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私が 認知症の人にインタビューしない理由(わけ)

コラム町永 俊雄

▲認知症当事者の丹野智文さんとは、様々な機会でよく会うおひとりだ。が、思い返すと改まって彼にインタビューをしたという記憶がほとんどない。会うたびに彼とは、ほとんど世間話に終始する。しかし、そこに紛れもなく、確かに「認知症」のことを聞いたという思いが残る。それはなぜなのだろう。

誰でもできるインタビューの技法というものがある。
ふふ、企業秘密なんだがな。知ってます?
これさえふまえれば、ともかくも世に言われる「インタビュー(らしきもの)」になってしまうのである。
現役の頃、多少、指導する立場になり全国の若手アナウンサーのインタビュー研修をしたことがある。それぞれがインタビュー番組を持ち寄り、それを視聴検討するわけだ。その時、こんな風に語った。

「あのな、誰でもできるインタビューの秘訣がある。たった3つの項目を聞けばいい。それはね、『きっかけ・ご苦労・今後の抱負』というものである」

この道何十年という達人であれ、時の人であれ、まずは「どんなきっかけでこの道に入られたのですか」と聞きはじめ、ホホウと意味ない相槌を打ちながら、「でも、いろいろとご苦労もおありで・・」と促し、人生行路のつらさにしんみりして見せて、シメには「なるほどお(何に納得したのだ)、では、今後の抱負をお聞かせください」と聞けば、それでバッチリオッケーで、最後に「今日は貴重なお話、ありがとうございました」と深々と頭を下げて、そっとスタッフにピースサインを出す。なーんにも考えなくても、インタビューが成立する。

この定型パターンはあまりに鉄壁不動なので、いまなお、あちこちで多少のバリエーションを加えながら便利に使われている。ちょっと注意すれば、「あ、またやってる」と気づくほどである。
で、なぜ厳粛なる研修の場で、こんなことをぶち上げたかといえば、これを言っておけば、前途洋々の若手諸君は、この「きっかけ・ご苦労・今後の抱負」の黄金律に依拠できなくなる。この安直にして鉄壁の法則が使えなくなる。
「きっかけ」から聞かないで、どうやってインタビューを始めるのか。そもそも、きっかけと聞くこと自体、実は聴くことが何にも思いつかないといっているようなもので、まさか認知症の人に「どんなきっかけで認知症になりましたか」と聞くわけにはいかない。

この「きっかけ・ご苦労・今後の抱負」を禁じ手とすることで見えるのは、それでは自分は何を聞きたいのか、ということを考えざるを得なくなるということだ。ここに聞き手が誕生する。

というのも、私はこんな仕事をしていながら、最近は認知症の人にほとんど「インタビュー」ということをしていない。いや、もちろん私のテーマの一つが認知症である以上、多くの認知症の人と会い、話をしたりはしているが、いわゆる「インタビュー」を積極的にはしてこなかった。なぜだろう。

昔、「泥の河」という名作映画を撮った小栗康平監督と対談した時、当時の武骨頑丈なムービーカメラのアリフレックスで撮影することを、小栗監督は「ベトナムの戦場で機銃を構えるような暴力性がある」と語り、そこからロングショットを多用した静謐な空間世界の「眠る男」を制作したのだという。
その話をしながら、その時私も、マイクを突きつけるようにして聞くこともまたメディアのひとつの権力で、どこかに暴力性が潜むと感じたことを今も覚えている。

そんな感覚もあってか、認知症の人をインタビューするということをどこか無意識のレベルで避けていたのかもしれない。
あるいは、認知症の人とそうした「マイクを持つ側」「伝える側」という職能的な機能として、出会ったり接したくないという気分が働いていたのかもしれない。

とりわけ、私には、認知症の人へのインタビューならではの難しさというのを感じていて、真摯に聞くことに向き合えば、それは「認知症」を離れて、どこかで人間存在について聞く、といった形而上が浮かび上がらざるを得なくなると思っている。

が、インタビューを成立させるのは、目の前の人を最初から「認知症の人」として規定することから始まる。「インタビューします」と断りを入れた途端に目の前の人は、「認知症の人」から逸脱はできなくなる。となると、聞いているうちに、それでいいのか、と聞く私の側が追い詰められていく。

