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認知症基本法を語り合った 〜なにが変わるのかではなく、なにを変えるのか〜

コラム町永 俊雄

▲認知症当事者勉強会。右上、報告者の宮島俊彦さん、左上と右下、勉強会の様子。実はテーブルのこちらにもぎっしりと参加者がいる。左下、認知症の人と家族の会、鎌田松代代表。

認知症基本法の勉強会が開かれた。
勉強会はいつも三鷹にある認知症のクリニックで開かれるが、そこの診療が終わる夜になってだから参加者もまたそれぞれの仕事を終えてから集まってくる。学びのコモンズといった小さな志の集結である。
その日は、9月半ばを過ぎてもなお猛暑が居座る日だったが、夕方にしのつく驟雨が通り過ぎ、街並みには洗い流されたような新鮮な空気が流れ込んだ。

この日は、認知症当事者勉強会の世話人会だった。
11月に本会を開くに先立って、まずは運営する世話人たちが集まって討議する会だったのだが、いつもの顔ぶれに何か不思議な緊張感というか、静かな熱気が感じられた。それはテーマが「認知症基本法」を語り合うということのせいだろう。

認知症当事者勉強会は、認知症に関わる医療者やケア専門職、行政職、メディア、社会学や医療政策の研究者、当事者や家族、支援者が集まって、認知症を当事者の視点から組み直すことで新たな言説の場を作ろうと、今から10年以上前の2012年9月に始まった。

実はその年は社会の大転換の節目だった。
その前年2011年3月、東日本大震災。誰もが呆然としつつ、ここからの再生の一歩の前に立たされたのである。
そして2012年、この国の高齢化率は21%となり「超高齢社会」に突入した。時代は大きく傾き激しく揺らいでいたのだ。その中で認知症当事者勉強会が発足したのも、どこか時代に仕組まれていた必然だったのかもしれない。
以来、この勉強会では、認知症医療とケア、施策、支援のあり方、当事者の報告や海外の当事者などを交えての話し合いを重ねに重ねて、そして今、共生社会の実現を推進するための認知症基本法の成立につながったのである。

そのようにして世話人会の誰もが、この認知症基本法を考える時、ここに至るまでの道のりを思ったはずだ。誰もが緊張気味に見えたのは、その歳月を思い返していたのかもしれない。認知症基本法は、生まれたのではなく、当事者と共に私たちが生んだのだ、と。

世話人会では、元厚生労働省老健局長の宮島俊彦さんの報告から始まった。
宮島さんは、この勉強会の主要メンバーで、現役の老健局長時代から深く認知症施策に関わってきた人である。そして厚労省を退いた後、いち早く認知症基本法の独自案を発表し、基本法の必要性を提起し議論をリードしてきた。いわば、認知症基本法の産婆さんと言っていい(のかどうかわからないが・・)。

実はこの勉強会でも認知症基本法が必要だという議論はずいぶん早くからされてきた。
認知症当事者勉強会が、認知症基本法の話し合いを始めたのは、勉強会ができたと同時期のほぼ10年前だ。
2014年1月14日、世田谷の「ケアセンターふらっと」で、やはり、厚労省の前老健局長の宮島俊彦さんの提起で「認知症の人基本法をつくるとしたら」というテーマだった。

また、当時の勉強会では同時進行で、認知症当事者同士の話し合いも行われ、同じ年の2014年の10月11日には、藤田和子さんたちによって日本認知症ワーキンググループ(現:日本認知症本人ワーキンググループ)が発足している。
ここでも、認知症基本法の議論の始まりと、認知症ワーキンググループの発足が同期したことにも注目したい。市民の議論の勃興が確実に社会を動かし変えていく契機となったのである。

今回の認知症基本法に至るまでには、およそ10年にわたる当事者や市民の側の議論の蓄積があった。私はこの経緯を振り返りながら、おこがましくも、これは明治初期に民権運動の高まりの中で、市井の有志が五日市の名主の土蔵に夜な夜な集っては熟議を交わして書き上げた自由と権利の法典というべき五日市憲法の成り立ちを思い起こしたりした。

