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当事者支援は失敗が創る

コラム町永 俊雄

▲ 山田真由美さん、いつも笑顔が絶えない。が、この人も診断後の落ち込んだ体験から歩みだしてきた。一人の当事者の出現は、その周りの支援の形を育て、地域社会を動かしていくようだ。

岡山県笠岡市で、二日間認知症当事者の人たちと行動を共にした。
その一人、山田真由美さんは名古屋で「おれんじドア も〜やっこなごや」を開いて、同じ当事者の人の相談に当たっている。山田さんは認知症の当事者であると同時に名古屋市西区の専門部会委員でもある。
山田さんは空間認知が苦手だ。食事の時も器と自分との空間を測り難く、手を伸ばしたところに茶碗が無かったり、あるいは倒したりする。
移動も大変だ。下り階段で踏み出す先の段差がどれ程か、足先で探るようにして踏み出すが、これは転倒の危険と隣り合わせである。暮らしの中では着ることが難しい。穴がどこにあるのか、それがわからない。首と袖の穴を見つけたところで、そこに頭を通し、腕を通すという作業に大変な苦労をする。
山田さんのパートナー、支援者は名古屋市社協の石原千洋子さんだった(何人かでチームを組む)。ご自身、介護支援専門員、認知症ケア専門士であり、介護福祉士であるのだが、そうした専門性というより、常に寄り添い動きを見守り、一拍置くようにして絶妙なタイミングで手を差し伸べる。それは見ているとまるで二人が一体になったような動きである。石原さんが山田さんの杯にお酒を注ぐ。「はい、口を近づけて、もう少し前」と距離感を山田さんに教える。口が杯に届いて、クィッと飲み込む。二人同時に笑みを浮かべる。その拍子に手にした杯が傾いて、お酒がこぼれる。「あらーっ、やっちゃったあ」二人で笑い声をあげる。何か支援動作というより、きめ細かい心のやり取りのようなのだ。
ここにあるのは単に美しい物語ではない。おそらくは何度もなんども失敗を繰り返し、どうしたらいいのか悩んだはずだ。当事者支援は試行錯誤の際限のない繰り返し、トライアンドエラーなのだ。
が、実は当事者も支援者も失敗体験によって育つ。仮に何の失敗もなく支援が進むとしたら、それはどこかで「支援者」と「助けてもらう者」の関係が固定する。どうすればいいのかは、二人の間で、めまぐるしく言葉と身体のやり取りが交わされ、そして協働作業として進化する。失敗は二人の関係を相互のフラットな関係に組みなおす。だからパートナーなのである。パートナーは最初から、あるべき姿で立ち現れるのではない。それは固定したシステムというより、当事者と支援者の間で結ぶ心込めたひとつの黙約のようだ。
そしてもう一つ、試行錯誤の失敗には大きな力と意味がある。それはこの社会の構造的な欠陥を浮き彫りにする。繰り返す試行錯誤は、実はこの社会の空白、欠陥、変革地点を指し示す。認知症支援は、この社会はどうあったらいいのかを掘り起こす。成果だけの報告は大切な視点を見えなくし、失敗で流した当事者支援の汗と涙が、この社会を変えてゆく。

山田さんは難問に直面した。息子さんの結婚式があった。しかし、着付けができない。普段のシャツでさえ着ることが難しい山田さんの着付けをホテルにお願いできるわけがない。結婚式は諦めざるをえないか、そう思った。その時、山田さんの周りの人たちが立ち上がった。ホテルの担当者たちに「認知症サポーター講座」を受けてもらうことにした。着付けの人も宴会係も、メークの人もみんな講座を受けた。
披露宴には、しっかりと着付けた留袖姿の山田真由美さんの姿が見られた。息子の晴れ姿以上に晴れ晴れとした山田さんの表情だった。スピーチで山田さんが列席出来た経緯が紹介され、披露宴は拍手の中、誰もが涙々にかきくれた。
山田真由美さんがホテルの宴を「認知症にやさしい社会」に塗り替えた瞬間だった。

|第55回 2017.10.13|