▲ 2年前のこの頃、京都でのADIの開会式での大合唱。会合では立ち去り難くいつまでも語り合いが続き、熱気の中、言葉が躍動した。右下は、オーストラリアの当事者、ケイト・スワッファーがみんなに配った、しっかりとつながるコアラの人形。
「寄り添う」と言う言葉が嫌いだと言う人がいる。
あるいは、「向き合う」がしっくりこないと言う人も。
「希望」と言う言葉さえ出せば、誰もが納得すると言うわけではないと拒否感を持つ人も。
ふむ。なるほど。皆さんはどう思うだろうか。
「言葉」に罪があるわけではない。寄り添う、向き合う、希望、そのどれもが、私にとっては大切にしたい言葉である。でも、その大切にしたい言葉のそれぞれになぜ、違和感を抱くのだろう。やや切なく思うのは、こうした言葉への違和感を表明する人は、だいたいにおいて誠実懸命にそれぞれの「現場」を持っている人だと言うことだ。
最初にこうした言葉を、自分自身の、ある現場性の中で見出し、獲得した人にとっては、鉱脈から掘り出した原石のような「言葉」のきらめきに、たなごころに転がし握りしめ、あるいは胸に抱きしめるような思いだったに違いない。
「そうだ、この言葉だ。これが私の実践していることをまさに言い当てている」
「寄り添う」も「向き合う」も、そのひとの実践という幅広く多義にわたる活動と思いの全てを集約する原石の言葉だった。
近代言語学を拓いたソシュールによれば、言葉が通じると言うことは、意味上の伝達だけでなく、「感性も含めてその言葉の意味を話し手と聞き手が共有すること」としたという。
つまり、「寄り添う」と言う言葉は、その人の、他者との関係性でのふるまいや声、思いも含めた実践の価値観を、聞き手が「共有」することではじめて伝わった。
認知症の人に「寄り添う」。
当初、その言葉の新鮮な力に、誰もが自身の心深く共鳴するものを覚えたはずだ。
「寄り添う」、ささやくようにやさしく響くそのひとつの言葉が、認知症ケアを大きく変革した。
認知症の人のつらさや困難に、「なにかをやってあげる」介護に飛びつくのではなく、まずじっくりとその人の声を聴き取る中で、「寄り添う」という言葉が浮かび上がり、その言葉に導かれるような手探りが続き、それはやがて、互いをつなぎとめる共生と関係性の深さに至る。
そして、「寄り添う」の言葉が次々と人から人へ手渡され、「共有」され、広がっていった。
そのようにして、原石の言葉は、思いと実践の中を伝わる過程で丹念に磨かれ、ケアの行動原理として、宝石の輝きを持った。
しかし、言葉は風化する。ひとつの言葉が広く急速に流布する中で、そこに付随する意味合いが振り落とされ、実践と思いの裏付けが剥がれ、単なる音として消費され、そして、便利に使い回されていく。そこでは、ただ「寄り添う」と発音するだけで、何か立派に響く立ち位置を示すことができる功利の、キレイな言葉になり、その宝石の輝きは失われてしまう。
もちろん、実際にはそんな恣意的な使用がされているわけではないが、ただ、言葉の生まれる原初、その言葉に熱い思いと実践を注ぎ込んで、そこに「共有」に値する質量を与えてきた人々は、敏感に現在の言葉の変質と退化を嗅ぎ取り、その異議申立てとして「『寄り添う』は嫌いだ」という表現で警告しているのではないか。
あるいは、単に「キレイな言葉」に見切りをつけ、シニカルなポーズで、おとしめるようにして見捨ててしまっていいのだろうか。
「寄り添う」であれ、「向き合う」、「希望」、どの「認知症の言葉」も、重量のある思いをかいくぐって世に送り出された。その出自をたどってみよう。
例えば、小澤勲は、その著、「痴呆を生きるということ」の前文で、
「『ぼけても安心』とか『楽しくぼける』などとあまりに楽天的に痴呆を語ることはできない」と、ビシリと警策(きょうさく)を打ち据えるように前置きした上で、続く文にこう刻む。
「痴呆の悲惨と光明をともに見据えるために、また、生と死のあわいを生きるすさまじさと、その末に生まれる透き通るような明るさを伝えるために、この一文を書く」
ここでの「希望」への、斬りこむような覚悟はどうであろうか。
肺がんが全身に転移し生命の限りの中で、さらに小澤は気迫の言葉で、「希望」をこうも語る。
「痴呆のケアにあたる者は、痴呆を生きるということの悲惨を見据える眼をもたねばならない。しかし、その悲惨さを突き抜けて希望に至る道をも見いださねばならない。
希望の源はさまざまであり得る。しかし、痴呆を病むということは、人の手を借りることなく暮らし、生きていくことが困難になるということだから、ひととひととのつながりに依拠する部分が大きくなるということである。とすれば、希望はこの関係性に見いだされねばならない。」
目をそらすことなく悲惨を見据え、そこからひととひとがつながり、希望に至る道を見出いだせ、という強い行動の言葉だ。粛然とする。
では、認知症の当事者は、どう語っているのか。
クリスティーン・ブライデンは、2003年の初めての来日講演で、物静かにこう語っていた。
「認知症をかかえながら生きていく私たちには、自分の性格や人生経験から出てくる心の内なる豊かさというものがあります」
「認知症の人」ではなく「認知症をかかえながら生きていく私たち」という、15年前の表現自体がすでに希望への強い意志だ。そして同時にこの物静かなクリスティーンの言葉の背後の「喪失」の深さと重さを考えるとき、私たちは初めて「希望」への切ない想いと、それだからこその強さに触れることができたのだった。
クリスティーンの「希望」は自身の最も深い悲しみや痛みの中から懸命に探り当てた想いであり、そして「生きる力」なのだ、そう思う。
私たちは、こうした言葉を共有し、力としてきたはずだった。確かに広く多面的な場に当てはめる中で、言葉自体が色あせてきたところがあるのかもしれない。だからこそ、いま、言葉の背後の意味をめぐって語り合い、取り戻し、新たな意味を加えていく必要がある。
「寄り添う」とはどういうことか。
「向き合う」ことで何が変えられるのか。
そして、私は語るべき「希望」を持っているのだろうか。