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その人の権利から考える認知症条例 〜宮城の認知症をともに考える会の講演を聴きながら〜

コラム町永 俊雄

▲講演会のチラシ(講演会はすでに終了してます)。認知症条例は地域の人々が主体なので、そっと片隅で傍聴するようにして参加させてもらったのだが、ここにあるのは新たな市民社会の胎動だった。

コロナの日々で変わったことのひとつに、オンラインの定着があります。当初は、対面でなければ互いの心情の機微がわからなくて、随分とギクシャクしたところもあったのですが、今ではすっかり馴染んでWEB上でのコミュニティの形成となっています。

何しろ、ここには、ははっ、部長、どうぞどうぞ上座に。いやいや、まずお言葉を、なんてことはなく、誰もに開かれ、誰もが水平で、参加も退席も気兼ねなくできるものですから、ここでの対話は、ゆるやかであって本音でもあり、話してもいいし話さなくてもよく、なにより他者の声を聴くことの蓄積が思いがけない自分の発見になったりするのです。

そんなWEB講演会が、宮城県仙台でありました。
先日18日の土曜日に開かれた講演会は「その人の権利から考える認知症条例」と言うものでした。タイトルからすれば、随分エッジの効いた感もありますが、実は開催した「宮城の認知症をともに考える会」と、「認知症当事者ネットワークみやぎ」はこれまでも「権利」を軸にして認知症との共生を語り合いつづけてきたのです。

認知症条例は、今全国で20地域で施行されていますが、宮城のように「権利」から創り上げようとする条例は多くはありません。
では、「その人の権利から考える」とはどういうことなのでしょうか。
どういうことなのでしょうか、と言った具合に、エヘンと、ややそりかえるようにして語ってしまうのは、どうやら「権利」という言葉があるからかもしれません。

明治の時代に西欧からこのRightの言葉が入ってきた時、その訳語として福沢諭吉はそれを「あたりまえ」とつぶやいたという逸話が残っています。
講演会開会の言葉の中で、この講演会のホストでもある仙台のいずみの杜診療所の山崎英樹医師は、求めて当然の「正しさ」を本義とする英語のrightに、もともと「権利」のような「力」や「利」の意味は含まれておらず、福沢諭吉はこれを「権理」と表したと述べ、実は山崎氏自身は、通常はこの「権理」の方の熟語を愛用されています。

講演会は、4人の演者が登場しました。
まず丹野智文氏。次いで認知症の人と家族の会・宮城県支部代表、若生栄子氏。
地域生活支援オレンジねっと理事長の荒川陽子氏。そして宮城県議会議員の石田一也氏の皆さんです。
それぞれの肩書からもわかるように、四氏の立場は大きく異なるのですがその異なる立場から集合し、対話するように4つの講演が並立する、この分厚さはなかなか一朝で成立するものではありません。
当事者と家族と地域支援者と政治家とが同じ言説の空間でこもごも認知症を語り、権利を考察するのです。地域を創るというのはこういうことだろうとつくづくと思います。

丹野智文氏の講演は「認知症の人はなぜ怒るのか」というものでした。
これまで、認知症になると人は怒りっぽくなると言われてきましたが、そうではなく、それはうまく意思が通じないことのもどかしさが「怒っている」と見られてしまうのだという語り口が多かったように思います。が、今回の丹野さんの講演は違いました。本当に認知症の人は怒っている、というのです。

丹野さんの講演は、各地の認知症条例で果たしてどれだけの当事者参画がされているのかの指摘から始まり、そこから、障害者権利条約のパラレルリポートに、精神病院に本人の意思にかかわらず入院させられ、拘束や薬漬けにされている当事者の実態の告発など、丹野さん自身の静かながら強い怒りを滲ませました。
彼のスライドには「怒る人になったのではなく、周りの人が怒らせていることを知ってほしい」と示されましたが、私は、丹野智文さんは、権利の不在に怒っている、そう思いながら聴いていました。

以前の丹野さんは、2021年に「認知症の私から見える社会」の新書を出版したとき、これが誰かを傷つけてしまわないか、言っていいものだったかとその不安や怯えを何度も述べていました。
しかし、今彼は怒っているのです。その思いを率直に述べています。

