▲ この夏、認知症当事者の本が相次いで出た。以前は自己犠牲に満ちたつらさを語る介護体験者の本ばかりだったことを考えると隔世の感がある。
最近になって認知症当事者の本の出版が相次いでいる。藤田和子さんの「認知症になっても大丈夫!そんな社会を創っていこうよ」、丹野智文さんの「丹野智文 笑顔で生きる」などなど。どんな人に読まれるのだろう。もちろん認知症に関心を持っている人たちが多いはずだ。でもぜひ、若い世代、できたら「認知症なんて知らないよ」という若い人、学生達に手に取ってもらいたいものである。
ここには「認知症の人」である以上に母であり、サラリーマンであることを通しての社会の接点からのメッセージが込められている。この社会はどうあったらいいのか、これから社会に歩み出す若者にはこれほどリアルで明快なヒントが得られる本はないだろう。就活に婚活に必携の本と言ってしまおう。
そもそも「認知症」を医療やケアのカテゴリーから解き放したと思ったら、今なお、認知症は「高齢者」と「福祉」の枠に閉じこめられているのではないか。
認知症当事者の話を聞きつなげていくと、そこには認知症を超えた普遍の力が読み取れる。これを子供達に伝えたい。いじめや引きこもりといった環境の子供達がきっと共感できる扉があると思う。大人の用意した「答え」があるのではない。子供達自身が自分の答えにつながる扉を本の中にきっと見つけてくれる。そして他者のつらさや困難への共感や想像の力、そして「生きる力」を自分の中にきっと育む。「認知症」へのスティグマを軽々と越えて、子供達はきっと大人よりもずっと素直に認知症の「人」と向き合うのではないだろうか。
当事者の思いは本のタイトルにも現れる。
丹野智文さんの「笑顔で生きる」。シンプルなメッセージだが、そのまま受け取るわけにはいかない。大体しょっちゅう一人で笑ってるとしたら、それはある種、ビョーキである。彼にもまた診断直後の泣きくれた日々があったのだ。だから彼の「笑顔で生きる」を創るのは、私たちだ、私たちの社会だ。誰にも涙の日々がある。そこから起ち上がり笑顔で生きるのは、一人ではできない。そのことを彼は呼びかけている。誰もが笑顔で生きる社会であれ、と。
藤田和子さんの「認知症でも大丈夫!」に、そう言われてもなあ、と呟くあなた。かつて認知症と診断され、その不安の中でただ途方に暮れ、キッチンの片隅で思わず膝を屈し涙を落とした藤田さんの日々を想え。だからこそ、だからこそ「そんな社会を創っていこうよ」と切実に問いかける。想いよ、まっすぐ届けという藤田さんのきりりとしたまなざしが副題に込められている。
これらの本はかわいそうな運命の人の話でもなければ、ハッピーエンドの本でもない。手に取れば、この本は涙でじっとりと重い。そこから一番確かな「希望」へとつないでいくのは、読者である若いあなた自身である。
▲ 7月29日に品川で「認知症当事者研究勉強会」が開かれ、藤田和子さんが「私と人権」と題して語り合った。認知症を超えて、確実にこの社会の変化と見るべきだろう。右下は厚労省認知症施策推進室長、田中規倫氏と町永氏。
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