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「認知症の人基本法」と「権利」を考える

コラム町永 俊雄

▲ 上段はこの「希望宣言」のリーフレット、日本認知症本人ワーキンググループのHPからダウンロードもできる。下段は「希望宣言」表明の記者会見の様子。左端が藤田和子代表。この希望宣言をもとに全国で「希望のリレー」を展開すると言う。

| 「希望宣言」の表明

日本認知症本人ワーキンググループは、11月1日に厚生労働省で記者会見を行い「認知症とともに生きる希望宣言」を表明した。
これは認知症の当事者本人がそれぞれの体験と思いを話し合いながら作成し、ここに「一足先に認知症になった私たちからすべての人たちへ」というメッセージが添えられた。
これは5月にワーキンググループが出した「本人にとってよりよい暮らしガイド(本人ガイド)」を出した時にも使われたメッセージで、この時は「あなたへ」となっていたのが、今回は「すべての人たちへ」とより広範な社会全体への呼びかけとなっている。
なぜ、今「認知症とともに生きる希望宣言」なのか。

| 「認知症の人基本法」へ

この「希望宣言」の背景には、今動きつつある認知症の「基本法」の法制化がある。9月には、認知症基本法の公明党案が出され、自民党でもこの12月には策定される予定だ。法制化の動きは加速し、来年の6月には国会提出されると言われている。
その中で、10月末に異業種の集まりである「認知症当事者勉強会」がこの基本法をめぐっての話し合いを持った。

報告によれば、課題は大きいと言わざるを得ない。
以前にも一部の政党で認知症対策の基本法が言われた時、当事者活動のメンバーは少なからず危機感を持った。「対策」であってはならない、と。いつまで認知症は「対策」されなければならないのか、と。

今、政党から出された案文もまた、基本理念の主語は全て「認知症施策」となっており、施策中心の策定だと考えられる。基本法である以上、主語は認知症の人とするべきではないだろうか。
一方で今、各自治体でも策定されているまちづくり条例案などを見ても、その柱は認知症施策中心の「対策」と「予防」となっているものが多い。

当事者勉強会で報告した元厚労省老健局長の宮島俊彦氏は、「認知症施策が主語になると、認知症の人は助けられるべき存在で『やってあげましょう』ということとなり、結果として認知症の人の主体が置き去りになる可能性がある」と懸念する。

| 権利をどう語るか、「障がい者制度改革推進会議」をたどる

ここで語り合わねばならないのは、認知症の人の「権利」についてである。
国際的に見ても、世界の認知症の人や団体が、発信の土台に据えているのが国連障害者権利条約であり、その「私たち抜きに私たちのことを決めないで」という理念である。
この「権利」をどう認知症の基本法に取り込むのか。これはすでに当事者や関係者の内輪での議論を超えた社会全体の「権利意識」「権利観」の問い返しと熟成が問われている。

実は、この国と社会での「権利」については、先行する議論プロセスがある。
2006年の障害者権利条約の成立後、国は批准に向けて国内での法整備を優先的に進めていくために、2009年に内閣府に「障がい者制度改革推進会議」が設置された。
メンバーの半数以上を障がい当事者で占め、会議の進め方もルビ付の平易な文章の資料、障がい者構成員(委員)がイエローカードを持ち、会議での言葉がわからない場合はカードを掲げて、わかりやすい言い直しを要求するなど、これまでにない画期的なものだった。
私自身、当時、制度改革推進会議については何本もの番組を取材し担当したこともあって、当事の新鮮な審議システムと熱気は今なお、記憶が鮮やかだ。

障がい者制度改革推進会議の2010年6月の第一次意見書では、その前文にはしっかりと「私たち抜きに私たちのことを決めないで」のスローガンを掲げ、その基本的考え方として次の項目をあげていた。

1.「権利の主体」である社会の一員
2.「差別」のない社会づくり
3.「社会モデル」的観点からの新たな位置付け
4.「地域生活」を可能とするための支援
5.「共生社会」の実現

どうだろう。会議の設置当初にすでに揺るぎない基盤としてまずもって「権利の主体」と「差別のない社会」を掲げ、続く項目も全て今の「認知症にやさしい社会」への必須項目である。ここにあるのは高々とした権利への志向と、あふれるような新たな社会創造への熱だった。

よく番組でもご一緒した制度改革推進会議議長代理の藤井克徳氏(日本障害フォーラム幹事会議長)は、権利についてはこう言っていた。
「権利条約では、『特別な権利を』とか『新たな権利を』とは一言も言っていない。権利について繰り返しているのが、他の障がいのない人との平等と公正である」

その後、推進会議は第二次意見書を取りまとめ、2011年8月に改正障害者基本法が成立した。成立当初は意見書に見られる障がい者の積極的な権利保障という観点はまだ不十分との批判もあったものの、しかしここに「権利」を基盤とした日本で初めての法律ができたことの意義は大きい。

| 「認知症社会」と「当事者性」

さて、ここまで障害者基本法改正に至るまでのプロセスを辿ってきた。
その上で、「認知症の人の基本法」である。もちろん、改正障害者基本法成立に至るまでは、国連の障害者人権条約を受け、内閣府による推進会議での議論といった濃密な審議プロセスがあったことなど、今回の認知症の「基本法」とは環境が大きく違う。

それでもやはり、認知症の「基本法」についての一般社会の関心のまるで希薄なことはどうであろう。認知症は誰もがなりうる当事者性が言われながら、多くの人がこの認知症の「基本法」の動きすら知らない。

その中で、日本認知症本人ワーキンググループは、「認知症とともに生きる希望宣言」を表明した。このことの意味は大きい。「基本法」の動きを強く意識しながら、この誰もの認知症社会はどうあったらいいのか、「すべての人たちへ」と呼びかけたのである。

確かにこの「希望宣言」にしても、権利の主体者としてのもっと奥行きある文言であって欲しかったと小さく思わないでもない。
当事者たちの宣言として、私たち市民の財としては、日本最初の人権宣言である「水平社宣言」や「青鞜社宣言」、認知症に限定すれば「月が欠けているように見えても、月が丸いことに変わりはない」の「お福の会宣言」などがある。関心ある人は読まれることをお勧めしたい。
ともかくも、今回のワーキンググループの「希望宣言」は本人たち自身の思いと体験から生まれた。大切な一歩である。

今後はさらに家族などの幅広い当事者の連携と参画で議論を積み上げることが必要だろう。時間はさほど無い。この「基本法」が、誰もが参加しての私たち自身の「当事者性」の確立につながる起爆剤としたい。

およそ一世紀前、日本の精神医学を切り拓いた精神科医の呉秀三は精神病患者の置かれた現実に、この言葉を残している。
「この病を受けたるの不幸の他に、この邦に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」

この重い現実は少なからず今もある。
「少子超高齢社会のこの国に生まれた不幸」を「成熟社会の希望と共生」へと転換できるかは、私たちすべての当事者の課題であり、この社会の基盤に「権利」を据えられるかの課題である。私はそう思う。
 

▼「認知症とともに生きる希望宣言」
http://www.jdwg.org/wp-content/uploads/2018/11/statement_leaflet.pdf

▲ 認知症基本法を考える時、改めて「障害者権利条約」を読み返す。批准に向けての会議のあり方も注目された。下段の写真は土本秋夫構成員が手にするイエローカード。当事者参画の具体的な工夫が議論を高めた。(内閣府HPより)

|第85回 2018.11.16|

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