▲ 12月24日のイブの日は、ヨコハマは全館ライトアップで光に包まれる。光の洪水に身を置いて今年を振り返る。光の親和性は、闇に「灯す」という営為にあるのかもしれない。一灯の光に手をかざす様にして今年を振り返る。この一年、「認知症」は輝いたか。
令和元年の今年、「認知症」はどう動いたのだろう。
今年、認知症への関心は高まった。それは二つの側面から見て取れる。
一つは施策の動き。もう一つは私たちの暮らしの中の動きである。
まず、今年は何と言っても認知症の施策的な動きが目立った。
4月22日には認知症官民協議会の設立。経済、産業、医療、福祉など関係101団体が参集し、根本厚労大臣は、「認知症バリアフリー」を世界に広めると挨拶。政策の柱として「認知症バリアフリー」が世に押し出された。
認知症施策は、相次いで打ち出された。令和になってすぐの5月、認知症施策推進大綱案が示された。
この大綱案は、令和の認知症新時代を震わせた。
それは予防対策を強化することが柱で、70代の認知症の人の割合を、10年で約1割減らすことを目標とする数値目標を初めて打ち出した。ここでの「予防」や「数値目標」ついては、報道した各紙のほとんどが違和感や疑義を記した。
とりわけ、当事者団体や家族の会からは素早く声明が出された。現在の認知症の人の存在をないがしろにしかねないという猛反発に、数値目標は取り下げられた。
大綱を取りまとめた厚労省の担当者は、「当事者からあれほどの反発があるとは想定外だった」と率直に語ったとも報じられた。
批判と議論の中、認知症施策推進大綱は6月18日に決定。
大綱案では「予防と共生」を車の両輪としていたが、決定した大綱では、その順番を入れ替えて「共生と予防」とし、認知症バリアフリーを進めていくとした。
この一連の動向は、令和元年の認知症に小さくない波紋となって広がった。それはこれまでの、認知症の当事者発信と、それに関わる活動の広がりに、ある種の危機感を生んだのである。
果たして施策に、共生と当事者性は組み込まれていくのか。
「認知症にやさしい社会」と言い、「認知症とともに生きる」とした取り組みに関わった人々に、この大綱は冷水を浴びせるように、ひとつの深い疑念を埋め込んだ。
「共生モデル」としての認知症を、施策は本当に考えているのだろうか。
仙台のいずみの杜診療所の山崎英樹医師は、認知症大綱を「共生」と「予防」の単語で検索してみたという。すると、30ページの大綱の文中に「共生」は8回、対して「予防」は77回出てくるという。山崎医師は、この認知症大綱には、認知症の本人発信の支援など当事者の声が反映されているところもあると評価しつつ、やはり「予防の罠」が仕掛けられていないかと指摘する。
私もやってみた。すると最初の項目の「基本的考え方」のところで「共生」は2回に対し、「予防」は8回と頻出している。そうか、大綱の基本的考え方がよくわかった気がする。
この一連の施策の背後をたどると見えてくるものがある。
認知症大綱で予防を重視したその背景には、前年の2018年10月の安倍首相を議長とする経済財政諮問会議での社会保障抑制の議論があった。議事録によると、複数の民間議員が認知症の医療、介護費などが30年には21兆円になるという試算をあげて、予防する観点での社会保障費の抑制が議論されている。
そもそも、こうした施策を主導したのは厚労省ではない。
いうまでもなく今回の認知症大綱は、かつての全く新しいスキーム「国家戦略」としての新オレンジプランのアップグレードと捉えられているが、実はもう一つの大きな変化は、これまでの厚労省など関係省庁ではなく政府一体となった認知症施策推進関係閣僚会議が策定元であるということだ。安倍首相のお声がかりの成長戦略の一環で、よりスケールアップし、スピード感ある認知症施策として打ち出されている。
そしてこの動きはそのまま認知症の基本法案になだれ込む。
6月20日には自民、公明の与党有志議員の議員立法として、認知症基本法案が衆議院に提出された。結局この法案は、この10月からの臨時国会でも審議できず、年を越えることになる。
