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キミたちに福祉は輝く 〜若い世代とのぶっちゃけ対話〜

コラム町永 俊雄

▲師走の夜空を彩る横浜マリンタワーからのレーザービーム。こうした一条の輝きを希望に転換するには、若い世代への語りかけが欠かせない。あちこちでの語りを架空対談に込めて小さな輝きを灯したい。

えーと、ではここからは話し合いにしましょう。
あなたたちは大学生が多いのかな。おっ、高校生もいるんだ。何か羨ましい気がするなあ。
あなたたちの年代だった頃の私自身はどうだったろうなどとさっきからしきりに思い返していたのですが、あなたたちみたいに真面目ではなかったことは確かだな。

真面目でなかったのは、でも実はそれなりのワケがあって、それはそのころ自分自身が何者なのか、ちっともわからなかったのです。それがとにかく不安で仕方がなかった。
正直言うと、今もその不安を抱えたままだな。

だから、これからいろいろとお話ししますが、皆さんにはあまり役に立たないかもしれない。でも実は、役に立たない話こそが役に立つと言うこともあるので、そこんとこよろしく。
えっ、なんのことかわからないって。
そうだろうな。うーん、でもまあ、お付き合いください、こんな大人もいるんだって思ってもらえばいいから。

そうそう、「福祉とはなんですか」と言う質問がありました。
そう、そこのキミでしたね(と、ひとりの女子高校生を指差す)。いやあ、ストレートな質問だなあ(その娘はストレートヘアのキューティクルが輝いていた)。
でもどうしてそんなことを思ったのですか。ふーん、将来は福祉の仕事をしたいんだ。なるほど、なるほど。

福祉とは何か、私もそんな思いから渋谷の大型書店に行ったことがあります。
書店員さんに「あの、福祉の本はどこですか」と聞くと、奥まったコーナーにちゃんと「福祉」と記したプレートがあってね。

そこには社会保障とか福祉行政といった本が並び、介護関係がかなりの分量でしたがそれ以上だったのが介護福祉士や社会福祉士などの資格取得のための教本などが並んでいました。
さて、ここにあなたの求める「福祉」はあるでしょうか。

いやもちろん、こうした本はどれも大切な情報だから、必要な時にはしっかりアテにした方がいいと思います。でもここでは、あなたのようなみずみずしい感性が問う「福祉とはなんだろう」には答えてくれないと思います。
それは多分、文学や哲学といった本の中に潜んでいます。

いや何を言いたいかというとですね、そもそも「福祉とは何か」という設問がなぜあなたに浮かんだのかをさかのぼるようにして探ってみてはいかがでしょう。
なぜ「福祉とは何か」と思ったのか。それは将来福祉の仕事をしたいからだと、さっきおっしゃった。ではなぜ、福祉の仕事をしたいと思ったのでしょう。

とまあ、こんなふうに次々に扉を開くようにして自分の中を探っていくとどうなるかな。
たとえばそこには、あなたを可愛がってくれたおばあさんが認知症になったといった具体的なエピソードがあったのかもしれません。

あなたが「福祉とは何か」と思うに至るまでには、あなたが涙したり嬉しさに輝いたり、あるいは呆然として立ち尽くしたことなど幾つもの物語が浮かんでくるはずなのです。
私はその総体が「福祉」なのだと思っています。
福祉とは、あなた自身から立ち上げるものです。福祉とは、あなた自身が創り出すものです。私はそう思っています。

さて、こんなふうに言われてどう思いますか。
ふーん、なるほどと思った人(手を挙げてみて)、ふむ、恐る恐る手を挙げた人が半分に少し足りないくらいかな。そうだろうな。でもそれが大切なのだと思います。何か直感的にわかる人もいれば、なんとなく納得できない、と感じる人もいる。

私はその両方の捉え方が大切なのだと思います。どちらが正しいか、の罠には陥らない方がいい。だいたい、大人がわかったような結論的できれいな話をした時には気をつけた方がいい。そこにはどこか、肝心なところを飛び越すようなごまかしがあるものなのです。

と、自分で手の内を曝け出すようなことを言ってしまっては商売にならないな。
世の中、とりわけ一部のSNSなどには、ズバズバとあらゆる現象を解明するような言説が横行しすぎると私は思っています。それはどこか正解を求める安直な今の世間に迎合しすぎです。これはこういうことです、こう考えるべきです、と言った「正解」は、どこか暴力的です。迷ったり、間違ったりすることの権利を、私たちから奪っているとは言えないかな。

