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認知症がほほえんだある町の特別な、そしてあたりまえのいちにち

コラム町永 俊雄

▲まちだDサミットの風景。「今日はいちにち認知症」の取り組み。左下は基調講演、右下は前田隆行氏らと認知症当事者とのトーク。あえて日常のやり取りのみに徹する前田氏の進行は、認知症の人をあたりまえの姿で見ているかという聴衆へのメタメッセージだ。

2月15日に東京都町田市で「まちだDサミット2」が開催された。
認知症をテーマに東京郊外の町田市が、認知症の資源の全てを結集させて取り組んだ大掛かりなイベントである。実に多彩で特別な、そして「あたりまえ」のいちにちだった。

その日は、基調講演から始まって、町田に暮らす認知症の人のドキュメントムービーの上映、認知症の人とのトーク、昼のランチセッションでは認知症の人の紙芝居や音楽演奏。そして午後には「カフェ」、「はたらく」「買い物」「医療」と言った9つの分科会がぎっしりと続く。
その分科会の最大の特色は、これまで認知症、福祉とは無縁とされてきた地域の人が総出演、オール町田なのだった。
スヌーピータウンの南町田の駅長さんも大手のデパートやコンビニ、スターバックスのマネージャーも書店員も郵便局長さんも、だれもかれも参加して、認知症の当事者と一緒に熱心に語り合い、主催の町田市の高齢者福祉課のみんなは裏方で走り回った。

不思議な「いちにち」だった。終わって、すぐにそこからまた何かが始まるような感覚を生んだ1日だった。誰もがそんな不思議な思いに満たされて、それは、そのままSNSにあふれた。
私もこんなふうに記した。
「これはあの青春の文化祭の雰囲気だな。自分たちの手で作り上げていくワクワク感。作り上げたら、今度は会場の隅で、手を握りしめドキドキしながら見守って、終わったら、ただキャアと声あげ涙ぐんで、だれかれかまわずハグしたくなる」

私はこうした無邪気な達成感を共に楽しみたいと思う。所詮、一過性のお祭りだろ、と言ったシニズムには同意しない。それは、その人の何もしないことの言い訳に過ぎない。
そもそも祭りは、共同体の証だった。その地域の伝承が世代間で共有され引き継がれ、それが祭りの後の日常に流し込まれて地域の特性と力となった。
いいじゃないか、トーキョー最大の認知症祭り・デメンシア・サミットのいちにち。

しかし、同時に冷静に見つめれば、このサミットは、ただ市民の賑やかな自己満足のための舞台ではない。基盤に据えられているのは当事者性だ。認知症の人の視点である。これが大きい。

実はこのまちだサミットは去年11月に初開催している。その時に、認知症当事者と16の「まちだアイ・ステートメント」を作成している。
たとえば、「私は、認知症について、地域の中で事前に学ぶ機会を持っている」、あるいは、「私は、望まない形で、病院、介護施設などに入れられることはない。望む場所で、尊厳と敬意を持って安らかな死を迎えることができる」といったものが16項目並ぶ。

これは2009年のイギリス認知症国家戦略での9つのアウトカム(成果指標)のアイ・ステートメントに範をとっているが、町田の場合はこの作成を当事者との協働を積み重ね、ここをスタート地点としている。サミットに関わる誰もが、このステートメントを共有し、すべての取り組みは、常にここに立ち返る。
だから、町田でのアイ・ステートメントの「私」は認知症の人に限定されていない。それは地域の誰もの「私」を包摂している。

「私は、地域や自治体に対して、自分の経験を語ったり、地域への提言をする機会がある」
この「私」は認知症の人であってもなくてもどちらでもかまわない。アイ・ステートメントは、「認知症の人のため」だけのものではなく、地域のものなのだという宣言だ。
このアイ・ステートメントがバックボーンにあることが、町田のサミットの多彩で自由な取り組みを可能にしている。まちだDサミットは、ここから始まった。

そして実に多くの認知症当事者、その家族がやってきた。
私と共にサミットに参加した町田BLGの前田隆行さんは常に当事者と共に行動している人だが、その前田さんもびっくりしたほど会場には次から次へと認知症の人と家族が姿をあらわした。
このサミットの中心人物の一人、「NPOひまわりの会」代表の松本礼子さんによれば、全体の1割ほどが認知症の本人で、それぞれが家族、仲間、ケアワーカーと一緒だから賑やかだ。誰もが連れてこられたのではなく自分の意思で来ていたという。
その松本さんは、大勢の本人の参加に初めは感激してすごいすごいを連発していたのだが、やがてふと、そうだ、本人が参加したくてきているのに、それを「すごい」と捉えてしまうのは、やはりどこか認知症の人を特別扱いしているのではないか。自分はまだまだだと思ったと反省する。

