クリップ
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1
認知症を取り巻く環境の変化
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壮絶な介護から家族の集いへ
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3
助けて!という切実な願い 孤絶していた家族
概要
ー クリップ1 Part1 ー
認知症になった人を支え、ともに生きていくケアを実践してきた人々を紹介する「認知症ケアの来た道」。認知症になった養母の介護を経験し、家族を支える活動を続けてきた「認知症の人と家族の会」代表理事の高見国生さんにお話を聞きました。今は認知症に対する理解が少しずつ進んでいますが、高見さんの養母が認知症になった当時、認知症の人は呆け老人と言われ恥ずかしいと考えられていた時代で、認知症の人のための病院や施設もほとんどありませんでした。共働きだった高見さん夫妻は途方に暮れますが、悩んだ末、共働きを辞めずに在宅介護をしていく選択をします。(13:45)
ー クリップ2 Part2 ー
高見国生さんは8年にわたり、自宅で養母を介護しました。失禁でふとん、畳、床は濡れるのに、世話されるのを嫌がる養母を叱り、叩いたこともあったという高見さん。当時の切羽詰まった心境を「発散しないとやり切れなかった」と吐露します。そんな高見さんの救いになったのは、見守ってくれた地域の人々、温かい言葉をかけてくれた医師、そして同じように認知症の人を介護している人たちの存在でした。共通の思いを抱く家族同士が、医師の呼びかけで集まったことが、互いに支え合う家族の会へとつながっていきます。(19:33)
ー クリップ3 Part3 ー
認知症になっても生きやすい社会を作るにはどうすればいいのか――。本人の思いを大切にしたケアを実践しつつ、孤立しがちな家族同士が「病気の理解」を基本に情報を共有し、互いに支え合う必要があります。また、家族の人数が少なくなり、老老介護も増えている今、認知症を当事者だけの問題にするのではなく、医師などの専門職、行政、地域の人などが協力して社会全体の課題として受け止め、対策を考えていくことが求められているのです。(11:50)
【2012年7月3日公開】
出演者
高見 国生(たかみ くにお)さん
公益社団法人認知症の人と家族の会 代表理事(取材当時肩書)
1943年、福井県生まれ。京都市在住。認知症の母親(養母)を、共働き、育児をしながら約8年間在宅介護。介護中の1980年、「家族の会」結成に参画。以降、現在に至る。「家族どうしの励ましあい助けあいと社会的関心を高め介護の社会化をすすめる」ことを掲げた活動は、その後全国に広がり、現在は47都道府県の全てに支部をもつ。1992年ADI(国際アルツハイマー病協会)加盟、2010年内閣総理大臣より公益社団法人の許可を得た。また、認知症に関わる催事を開催している。
2017年4月27日〜29日には、国立京都国際会館で2度目の国際会議を開催。
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町永 俊雄(まちなが としお)さん
福祉ジャーナリスト
1971年NHK入局。「おはようジャーナル」キャスターとして教育、健康、福祉といった生活に関わる情報番組を担当。2004年からは「福祉ネットワーク」キャスターとして、うつ、認知症、自殺対策などの現代の福祉をテーマに、共生社会の在り方をめぐり各地でシンポジウムを開催。現在は、フリーの福祉ジャーナリストとして活動を続けている。
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