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「認知症バリアフリー」と認知症官民協議会

コラム町永 俊雄

▲ 日本認知症官民協議会の設立式。認知症の人と家族の会の鈴木森夫代表、日本認知症本人ワーキンググループの藤田和子さん、丹野智文さんが、それぞれ発言した。「自分ごと」ということは「誰かがやってくれる」ことではない新たな時代の社会の創造がここから始まる。

これからは「認知症バリアフリー」なのだそうだ。
どうも「認知症にやさしい社会」が出たと思ったら、「認知症とともに生きる社会」だったり、「認知症でも安心なまちづくり」とか、看板が次々と変わる。

4月22日に、認知症官民協議会の設立式が開かれた。
認知症に対する取り組みを今後一層強化するために関係する国内の100近くの団体を集めての規模の大きな協議会である。

経団連をはじめとする経済界、銀行など金融、鉄道、バスなど交通、住宅、医療団体、学会など要するにこの国を動かすほとんど全ての関係団体が集結し、厚労省の講堂はダークスーツのオジサンたちがひしめいた。
その中で、認知症当事者の藤田和子さんの春らしいシックな装いと、丹野智文さんの軽快なカジュアルジャケット姿にホッとする。そうそう、認知症の人と家族の会の鈴木森夫代表の丸い頭も頼もしかった。

協議会の挨拶に立った根本匠厚生労働大臣は「令和の時代には、官民挙げみんな一緒になって認知症バリアフリーの社会をつくりたい」と呼びかけ、そしてその後にJDWGの藤田和子さんと丹野智文さんが中央に歩み出て「希望宣言」を紹介し、その宣言書を根本厚労相はじめ関係者に手渡した。
希望宣言がこの国中枢の政財界、産業界、閣僚などに、これほどしっかりと打ち込まれたのは初めてだろう。

この認知症官民協議会に至るまでの流れをざっと整理しておく。
去年12月、総理大臣官邸で認知症施策推進関係閣僚会議が開かれ、ここで安倍総理が「人生100年時代を見据え、2015年に策定した新オレンジプランにさらに更に踏み込んだ対策を検討し、速やかに実行していく必要がある」と述べた。
ここで予防の取り組み強化の必要も述べられ、一部ではそれまでの認知症との共生モデルからの転換かと言われたのだが、現在厚労省は、これを「認知症の共生と予防は車の両輪」としている。

共生と予防は車の両輪のロジックも気になるが、もう少し官民協議会への流れをたどれば、官邸の認知症施策推進関係閣僚会議(このいかめしい四角い漢字の羅列はなんとかならないか)を受け、今年3月には厚労省で「認知症バリアフリー」を推進する懇談会が持たれた。
この懇談会にはみずほフィナンシャルグループやイオン、小田急電鉄など多分野の民間企業の幹部が参加し、ここで根本匠厚労相は「認知症バリアフリー」を打ち出し、この言葉を全国に広めたいとした。

そしてこの22日の認知症官民協議会の設立式となったのである。
周到な積み重ねの上での協議会設立とも言えるし、官邸主導の既成路線、出来レースとする声もないわけではない。

協議会設立式に立ち会ったものとしては、新たな胎動として位置付けたいと同時に、どこか肌合いの違和感も感じざるを得ない。会が終わって、当日参加した介護福祉団体の代表者に聞いても、趣旨はよくわかるのだが、としながらどうも歯切れが悪い。
これまでも社会福祉分野への民間の参入では、かつて2007年の訪問介護最大手のコムスンによる不正で、利用高齢者6万人が放り出されたコムスン事件などもあり、福祉関係者にどこか、トラウマがあるのかもしれない。

民間参入―営利目的―金儲けー不正、というのはあまりに短絡的な連想だが、こうした連想を根付かせてしまったかつての厚労行政の脆弱さはあったろう。
しかし、今回はテーマが認知症である。かつてのようなサービスの提供と受益の関係性ではなく、認知症の人と共にこの社会を創造していこうという協働の合意は、少なくとも認知症に関わる人と地域には形成されている。

もうひとつの違和感の出どころは、やはり、産業界、民間企業の圧倒する存在感だろう。ここがどう動くのかよく見えてこない。
認知症バリアフリーというが、そのバリアを誰が認定するのか。これまでも各地のスーパーなどで、認知症の人や誰もが急かされないでレジで精算できる「スローレーン」などの取り組みが見られている。しかし、そこには必ず地域社会での認知症の人の顔があり、当事者の声の反映があったはずだ。
丸の内の高層ビルの壮麗な会議室で、銀ブチメガネをきらめかせてイタリアン・ブランドスーツのエリート社員が、「これこそが認知症のバリアですっ!」とビシリとパワーポイントでプレゼンして、認知症のバリアが認定されるのだろうか(やや、漫画チックにしてみた)。

バリアというものは、原則的に当事者視点からの提案であり、その声の反映としたい。
ちなみにこの「バリアフリー」と言うのは段差の解消など物理的障壁が主であり、より広く地域や個人の配慮、向き合い方を含む場合は、バリアフリーではなく、アクセシビリティ(accessibility)もしくはイージーアクセス(easy access)と言うらしい。
とは言っても、認知症アクセシビリティではいかにも馴染まない。ここはわかりやすく「認知症バリアフリー」を打ち出した戦略も、アリとしたい。

大掛かりな施策誘導は、シニカルに見ればいくらでも懸念するところは見えてくる。結局はシニアマーケットをビジネスチャンスとしての展開だろう、とか。あるいは認知症の当事者を広告塔扱いするだけではないのか、とか。
この手の論には必ず、手厳しい批判が出る。部分に正鵠を射ている場合があるとしても、そうなると今度は、次々により厳しく批判しあうことの競い合いの様相を呈する。
産業界や企業体というのは、邪悪な企みを持っているのであり、弱者で巨大マーケットを形成する高齢者層に、いつか牙をむくという予言には、私はほとんど関心がない。
無論、懸念を上げれば無数近くある。だから、やめい、というのではなく、だから、語り合おうというのが認知症の力だ。

認知症状況は令和の時代にはさらに限りなく開かれていく。雑多なセクターが関わることになる。基本的には、その流れは止められない、というか必然かもしれない。「自分ごと」であり誰もが関わることとで、「認知症とともに生きる」が打ち出された。

だから、ただ手厳しいだけの批判は往々にして「自分」を外していることが多い。他人事なら、いくらでも爽快な批判は展開できても、「自分ごと」として引き受けるということは、自分自身がこの社会の成員である以上、その批判が自分に向くことを受け止めなければならない。
もはや、この認知症社会は「誰かがやってくれること」でもないし、「お手並み拝見」と言う傍観を許すものではない。
その時、時代を動かし、「自分」だからこそできることは何か。

それは明確だ。
それは「私たち抜きに私たちのことを決めないで」

この、ただ一点を繰り返し打ち込み、原則とし、令和の時代の起点とすることだ。
認知症官民協議会、この新たな時代の組織が機能するかは、関わる全ての人々の心の中を「認知症バリアフリー」とすることから始まるだろう。

|第101回 2019.4.25|