認知症EYES独自視点のニュース解説とコラム
  • くらし

まちづくりは自分づくり 〜認知症と出合い直す〜

コラム町永 俊雄

▲愛知県豊田市での交流イベント「認知症とともに生きるまちづくり」の皆さん。大いに語り合った高揚感の中の記念写真。オンラインで繋がった京都市と新潟市に皆さんとともに。なお、これは4月1日のNHKスペシャル「認知症バリアフリーサミット」との連動企画でもある。

愛知県豊田市にある高齢者のデイサービスの事業所を拠点にして、オンラインでの「交流タウンイベント・認知症とともに生きるまちづくり」を開催した。

オンラインの特性とは、要するに井戸端会議を全国規模で展開できることかもしれない。
今月4日のオンラインでの語り合いはそんな親密でカジュアルで、そしてディスプレイ越しではあっても、まなざし交わすようにして何が起こるかドキドキする雰囲気の中、進行していった。
たとえば、そこでの言葉。

「こうした取り組みをやって、これが全国にわっと広がってほしいなあと思っていたのが、どこもやらないんだよ。なぜかなあ」
「どうしても特別な取り組みだと思われているのかも。素晴らしい活動とほめられても、戸惑うばかりね。誰かのやりたいことを聴いて、一緒にやってみようか、で始めればいいのにね」
「こうした取り組みは、ごく当たり前のこと。特別なのではなく、こちらが普通の社会なのだと思う」
「やっぱり、認知症と最初に頭に浮かぶと身構えるのかな。その人のことが後回しになってね」

どの発言もみずみずしく自由な発想からのものだ。こうした生活者の発想が「認知症と共に生きるまちづくり」に流し込まれ、多くの人が参加する要因となっている。

中心会場では、私と脳科学者の恩蔵詢子さん、スマイリングのライフクリエーターの中根成寿さんと共に、全国3か所をつなぐ。それぞれがNHKとNHK厚生文化事業団が毎年開催している「認知症とともに生きるまち大賞」の受賞団体である。

ゲストの恩蔵絢子さんは、1月に放送されたNHKスペシャル「認知症の母と脳科学者の私」に登場した脳科学者である。
恩蔵さんは、認知症の母の「母らしさ」が失われていくことに心を痛め、それを脳科学の立場から解き明かそうと母の脳解析を続ける。そこで見出したのは、「母らしさ」とは自分の母への想いが創り出したもので、実は母の脳画像が示す感情の動きから、恩蔵さんは、息づいていた母本人の「母らしさ」を読み取っていく。
恩蔵絢子さんは、それを母との「出合い直し」の日々だったと語った。

奇しくもそれは、このイベントのキーワードになった。
「認知症とともに生きる」とは、認知症との「出会い直し」であり、自分や地域との「出会い直し」なのである。

オンラインで登場した受賞団体の新潟市の「marugo-to(まるごーと)」は、使わなくなった農業用ハウスを誰でも来ていい場所として開放した。
誰でも来ていい場所は、誰もが来たい場所になった。ここに、この取り組みの秘密がある。
「来ていい」は主宰する側の想いである。「来たい」は、そこに来る人々の想いである。主体が当事者に移っている。

来たいから来た人々は、農業用ハウスという空間で次々と農作業や木工作業、ピザ窯づくりなどに取り組んだ。来たい人々は、「やりたいこと」に取り組んだのである。
用意されたプログラムではなく、自分のやりたいことをやったのだ。それはどんなにか生き生きとした風景であったことか。
「まるごと」の包摂は、それ自体がムーブメントを生み出した。代表の岩崎典子さんは、特別なことはしていない。ここに来る人々が生み出したことで、これが普通の社会のあり方だと思うと語った。

京都市左京区での「駅カフェ」は、企業体である叡山電鉄とのコラボで、公共の場である駅でカフェを開いた。言ってみれば、それだけの取り組みである。こうしたシンプルな取り組みがいいのかもしれない。主宰する側がいじりまわさない。するとここもまた誰もが「来たい場所」に変貌していった。しかも「鉄ちゃん」ブームもあってか、全国から来たい人々が来て認知症と出会うことになったのだ。ここで下坂厚さんも自分の写真展を開いた。人々は、その写真作品にそれぞれの認知症観との「出会い直し」をしたに違いない。

