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「認知症の本人の声を聴く」 施策に声は届いているか

コラム町永 俊雄

▲ 認知症本人ワーキンググループが、「認知症の本人とともに進める認知症施策」の調査研究事業に取り組んだ。本人の声は全国の施策に届いているのか。また実際に全国の11カ所の自治体が、認知症の人ともに取り組んだ試行事例の報告もあった。

「認知症の政策の立案に認知症の当事者が参画できない状況があれば、それは異常なことだ」
そう言い切って挨拶したのは東京都健康長寿医療センター研究所の粟田主一氏である。
常に温厚な紳士の風貌の粟田氏にしては、いつになく鋭い舌鋒である。それは、当事者参画ができないのは「異常なこと」、という感覚を誰もが持てという檄でもある。

日本列島にこの冬最強、記録的な寒波が襲った時、品川で日本認知症本人ワーキンググループが「認知症の本人とともに進める認知症施策」の事業報告会を開いた。
これはまた、厚生労働省の老健事業を受託したJDWG(認知症本人ワーキンググループ)の大仕事である以上に、このグループの、社会の変革を担う存在意義を世に問うものでもあった。

その報告会の冒頭で粟田主一氏が、あの挨拶をしたのだった。
いうまでもなくそこには、「私たち抜きに私たちのことを決めないで」の理念がある。その理念をこの現実社会に機能させるのがワーキンググループの、今回の事業であり、「希望」なのである。
参画できないのは異常なことだ、その感覚に気づき認識することから報告会は始まった。のっけから密度が高い。外の冷え込みを押しのける熱量のボルテージが上がる。

が、報告には厳しい現実が盛り込まれた。たちまち凍りつく冷え込みが忍び込む。
例えば、全国調査の中の「認知症施策等の計画作りに関する本人の参画状況」の結果を見てみよう。
この設問に、「委員会への本人の参画や、本人を招いて話をしてもらったことはない」という回答はどのくらいあったのか。都道府県では61.7%、市町村だと、この割合は95.4%である。
簡単に言ってしまえば、ほとんどの市町村では、認知症の施策を作ろうとした時に、そうした会合のメンバーに認知症の本人を入れることも、その話も聴いたことがないということである。

見逃してならないのは、この設問の「認知症施策等の計画作り」という言葉である。つまり計画の段階から参画しているかということなのである。よくあるのは、施策がある程度固まってから認知症の人を委員に加えたり意見を聞くということで、それは得てして単なる手続き、通過儀礼になり、本人の声が反映されづらい。

最初のレンガを積む人、という言葉がある。最初の一つのレンガを置く。どこに置くか、どの方向にレンガを積むか、壮麗な大聖堂もそこから始まる。最初のレンガを積む。そのことが、ことを動かし何かを創り出すことであって、それは後からレンガ積みに加わる労働提供とは決定的に違う歴史を創る一歩である。
だとするなら、その最初のレンガを積むメンバーに認知症の人が参画していなければならない。積み上がったレンガを変更しようとするのは、膨大な労力と軋轢を生む。その前に、どんな姿の地域を共に建造するのか、どこに最初のレンガを置くのか、それを認知症の人抜きに決めないでほしいと言っているのだ。共に汗をかきたいと言っているのだ。
だが、そうした認知症の人の思いをよそに、本人の声を聴くことなく、地域行政は着々とレンガを積んでしまっている。なぜなのだろう。

この調査には、自由記述の項目もある。そこを覗いてみよう。
「本人に意見を聴くこと、意見を活かすことへの課題と考えること」には、意見を聴いていないのはどうしてかの自由記述として、「意見を言う本人がいない」「意見を言う本人に出会えない」「偏見が強く、本人が声を出せない」といった行政の側の声がある。
こうした声はよく聞くことがある。しかし、ここにはどこか、声を聴くことができないのは本人の側の課題であるようにも聞こえる。聴く用意はあるのだが、本人にその気がないからなあ、という本音があるのかもしれない。ここが根深い障壁である。

