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認知症の10年、社会の10年

コラム町永 俊雄

10年ひと昔というが、日々のくらしの中に浸かっていると気が付かなくて、ある時間を区切ってみるとその変化にびっくりすることがある。例えば、まだヨチヨチ歩きの赤ちゃんだと思っていた近所の子供が、いつの間にか小学生になっていたりする、というふうに。
この社会をそのつもりで見てみると、この10年は実は大きく動いたことに気付く。10年前を福祉関連で見てみよう。何が起きたのか。
10年前、自殺対策基本法が議員立法でできた。
10年前、がん対策基本法が、これも議員立法でできた。
そして認知症関連で10年前には、どんなことが起きたのか。まず「痴呆症」から「認知症」へと呼称変更された。厚労省が呼称変更の報告を出したのが2004年の12月で、それから2007年くらいまでに呼称が切り替わった。ここから今に至る「認知症」の変化に繋がるわけだから、認知症の10年前は大きな起点である。

こうした出来事はいつも別個の出来事として報じられ、こちらもついそのつもりでそれぞれ別の問題として捉えてしまう。がんは確かに同僚のあの人もなったと聞くが、しかし自殺となるととりあえず自分には関係ないか、とかね。ところが、目を凝らしてみれば、実は10年前のこの出来事は、その後の時間軸の中で深いところで交差し連携し、今のこの社会に全く同じ方向を指し示す変化を見せている。
どういうことだろうか。
自殺対策基本法もがん対策基本法もできて10年。そしてこの10年を機に、自殺対策基本法は改正されてこの4月から施行される。同じようにがん対策基本法もこの6月にも改正案が国会に提出される見込みだ。そこで打ち出されるそれぞれの方向が同じなのだ。
まず、改正自殺対策基本法で打ち出されたのが「生きることの包括的な支援」(第2条第一項)である。自殺対策は、死ぬことを防ぐのではなく生きることを支えるのだという理念が明記された。ここには個別課題を超えて社会変革への視点が記されている。厚労省の立案担当者によると、「生きることの包括的な支援」では施策の具体性が希薄ではないかという懸念も示された中で、この理念条項が明記されたことは画期的だったという。
そして、がん対策基本法も10年を機に「がん対策加速化プラン」を出し、そこでは「がんとともに生きることを可能にする社会の構築」(がんとの共生)が謳われている。すでに医療や制度の枠を超えて、ここでも社会の改変に視線が向けられている。

実はそこには施策設計としての先駆けがあったと私は思う。それは認知症をめぐる動きだ。すでに10年前には認知症対応型通所介護や小規模多機能型居宅介護などを含む地域密着型サービスを創設。この時の介護保険法改正で地域包括支援センターが設置されている。「地域」こそが誰ものくらしの舞台とし、それが現在の新オレンジプランでの「認知症にやさしい社会」につながった。
「命を支える」「がんとの共生」「認知症にやさしい社会」、ここにあるのは別々の課題ではない。そこに通底するのは、個別の「対策」ではなく当事者の視点から自分たちの問題として地域社会を組み替えていこうという意思である。
「認知症を考えることは、誰もが暮らしやすい安心社会に繋がる」
次の10年でこの理念を現実にどう打ち込んでいけるのか、個別の問題としてでなく社会総体を俯瞰する視点も必要だろう。

|第27回 2016.4.25|

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