一般に、メディアでのインタビューというのは非対称性の関係を前提とする。聞く側と聞かれる側が対峙する関係で、それは支援する側される側という構造と同じだ。
だから、どんなに和やかな空気であっても、聞く側が進行するという支配権を持ち、聞かれる側は従うしかない。それはうまく喋ったらカツ丼だからな、という取調室と基本的に変わるところはない。

これを反転させ、聞かれる側、この場合、認知症の当事者の側から見ると、インタビュー風景は一変する。
なぜいつも、「認知症の人」は、そのつらさ、困難、苦労から聞かれるのか、それはつまりは、認知症になると常につらくなり、大変な思いをしなければならなくなり、困難に満ちるのだという負の物語だけが、本人の語ることとして再生産されていってしまう。

これが機銃を突きつけるようなインタビューの暴力性である。もちろん、顕在化することなく互いの無意識の了解事項として共有されており、それだけに難しい。
インタビューでは、聞き手の価値観があらかじめプロットされていて、その枠組みにはめ込んでいくようにして進行する。
だから、「認知症になって一番つらかったことは?」と聞くとき、聞き手には、「認知症になるとつらいはずだ」という価値観の投影があり、それは直ちに認知症の人に、「えーと、つらいこと、つらいこと」と、求められる答えを懸命に探り出させることになる。

実はこうしたインタビューは、私自身、10数年以上前に認知症に関わるようになったとき、どこか、やっていたことでもある。はじめて認知症の人がスタジオに出演してくれるとき、緊張感の中でともかく認知症に関わる生身の情報をわかりやすく伝えるにはどうすればいいのか。きっかけとしての異変を感じた時から始まって、その不安や悩みを本人や家族の涙とともに聞き、その「問題」を専門家に振って進行させていったのである。
いかにも、自分の認知症の経験知、社会知もまことに乏しい中でのおぼつかない認知症との遭遇であったのだ。

言い訳をするわけではないが、そのプロセスも、反語としてはまた必要だったのもしれない。そのことがあったからこそ、今ではこんなに雑駁なインタビューの形は駆逐されているはずである。
今やその段階は過ぎ、認知症の人に聞くということは、聞き手自体の価値観を揺さぶる経験につながっている。「あなたは何を聞くのか」、機銃を向けられるのは、聞き手の方なのだ。「認知症」を聞くということはそういう事だ。

それでは私は認知症の情報にどう接しているのか、と問われれば、それは認知症の人との世間話といったものなのである。
世間話というのは、実ははるかに豊かな情報量に満ちている。
世間話というのは人間同士で交わされる。たまに猫と世間話をする人もいるが、それは別の話で、つまりは、選別的な「認知症の人」と語るのではなく、目の前の「人」と「認知症」についても語ったりできるのが世間話で、聞き手も語り手もどちらも、その場と時間に溶け込んでここには水平相互に想いが行き来する。

周りをよく見ればわかるのだが、今地域で認知症に関わる活動をする人や、ケアする人、医療者は、実は世間話のレベルでつながっている。笑いあい、口ごもり、そっとつぶやき、肩たたきあい、そこに確実に「認知症」の情報が行き交っている。
「認知症」だけを切り出して、それをつつきまわすように聞くのではなく、緩やかな暮らしの時間の中に顔を出すその人の「認知症」を語り合うのが世間話なのだ。
世間話は、それぞれの自前の認知症観を形づくる源だ。

これまでの私たちの社会は、見たいものを見て、聞きたい声を聞くことで、心地よいそれなりの安定の世界に囲まれてきたつもりでいた。
しかし、誰もが新型コロナウィルスの経験をし、不要不急の自粛の中、実は、見たいもの聞きたいものと思っていたことは、この情報社会深く、巧妙に仕組まれたサブリミナル効果で、そう思い込まされていたのだけかもしれないことに気づいた。

見たいものより、見なくてはならないものは何か。
聞きたいことより、聞かなければならないことは何か。

認知症の人にインタビューする時、聞かなければならないことはなんだろう。

|第144回 2020.6.25|

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