ええと、話が福祉からずれてしまった。私の話はいつもこうだから嫌われているんだ。
話を戻しましょう。
「福祉とは何か」、あなたはそう問いました。それに対し、私はその問いを発した主体であるあなたはなぜそう思ったのかを問い直したのでした。

アメリカの作家でスーザン・ソンタグという女性がいます。彼女は徹底して「個」を問い続けた人ですが、こんなことを書いているんだな。
「現実がこういうふうに見えるとすれば、その現実はどんなものであるはずかを考えよ、あるいは感じ直観せよ」

ここにあるのは、現実の中の「個」の確立への入り口なんだ。
ま、こうしたアフォリズムの引用だけで論を補強するのも考えものなので、どこかで皆さん自身がソンタグを読んでみるといい。自分自身が揺さぶられるから。

では、あなたはなぜ福祉を問うたのかに戻りましょう。それについてはとりあえず、将来は福祉の仕事に就きたいからとあなたは答えました。そこには何があるのでしょう。私はそこにあなた自身の物語を想像しました。もう少し平たく言えば、あなたは、自分の「自分らしく」をかなえてくれるのが福祉の仕事なのではないかと考えた。ここまではいいですよね。

つまり、「福祉」とあなたの「自分らしく」との間をどう埋めていくのかが、あなたの「福祉とは何か」に対する私の精一杯の誠実な答えです。答えはあなたの中にある。

「自分らしく」と「福祉」、こう並べてみるとそこには相互に行き来する回路が見えてきませんか。
「自分らしく」を発見できるかもしれない「福祉」というのは、あなた自身の福祉への問いかけなんですね。あなたが「福祉」を創ると言ったのはこのことです。
と同時に、逆転させれば「福祉」を考えることで、あなたは、あなたの「自分らしく」を問い続けることになっているのです。あなたの「個」を確立させる作業に取り組んでいるのです。
だから、その総体が「福祉」であると私は言ったのです。福祉とは固定された概念ではなく、問い続ける動態です。

ただね、そうは言っても私はあまり「福祉とは」というところから考え下さない方がいいと思います。「福祉とは」という大上段の地点から考えていくと、どこかで誰かの正義の言葉で語ってしまうからです。自分という「個」に行きつかない「福祉」は借り物の福祉で、あなたの福祉ではありません。

それとついでに言えば、「自分らしく」ということにも注意した方がいい。
現代はいわば「自分らしくシンドローム」の時代ですね。あちこちで「自分らしく」がキーワードになっている。どこか深いところでの存在不安に満ちているのでしょうね。これは悪いことではない。私も若い時には、自分が何者であるのかというあたりを彷徨っていましたから。

でも往々にして、「自分らしく」を他人の価値観で語っていないでしょうか。
その問い直しの明確なのは、例えば「男らしく・女らしく」への異議申し立てです。
どうも私は、「自分らしく」の「らしく」という曖昧な領域を清算した方がいいと思います。

「らしく」と言った時点で、それは「個」の部分放棄であり、他人との緩衝地帯のような「らしく」は、易々と他人の視点で規定されてしまいがちです。
「それって、ちっともあなたらしくない」と言われた時のうろたえは、あなたがいないからです。「自分らしく」ではなく、あなた自身という「個」を確立すること、これが成長ということであり、学びであり、福祉なのだと思います。

実は、以前の福祉はこの「らしく」に充満していたのです。
と同時に、福祉は真っ先にこの「らしく」を捨てました。捨てましたと断言していいのか、実は若干、迷うところですがあえてそう言いたい。「らしく」を捨てて、人間を回復しようというのが今の福祉なのです。
そう、福祉があなた自身の中にあるというのは、このことです。

え? どういうこと、ですか。そこを考えるのがあなたの「福祉」です。そう、とりあえずグルグル回るように考えるしかないですね。私もわかっていないのですから。

え、もう時間ですか。ちっとも結論を出していないのですが、私自身、それがいちばん大切なのだと逃げ口上を用意しています。
それでは、あ、「起立、礼っ」はしないでね。されるとずっこけて転びそうだから。
ではまた。

|第265回 2023.12.7|

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