最近の丹野さんは、講演などに必ず付け加えることがあります。
それは「私の話すことの多くは、仲間と話し合って一緒に考えたことです。私ひとりの思いではないのです」というふうに。
それは丹野智文さんが主宰するリカバリーカレッジの存在があります。リカバリーカレッジというのは、2019年の秋から始めた当事者同士の語り合いの場で、現在も隔月開催されています。そこで毎回4時間にもわたって当事者が市民と共に話し合うのです。
ここでの語り合いの経験の集積が、丹野智文氏を進化させ、当事者の代弁者としての自覚を生んだのだろうと思います。正しいと思うことを述べること、それは違うと言うこと、それは権利です。彼の怒りは、仲間の怒りであり、そして権利の行使でもあったのです。

続いての講演は、認知症の人と家族の会宮城県支部代表の若生栄子氏でした。
若生氏の講演は家族の立場から語ったものですが、終始物静かに噛み締めるように語るその内容は、深く考えさせるものでした。

若生栄子氏は、認知症の本人と共に暮らす家族にとっては、当初は懸命の介護生活で、そこに権利があるなんて、とそれは驚きだったと語りはじめました。
家族は24時間、認知症の人の暮らしと思いを受け入れなければならない。全てを受け入れ、本人を認めることは頭では理解しても、進行する中で家族としてのやさしさや思いやりが通じない現実に直面し、かと言って押し付けてしまえば、本人の権利を奪いかねないとされる家族のつらさをどこに向ければいいのか、本人の権利と家族の権利がぶつかり合うようなとき、家族は自分の権利を失うことになるのか。
若生さんは、丹野智文さんのパートナーとして、彼の各地での講演活動に同伴していました。現在も本人・若年認知症の集い「翼」で、よろず相談にも関わるなど本人の思いも権利もしっかり分かった上で、なお割り切れない家族の立場のつらさに、家族と本人の二つの権利の間で揺れてしまうのです、と打ち明けるのです。

それを、それは立場の違いであって、権利は誰にもアプリオリにあるもので、ふたつの権利の分立、対立ではないのです、と言った外からの解説は意味をなさないでしょう。家族で抱え込まないことです、という原則論もあまり役立たないのです。制度や施策の提供する第三者は、こうした家族間の臨界点には踏み込めません。

若生さんは、こうした家族のつらさを語るのは、今の当事者の人々の思いを否定するものではないとしながら、やはりそのことで批判されたり、言っていいのかとずいぶん思い悩んだと語ります。
何かそれは、以前の丹野さんが、家族のことを語ると批判が集中してしまうということと、相い通じるような気がします。家族と本人の間に、どうしても「認知症」が立ち塞がり、双方の思いが行き来しないのです。でも、それならどうすればいいのか。

翌日の日曜、定例のリカバリーカレッジでは、主宰する丹野さんが、この講演会での家族と本人のことを参加者に語りかけました。
そこでは当事者の側での提案や工夫が語りあわれ、家族についてもさまざまな意見が出ました。誰もが、家族にもっと当事者の思いを知ってほしい、それから家族ともっと話し合うことが必要だということでした。
しかし、私が感銘を受けたのは、このリカバリーカレッジの初めからのメンバーの片倉文夫さんの話でした。

片倉文夫さん(88才)は、レビー小体型認知症の当事者です。自身、ヘビに呑み込まれると言った壮絶な幻視体験をしながらも、そうした体験を当事者として活発な発信を続けてきました。
現在は歳を重ね、施設に入居しているのですが、リカバリーカレッジにはできる限り参加しています。
その片倉さんは、老いの中で自分の人生の仕上げについて淡々と語るのです。
今、私はその片倉さんの言葉を思い起こすようにして、以下に記しておきます。

「自分の人生を振り返るようになって、何をし残したのか考えたのです。そうしたら妻に言っておかなければと思ったことが浮かんだ。余命の先が見えていた病床の妻に語ったのは、「お詫びと感謝」でした。
何か酷いことをしたわけでもなんでもない。でも心に浮かんだのは何故か「お詫びと感謝」だったのです。これを言っておかなければと思ったのですね。
私はその妻に、言わなければと思う私の「お詫びと感謝」を懸命に語りました。そんなことは初めてだった。妻は果たしてどこまで分かったのか。
でも言って良かった。なにが良かったって、聴いていた妻の表情が良くなったのです。
表情がね、良くなった。あれは嬉しかったな。言って良かった。そう思います」

何かをやり遂げたように、片倉さんはそう語ったのです。
どこかの時点で、認知症のある人はその体験をくぐり抜け、自身の「人間」を洗い上げるようにして、その人生を歩み続けるのかもしれません。
そこにともに歩むのが、その人の権利といってもいいのでしょう。片倉さんの穏やかな表情のそのどこかに権利が微笑んでいるようでした。

|第238回 2023.2.21|

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