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秋田・地域ミーティングの奇跡 〜暮らしの中で語る「認知症とともに生きるまち」〜

コラム町永 俊雄

▲秋田の地域ミーティングの様子。この日はメディアの取材も入り、夕方のニュース番組で報じられた。地域の人々はいつも情報の受け手とされてきたが、実は熱い情報発信者なのである。そこから「認知症とともに生きるまち」が生まれていく。

秋田県の社会福祉会館で「地域ミーティング」を開いた。
去年に続いて2回目である。コロナの日々の真っ最中だった去年、地域で何ができるか、まずはそこに住む人々の声を聴こう、去年開催した1回目は、そんな原点に立ち帰るような地域ミーティングで、大きな手応えがあった。

地元からもぜひもう一度、ということで2回目の開催である。
高齢化率全国一の秋田県が開く地域ミーティング。しかし、その活発な語り合いに接するにつけ、高齢化率全国一だからこそ、ここが未来にいちばん近い、そんなふうにも思えてくる。

この地域ミーティングの仕立ては極めてシンプルだ。
主催団体のひとつがNHK厚生文化事業団なので、事業団が毎年行なっている「認知症とともに生きるまち大賞」の関連企画として、「認知症とともに生きるまち」とはどのようなことなのか、そして、何ができるか、そのことを念頭におきながらの地域ミーティングなのである。

そうは言っても、テーマに縛られることはない。まずは、地域に暮らすみなさんの思いや悩みを語り合いましょう、それに尽きる。でもまあ、そうなると一体何を語ったらいいのかわからず、姑の悪口を言い立てて本人だけがスッキリするということにもなりかねない(まあ、それでもいいような気がするが)。

ではなぜ地域ミーティングなのか。

それは地域で暮らす、ということの主体の尊重である。
「ともに生きる」という文言から発想しない方がいい。「ともに生きる」という高みから考えると、どこか自分とかけ離れた言葉しか思い浮かばない。
「分かち合いの経済学」を著した財政学者で、日本社会事業大学の学長も務めた神野直彦さんは、「ともに生きる」より「生きるをともにする」という言葉を提唱している。ここにはまず、個の「生きる」の発想を軸としており、生活実感により近い。

だとしたら、それぞれの自分の「生きる」を見つめる。
自分の「懸命に生きること」や、自分の「生きづらさ」を見つめ直すことではじめて、「ともに」の必然を見出す。あるいは、「ともに」などといった堅苦しい言葉ではなく、「一緒に」というくらしの感覚の言葉のほうがいいのかもしれない。
自分の中の弱さや迷いの中に、本当の「自分」が見えてくる。そんな「自分」が、「みんなと一緒に」何ができるかを語り合うこと、そこに「ともに生きるまち」の姿が見えてくる。
だから、地域ミーティングなのである。

今年は私の基調講演に続いて、地元の「認知症にやさしいまち」の実践例として、地域福祉の常識を塗り替えたと全国的に注目されている秋田県藤里町の、町民誰もが生涯現役という「プラチナバンク事業」を藤里町の社会福祉協議会の菊池まゆみさんに報告していただく。

もうひとつは、秋田県羽後町の「ハッピー運転教室」の取り組み。
報告者はいつもパワフルな羽後町健康福祉課の伊藤和恵さんだ。伊藤和恵さんが強調するのは、この取り組みのユニークなのは認知症カフェから生まれた活動で、とかく高齢者の免許返納というと、「刑事さん、出来心とはいえ、実はあっしがやりました」といった「自首」返納させようという動きが前景化しがちなのだが、羽後町の取り組みは、本来の本人の納得での「自主」返納であり、そこにはそもそも、本人の意思決定支援はどうあったらいいのかという、暮らしの支援となっていることだ。

そして、いよいよメインイベントの地域ミーティングだ。
およそ60人の参加で、それを6グループに分かれて語り合う。
語り合いのテーマ性は広い。しかし、そのことがかえって自由な語り合いの場になった。何を語っても地域での自分の暮らしがバックグラウンドにある。何を語ってもそれは「認知症とともに生きるまち」なのである。地域の福祉力のストックは、とても豊かだ。