私が印象深くうかがったのは、代表の岩倉地域包括支援センターの松本恵生氏の話である。
地域包括支援センターは、高齢者の困りごとのワンストップ窓口と言われるが、この取り組みが始まる以前の松本さんは、鉄道会社と、認知症のある人が線路に迷い込まないようにするための話し合いを重ねていた。
だから、以前の松本さんは、認知症のある人の外出を止めることばかり考えていた、と言うのである。
その松本さんはイベントでは、駅カフェに参加した鈴木貴美江さんと長女のゆみこさんと共に和やかに話し合っていた。当事者の鈴木さん親子は、駅カフェは行きたい場所なのだと語り、外に出ることは生きることなのだと笑う。ここにも地域と認知症との出会い直しがある。

会場となった豊田市の取り組みは「おんぶにだっこ」プロジェクト。
ここにあるのは支援と被支援の関係性の出合い直しである。
子ども食堂のシェフは認知症のある人たちだ。そこにやってくる子供やその家族が一緒になってテーブルを囲み、大勢でワイワイとシェフの振る舞う食事を楽しむ。
家族揃って食卓を囲む。それは以前どこにもあって今は失われた光景だ。子供の暮らしの貧しさは、経済よりも孤食にある。高齢者の寂しさは役割を奪われたことにある。それを取り戻そう。「おんぶにだっこ」は、子どもは笑顔を、シェフは心こめた食を、それぞれが分かち合い与え合う。そんな取り組み、それはなつかしい未来だ。

そして豊田市のこのプロジェクトに関わる事業所のスマイリングは、ここからさまざまに取り組みを発展させている。それはまるで有機体が次々と触手を伸ばすようにしてつながりを広めていく、そのような様である。
スマイリングのライフクリエーターの出口達也氏は、「スープタウン構想」に取り組んでいる。
スープとはさまざまな素材が一緒になってグツグツと煮込むことで味わいが出ていく。ならば地域もさまざまな人々が互いの声を煮込むようにして語り合うことから始めようというわけだ。
参加者は行政、社協、農家、青年会議所、お寺の住職、消防団に高校生などなどで、その名も「スープ会議」を開いている。

ここでの特色は議論というより、言いっぱなしでよろしい、妄想で結構という敷居の低さだろう。誰もが自分のことから語り始めるという。地域の出合い直しは、地域の人々の自分との出合い直しでもある。

会場には、認知症の当事者や高校生や引率の先生や市議会議員や社会福祉協議会の人々や地域住民、取材クルーも詰めかけて、始まる前からワイワイと賑やかだった。何かが起こる、それを目撃したい。それはまさにお祭りのようなまちの賑わいである。
さまざまな発言に、笑顔やうなずきの中、懸命にメモを取る人も多かった。

おそらくコロナの日々の経験をしたことで、今後市民フォーラムのフォーマットが変わるかもしれない。
これまでのように主催者の側でテーマや参加者を設定して壇上からの一方的な情報提供のフォーラムは色褪せ、それに代わって、リアルな地域の人々の声から立ち上げる双方向のイベントが増えるに違いない。それはそのまま「認知症とともに生きるまちづくり」の姿だ。

イベント終えて気づいたことがあった。
それは、イベントを通じて、登場した当事者の人を紹介するとき、「認知症の人」と紹介しなかったことである。「認知症の誰々さん」ではなく、鈴木さんとお名前で紹介した。考えるまでもなく、「認知症の誰々さん」とはあり得ない呼称である。認知症であろうとなかろうと、誰もがまちづくりの主人公である。

実は、2015年の4月にオーストラリアで開かれたADI国際会議で、認知症当事者が「誰が認知症であるかわからなくていい」と提起したことがあり、当事者の鋭い問いかけは当時、議論を呼んだ。
あれから8年たって、その鋭さは地域の中のあたりまえとなり、認知症は地域を変える起動力となっている。それは誰が認知症であるかより、まず誰もが「人」であることを前提としたまちづくりを展開しているからだ。

これから全国各地でこうした交流イベントが開催されるだろう。
それはただちに何かを達成するとか、すぐに役に立つとかということとは少し違う。そうした成果主義ではなく、誰もがこれまでの、認知症や地域やそして自分との「出合い直し」をする。
そのことで、出合い直した新しい自分のやりたいこととはなんだろうと、自分に問いかけることから始まっていく。確かな変化は、誰かがもたらすのではなく、あなたの中の「出合い直し」にある。

認知症とともに生きるとは、自分とともに生きることだ。
そして、まちづくりとは、自分づくり。

|第240回 2023.3.13|