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介護福祉士・和田行男を聴く 〜認知症ケアはどこまで来たのか〜

▲先日の認知症当事者勉強会での介護福祉士・和田行男さんとの語り合い。コロナの日々の空白を埋めるようにして多くが集まった。下段は2018年11月の広島県庄原での認知症講座の様子。過疎の地での講演もまた和田さんの活動だ。

カリスマ介護福祉士として知られる和田行男さんに話を聴いた。
仲間と開く認知症当事者勉強会の世話人会に来てもらったのである。来ていただいた、というべきかな。まあいいや。そういう人である。形にはこだわらない。

カリスマ介護福祉士というのは、いつ頃から誰が言い出したのかよくわからない。
2012年にはNHKのプロフェッショナルでも「闘う介護・覚悟の現場」と、やたら力の入ったタイトルで取り上げられたのだが、その頃にはすでに知る人にはよく知られた介護福祉の風雲児だった。

彼の存在をインパクトもって世に知らしめたのはやはり2003年に出された「大逆転の痴呆ケア」だろう。業界内ベストセラーになった。この本が出版されたのが、まだ痴呆とされていたはるかな20年前だという時代性を考えれば、その「大逆転」の発想のキレが、いかに鋭かったのかがよくわかる。

その和田行男さんは実は、もともとは国鉄マンだった。定年まで油まみれで国鉄で働ける幸せを思っていた和田さんが、国鉄民営化に反対する組合運動の果てに辞めざるを得なくなり、そこから福祉の世界に飛び込んでいく。当時は「国鉄マンが福祉の世界へ!」と、世間ではある種の驚きで注目されたという。やはり福祉はどこか特別な世界だったのだろう。

そこから特養、デイサービス、老人保健施設などを経て、1999年に都内で初めてのグループホームで施設長として、自身の考える痴呆(認知症)ケアを展開する。グループホームの草創期と和田さんの認知症ケアの革新性は親和性はあったが、世間の受け止めは違った。
その実践に対しても、「お年寄りに食事を作らせたり、後片付けも掃除もさせ、買い物にも行かせるなんて虐待だ」と批判された時代だった。

介護にあたる人たち自身が、「お世話をする」と言う思い込みの中でお年寄りの生きる力を奪ってしまっていると、和田行男さんは、介護や福祉の専門用語の裏に潜む思い込みの一つ一つを大逆転させていく。そうして行き着くところは、「本人にはそれぞれ程度の差はあっても生きていくためのチカラがある。それを引き出すようにする支援が痴呆ケア」と言うことになる。

しかし、こんなふうにまとめてしまうのは野暮というもので、実はこの人を語るのは難しい。というか、語られる客体であろうとせずに、常に自分を何事かを語る主体として自身を追い込むようにして動き続けているものだから、人物伝としての論評をやすやすとすり抜ける。彼を論じたところで、「それはな、ちょっとちがうねん」と言うに違いない。

だから、様々なところで様々な人が和田さんを語るが、そのほとんどが、自分との出会いの印象とかエピソードでお茶を濁すしかない。「和田さんと初めてお会いした時には、下駄履いて破れたジーンズで来たのよお」とか。破れたジーンズではなくて、ダメージジーンズね。彼なりの美学というか自己韜晦なのである。自己を外から規定されたくないのかもしれない。

和田行男は「毒」なのである。
生半可に接すると中毒する。圧倒されてやたら和田節にかぶれてしまう人が結構いる。話はあちこちに飛び、原理原則を打ち立て、逆説に満ちていて聴くだけでその高揚感にトリップしたりする。
だって和田さんは講演でこんなふうに叫ぶのだ。
「婆さんは大事にしたら滅びるでえ。婆さんはこき使わんとあかんでえ!」

「お年寄りにはやさしくね」といった世間一般の美しい伝承は、ここではぶっ壊される。かくのごとく私たちの固定観念のひとつひとつを取り上げては打ち壊していく。「毒」だ。
でも和田行男に言わせれば、毒なのは「お年寄りにはやさしくね」という固定観念の側なのである。そのような語法を連発するのが和田さんなのだ。挑発していく。こちらの根底を乱暴に揺り動かす。

和田行男の「毒」には、聴く側の問題意識の質量だけが解毒作用を持つ。
彼は「専門職たれ」と繰り返すが、介護の現場での葛藤や試行錯誤の層が厚いほど、彼の挑発は福音に変化していく。
だから、「婆さんは大事にしたら滅びるでえ」に深くうなずく人は、本当の「やさしさ」のありかをそこに獲得することになる。

そうそう、彼は認知症のある人を「婆さん」と呼ぶ。爺さんも婆さんなのである。
当然、ご婦人連にはいたって評判が悪い。「婆さんは許さないわ」と、「ゆきさん」こと大熊由紀子さんも世話人会にちゃんとやってきたのである。いよいよ、毒には毒をもっての(スミマセン)世紀の対決かと思ったのだが、そこでなぜ「婆さん」なのかを和田さんから聞き取って、「それなら許します」とゆきさんは微笑んだ。
なぜ、婆さんか、それはここでは記さない。彼の心情の肝であろう。当初は「婆さんは波の女と書いてエレガントやろ」とか言っていたが、先日の世話人会では今は「婆さん」とは言っていないという。

そうなんだ。彼にとっての状況は「婆さん」を連発しなくてもよくなったのかもしれない。
彼の「大逆転の痴呆ケア」を改めて読むと、認知症ケアの現在地がよくわかる。
彼は痴呆ケアを大逆転させたというより、この認知症社会そのものをえいやっと大逆転させようとしてきたのかもしれない。

先日の世話人会の最後に、和田行男さんはこんなことを語った。
「あのな、名古屋の喫茶店に行くと、年寄りばっかや。それがみんな楽しそうでな。仲間のお年寄りがやってくると、座っていたお年寄りが、たみちゃーん、こっちこっちとか呼んだりな。当然認知症のある人もいるやろ。なんかすごくいいなあと思うなあ」

大逆転させた社会の風景は、実は「認知症とともに生きる社会」なのかもしれない。そうなったのか、まだまだなのか。

詩人の長田弘の「人生の特別な一瞬」というエッセイにこんな文章がある。
「特別なものは何もない。だからこそ、特別なのだという逆説に、わたしたちの日々のかたちはささえられていると思う。人生は完成でなく、断片からなる」

ありふれた特別ではない日常こそが特別なのだ。何か和田さんの実践する認知症ケアの真髄かもしれない、私はそう思ったりした。
ダメージジーンズに下駄姿の和田行男と、小さな日常と風景こそを奇跡とした詩人長田弘。対極のようでいてどこか共通する。実は和田行男は結構、繊細な人なのである。

その和田行男さんをむかえての勉強会は、6月17日に三鷹で開催される。
和田行男を毒味に来ませんか。

|第247回 2023.5.24|

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