アイ・ステートメントもそうだが、こうしたコアのメンバーが、浮き立つ気分の中で、すかさず自分を問い返すような成熟した視点こそ、町田の分厚さである。昂揚と覚醒のバランス感覚が、サミットを底支えしている。

それにしてもたくさんの認知症の当事者はなぜここを目指したのだろう。それは多分、「自分たち」のサミットだという思いを、言語化するより、自分の感覚野ふかくに感応させたに違いない。これまで自分たちは、常に二人称の「あなた」であり、あるいは三人称の「あの人たち」で語られてきた。あなたのことよ、と言われ、あの人たちのことを考えましょう、と多くの立派な人たちが語り合ってきた。
でも、ここはどうやら違うらしい。「自分たち」のイベント、祭りなのだ。だったら行かなくては、行きましょうよ、そんな思いだったのかもしれない。

2015年のオーストラリアでのADI国際会議で、認知症の当事者から「誰が認知症であるかわからなくてもかまわない」という抗議を込めた動議が出され、反響を呼んだ。
その国際会議では、多くの認知症当事者の参加があり、その人たちに起立してもらって拍手で讃えたことに対する当事者からの動議だった。
そのニュースに、その時は当事者の多数参加は賞賛されていいのではないか、と思ったりもしたが、それから5年、東京郊外の町の一角では、認知症当事者の参加は、あたりまえだとする地点にまでたどり着いた。
地域に認知症の人がいるのがあたりまえ。特別ではない。

あたりまえをあたりまえに。
そのためには、地域と社会と、そしてヒトが変わらなくてはならない。言い換えれば、認知症が社会を変えていく。

町田サミットには多くの若い人たちが参加した。大学生、高校生たち誰もがオレンジのシャツを着て、町田はオレンジパワーであふれた。
山梨から参加した女性によれば、駅頭には、「笑っちゃうくらい大勢の案内プレートを持つボランティアが並んで、絶対、認知症の人を迷子にさせまいとしていた」と報告した。

こうした若者達に指示を出し、取りまとめをしてきた市役所の担当者は、意味深い感想を寄せた。
「サミットに集う若者はぶっちゃけ物珍しさかもしれない。あるいは、良かれと思ってのお世話ばかりで認知症の人を戸惑わせているのかもしれない。でもね、みんなホント優しすぎるくらい優しい若者ばかりだ。
わたしはね、最初はそんなマイブームでもいいと思っている。そこから認知症の人たちと出会い、何かを学ぶ。そのことに期待している」

この担当者の若者への深い愛情に、私も同感だ。
あのラグビーの熱狂も、最初はにわかファンからの広がりだった。町田のデメンシア・ワンチームの誕生かもしれない。

最初から規範としての認知症の「正しい理解」を学ぶことは大切だとは思うが、世に出回る認知症の解説本は、どこか「認知症のトリセツ」みたいなマニュアルばかりだ。
認知症の人と出会うには、深くたっぷりとした感情量が求められる。解説本の答えではなく、人と出会うことは、未知の自分と出会うことでもある。
若者は未熟なのではない。伸びしろの可能性が広々としているので、まだどこへ歩み出していいのか、迷っているだけだ。
この認知症社会は、否応なく、この若者たちが担う。

「あるべき」「ねばならない」の狭い方向性と圧力の言葉でなく、語り合い、感じ取る私たちの認知症がここある。俗に言えば、「これもありだよね」というゆるやかだけれども、互いに確かめ合いながら進むまちづくりである。

もちろん、このサミットのすべてが素晴らしいなどと言うつもりはない。
たとえば、分科会での振る舞いの中には、やはり支援する側の意識が出たところも見えたりした。でもそこに当事者がいることで、その存在によって、聴く側に、これはどこか違うのではないか、とわからせてしまうことになる。そこに当事者がいることで気付かせる。
これこそ、「あたりまえ」を「あたりまえ」にする強力な転換点だ。

2回目のまちだDサミット。多くの課題も浮き上がらせた。
課題もまた可能性だ。課題もまた前進のための確かなステップだ。
この社会の課題をあげつらって萎縮、後退させるのでなく、誰もが、こうあったらいいねという地域社会の未来を見据えて前に進むために、3月に町田で報告会が開かれる。

|第131回 2020.2.21|