事者」の思いだ。がん医療が、がん患者の思いに向きあうようになった。手術が成功してもその後のくらしの困難、抗ガン剤のつらさや、再発への不安、就労の難しさ、その全てを患者の痛み「トータルペイン」として捉えようとしている。そこから緩和医療や就労支援など、当事者を起点とする医療を形作ろうとしているのだ。先行した認知症の当事者性と見事なまでに重なると、私は思う。

認知症医療とがん医療、今当事者の思いを交点として共通する新たな医療と社会の関係を浮かび上がらせようとしている。
「認知症になっても、がんになっても自分らしく安心して暮らせる社会」
それは私達の望む暮らしを支える医療の力でもある。

| 第18回 2015.3.31 |