私は6つのグループを巡回するようにして聞いて回った。
賑やかに笑いをはじけさせているグループも、語り合いのどこかで、シンとしてひとりの話に耳を傾けることが起こる。不思議なことにどのグループでもそんなひたすら聴くことに引き込まれていく光景が生まれていた。

それは、深い哀しみの共有だ。
年配の婦人が語る。30年来の2つ違いの友人がいて、その友人が認知症になった。大切な友人が気にかかるが、離れて暮らしているので頻繁に会えるわけではない。友人の家族などを通じて様子を聞くが、その友人の変化が気になって仕方がない。
「友達ですものね」、その婦人は、途切れ途切れにつぶやくように語るのだが、だからどうすればいいのか、とかこうしてほしい、ということではない。ただ、自分の心が痛いと語り、そのことを聴く人々がいる。

またあるグループでは、家族の一人が語っている。
自分の母の長い在宅での療養生活のことらしい。医療や看護の人々の助けを借りながらなんとか暮らしてきたが、徐々に在宅の暮らしも追い詰められてくる。
「本当は家族も母も一緒にいるのがいちばん。このままそっと死なせるのがいいのではないかと思うことがある。苦しい」
隣の専門職の若い女性が、「できることはあると思います」とそっとその家族に伝える。グループの誰もが、このやりとりを自分の中で響かせている。

別のグループには、一人暮らしの高齢者について語る専門職の男性がいた。
いわゆる独居老人の現実に直面している中での自分の思いだ。孤立する高齢者は自分から「助けて」と言えない。高齢化が進み、いよいよ施設へとなった時点で、それは「コミュニケーションの不全の中に放り込むようなものだ。その前にできることがあったはずだといつも思う」と男性が語る。
グループの沈黙の中、「つらいねえ」とうなずくようにつぶやく高齢の参加者がいた。誰がつらいのだろう。その専門職の男性か、その独居のお年寄りか、それとも聴いていたその人か。たぶん、地域がつらい。

もちろん、私はいわば立ち聞きだから、その前後の脈絡はわからず正確な語りの再現とは言えない。しかし、ここにあるそれぞれの哀しみや悩みの物語は誰にも共有されたのである。それは地域社会の現実の共有である。
私はこうした哀しみから立ち上げる地域社会の「共生」のつよさを思う。涙を振り払っての笑顔の輝きを知っている人々のつよさを思う。
あるべき「ともに生きる」から語り下ろすのではなく、空疎な希望に飛びつくのでもなく、哀しみやつらさから「ともに生きる」へと語り上げていく。地域ミーティングの力は、そこにある。

最後にグループの語り合いにも参加してもらった藤里町の社会福祉協議会の会長、菊池まゆみさんにグループの語り合いの感想を聞いた。

「みんなバラバラの人が、バラバラのことを話していて、それがとてもよかった」
とてもよかった、と菊池まゆみさんは話した。本当によかった、と私も思う。
みんなバラバラで、みんなバラバラのことを話して、そして認知症とともに生きるまちなのである。多分、このことは参加した誰もが、すぐにわかったことだろう。ここに理屈が要らないことが、地域の共に生きる力なのだ。

ここに奇跡のように現れたのは、6つのグループという、それぞれが小さく確かな共生社会なのである。
バラバラの人々という自立した個人が、それぞれの価値観と経験をバラバラの声として語り合って、それをより合わせて「共に生きる」を生み出していく。
誰もが、「あるべき」とか「なければならない」という語法ではなく、自分の言葉と自分の思いで、最もあるべき共生社会の姿を語り合ったのである。

▲秋田・地域ミーティングの参加者の皆さん。みなさんご苦労さま、そしてありがとうございました。これからは、ここに高校生などの若い世代が参加するといいなあ。

|第251回 2023.7.5|

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