大丈夫か。基本法。
この基本法については、実は認知症活動に関わる人々での議論も限定的ながら、熱心にされてきた。そうした声は与党、公明党議員に届いて反映されたという実感も持ちながらも、しかし大綱以降の施策への小さくない失望感を埋め合わせるものではない。
そうした中、日本認知症本人ワーキンググループJDWGでは、1月に基本法案に向けた提案を出し、さらに10月にも「認知症基本法案に関する期待と要望」の声明を重ねている。
施策と当事者たちの間で期待と不安が揺れ動く。
新しい年は、否応なく、こうした施策の枠組みの中で認知症の取り組みが展開される。
あえてこの時点で言えば、今年のこうした動きの中で、多くの人がこの国の認知症施策に目を向け発言したことには、大きな意味があったと言える。
であれば、忘れてはならないのは、ここまでの施策の動きはそれ以前の流れを受け継いでいるということだ。
元をただせば2009年のイギリスの認知症国家戦略が先進各国に伝播し、2013年には日本も参加してのG8認知症サミットが開かれた。この時の標語が「global action against dementia」(直訳すれば、世界反認知症行動だ)だった。
当時の世界は、認知症リスクにおののくようにして結束していたのだった。
しかし、こうした一連のグローバル・アクションの中から、同時にもう一つの力強い潮流が生まれた。それは、認知症に「against」を謳った主宰者の思惑とは、あきらかに別の流れだった。
それは認知症当事者の登場だ。イギリス国家戦略で打ち出されたエブリバディズ・ビジネス(誰もに、そして誰もが関わること)や、アイ・ステイトメントという当事者主体のアウトカム評価に、認知症当事者やそこに関わる人々は、敏感に反応し新鮮な共感で語った。
日本でも認知症の人ワーキンググループが発足し、認知症当事者の発信が際立ち、そして、2015年1月に、この国に認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)が生まれたのだ。
グローバルアクションの「against」を、確信犯的に「with」に置き換えて、認知症の人や家族の視点を前提に「認知症にやさしい社会」への協働を市民社会へ呼びかけたのである。
実はここから、当事者性を基軸とした現在の様々で広範な認知症の取り組みが加速した。各地での当事者発信、居場所、カフェ、ラン伴、勉強会、まちづくり、すべて「認知症とともに生きる」に向かっての、認知症の人と共に創る地域活動だった。
今年の、官民協議会、認知症大綱も、この認知症との共生の流れを引き継いでいるはずである。しかし、策定主体が関係閣僚会議となって、その思惑か体質なのか、受け継がれるべき「共生」の魂がかすんでしまってはいないだろうか。
大綱案の予防重視、数値目標への反発に慌てたのは、どこかで、この地域社会ではぐくまれた認知症と共に生きるという市民感覚を見くびっていたのではないか。生活者の側の成熟度を読み違えてしまったのではないか。
今年のもう一つの大きな動きは、地域隅々での暮らしの現場で「認知症とともに生きる」取り組みが浸透してきたことだ。
市井の無名の生活者が当たり前に、肩の力をすっと抜いて「隣人としての認知症」を暮らしに組み込んできた。誰も気づかないうちに地域での取り組みの方が、施策の中になんとか押し込まれた「共生」よりも、先行してしまっていたのである。
そして、新しい年に誕生するであろう認知症基本法。
今年の経験をした人々は、この基本法にさらに期待と厳しさのまなざしを向けるであろう。
超党派の議員立法である以上、私たちの市民立法の性格も持つ。基本法には、この社会の認知症の人たちと暮らしの人々の民意をけっして読み違えて欲しくない。
新しい年に、「官」と「民」とが互いに共鳴しあって、私たちの「認知症の新時代」のさらなるムーブメントを起こすためにも。