宮島俊彦さんは、その当初から認知症基本法ではなく、「認知症の人基本法」であるべきだと提唱していた。その頃の法案には、「認知症対策基本法」や「認知症施策推進基本法」という名称があって、そのそれぞれに宮島さんは、反駁を加えた。

「認知症対策」というのは、認知症を「なってはならない病」として位置づけ、偏見を固定化する。「認知症施策基本法」では、本人の主体が奪われており、施策されるという対象者に追いやられる、といった具合に宮島さんの論理立ては常に明快であり、当事者視点であり、私たちはその議論を通して「認知症の人」という権利の主体に接し、またそもそも「基本法」とはどういう性格なのかということも条文解釈ではなく、この社会のありようの実感として学び取ったことになったのである。

私は、認知症基本法はこのようにして語り合うことが大切だと思う。
この基本法が成立すると、さまざまな立場からのこの法律の特色やポイントといった解説があちこちに掲載された。そのことは大きな手がかりだとは思うが、いきなりそこに飛びつくのはちょっと待って、本来はそれぞれがまずもって無色にこの基本法に向き合ったらどうだろう。

読む人が当事者であるか、家族なのか、専門職であるか、そのそれぞれが注目するところはどこだろう。そのようなことが話し合いの場に置かれたらどんなことが起こるのだろう。
私は、認知症基本法を当事者を交えての小さな語り合いに、自分の作成した「わかりやすい版」を持参して参加したことがあるが、その時、ひとりの当事者が、「この、「全ての認知症の人が、基本的人権を享有する個人として」ってどういうことなんだ?」とぽつりと言った。

おお、いきなりそこから来るか。そこから話し合いが盛り上がった。「認知症の人の基本的人権て、どんなこと?」、どんなことだろうね。でも、認知症の人の人権という特別なものがあるのだろうか。他の人の人権と違いはあるのかな。

こうした話し合いが、認知症基本法を語るということではないか。人権とは、と語り始めずに、その時は私の「わかりやすい版」の「すべての認知症の人が、生まれながらに持っていて誰からも奪われない権利を持っている個人として 」と読み比べるようにして、「元の条文の、この「享有」という言葉は、誰もが生まれながらに持っていること、という意味なんだ」とかで、この場の話し合いは進んだ。もちろん話し合いはジグザグで、さっぱりわからん、という人もいたりして、でもそれぞれは何か新しい扉にタッチしたような顔つきに変わっていったのである。

私はこういう場が各地で起きるといいと思う。それは認知症基本法を語ることを通じて、それぞれがそれぞれの自分を語ることであり、それはまた「認知症と共に生きる」ことの内実を育てていくことになる。
認知症基本法は、認知症をなんとかするための法律ではない。この怯えと不安の少子超高齢社会を、誰もの安心の社会という豊かに成熟させるための推進力となる法律なのだ。

勉強会の話し合いで宮島俊彦さんは、この基本法成立のプロセスが大事であり、そこでは本人の声を聴き反映させたことが大きいとし、そのことがこの法律の前文に「共生社会の実現を推進するための」認知症基本法となったことが全てを物語っている、と語ったのである。

私は、この認知症基本法に「共生社会の実現」が掲げられた時点で、認知症は他者による「認知症」を越えて、すべての人々の人生を含むインクルーシブ社会の実現を目指し、この社会の「重心」となったのだと思う。
共生社会の実現を推進するための認知症基本法は、この社会の根本からすくい上げるようにして、さまざまな地域と風景の中で語り合えるといい。

今回の勉強会は世話人会だから、密度ある話し合いのために、たとえば京都からは認知症の人と家族の会の鎌田松代代表や、厚労省の和田幸典認知症総合戦略企画官などもオブザーバー参加し、貴重な見解を示してくれた。
より多くの人々と語り合う認知症当事者勉強会の本会は、11月25日に予定されている。

最後に宮島俊彦さんはこう語った。
「この共生社会の実現を推進するための認知法基本法に、何が変わるの?と言った反応があるが、そうではない。私たちが、何を変えるか、だ」

|第258回 2023.9.26|

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