本人の声を聴くということは実は、聴き取る側の環境整備を求める。聴くものの意識改革を必要としている。
「意見を言う本人がいない、出会えない」と言うのは、行政なり地域なりに、本人を見えなくしている構造があるとは考えられないか。あるいは出会える環境なり働きかけの不備不足が潜んではいないだろうか。
本人の声を聴く事というのは聴く以前の、ここから始まっている。ここからすでに「聴く事」の行政活動が始まっている。あなたが動かなければ、本人は動けない。見えてこない。出会えない。あなたが動かず、本人の動くのを待つのなら、それはすでに本人の声を聴こうとしていないことだ。

言っておかなければならないのは、この事業を受託したワーキンググループは、行政の側を対象化していない。取り組みをせよ、というような要求は極めて抑制的である。どうしたら本人の声が届き、より良い施策へつながるかの協働を志向している。
だから、自由記述には、なぜ本人意見を聴かないのかに並べて、取り組みを進めている行政の声として、「一人の人がきっかけで広がっていく」「意見を聴くことで大きなことではなく、ちょっとした改善が大事」といった具体的な方法論に繋がる記述も示している。
認知症の人の思いや声をなんとか、重い現実の中の行政者と噛み合わせて一歩でも前進させようという意図は事業報告全体に滲んではいるものの、さりながら冒頭の調査結果のデータが立ちふさがる。

都道府県の61.7%、自治体では95.4%が「本人の参画も話を聴くこともしていない」と回答している。これはもう本人の声は施策に届くどころか、空中に霧散してしまっていないか。
メディアによってはこの報告を、全国の市区町村のうち当事者の意見を聴くなどして施策に反映させているのはわずか2%にとどまっているとし、課題の大きさを報じた。

だが、果たしてそうなのか。市町村の怠慢と切って捨てれば良いのだろうか。
当事者たちはそのようには見なかった。この調査研究事業を受託した認知症本人ワーキンググループの藤田和子代表理事は、このことをこう述べた。
「確かに数値的には低い。しかし、低いということは、当事者の声を聴く必要がないということではない。新しいことを始めるというのは、いつもこうしたことから進んでいく」

思えば、かつて全国の数える程の認知症の人が声をあげ、その時の合言葉は「私から始まる」だった。「私」から始まった本人の声は、今、全国の「私たち」の声となり、市町村の2%、都道府県の20%の取り組みに育っている。
同じ検討委員の永田久美子氏は、「すでに動き始めている。今後だ」とむしろ晴れやかだった。
藤田和子氏はさらに付け加えた。
「本人の声を聴くことが何をもたらすのか。認知症となるといつも困りごとを聞かれる。辛いことや大変なことを聞かれる。それだけでなく、私たちのやりたいことや希望を聴いてほしい。そうすると同じ目的で地域に向き合えるはずだ」

私は、この稿を事業報告の冊子をそばに置いて記している。
その本人の参画状況を示す円グラフは、確かに厳しい現実を示している。円の大きな部分を占めるのは、本人が施策に参画していない自治体の割合だ。しかし同時に、本人の声を聴き参画しているところも円グラフに小さな割合だが、示されている。
その2%という円グラフの割合は、鋭角のクサビのように、本人が参画していない自治体の中に突き刺さって存在を示している。それはこの社会を穿つ、小さいが大きく動き始めるクサビのようでもある。

この調査研究事業の検討委員長で、冒頭の挨拶もした粟田主一氏は述べている。
「認知症の人を支援や施策の対象とするのではなく、認知症の人と未来を共に創る社会、環境、そして文化を醸成する時代を目指すことがこの報告会の役割だ」と。
認知症の人を「未来共創」の仲間とする「文化」、この言葉を味わいたい。

「認知症の人とともに進める認知症施策・事業報告会資料」(JDWGの発表資料は17ページから)

|第95回 2019.2.19|

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