▲イギリスの認知症の人と家族を支援するチャリティ団体、「ディメンシアUK」が出した「認知症のある人に新型コロナワクチン接種を行うためのお役立ちガイド」 接種に関わる医療、介護職に向けてのガイド。接種を前提とし、全ての説明が本人主体への視点となっているのが大きな特徴。下段にも別紙を掲載。(訳・馬籠久美子氏)
新型コロナウイルスの事態は新たな局面を迎えようとしていて、それがかつてない国家規模の一大事業であるワクチンの接種だ。
ワクチンをめぐっては様々な情報が入り乱れている。治験の過程をかなり大急ぎでこなしたことの不安材料や副反応についての慎重論があれば、接種スケジュールの立ち遅れを論じてせっつく向きもある。
接種を受ける側としてはどう考えればいいのか、その正確な情報なり指針がよく分からない。多様な視点があることが大切であるとはいえ、コトは高齢者も含めた全ての人だ。そうした人々にどのように情報を伝えればいいのだろう。
海外の認知症動向や海外の認知症当事者の著作の翻訳や紹介をしている通訳翻訳家の馬籠久美子さんから、イギリスのNPO、ディメンシアUKが出した「認知症の人のワクチン接種のためのお役立ちガイド」を教えていただいた。
イギリスは感染者数の急増もあり、世界でもいち早く、去年の12月8日にワクチン接種を始めた。このガイドも去年12月にすでに出されている。
極めて明確で具体的な情報でしかもわかりやすい。これはワクチン接種に関わる医療・介護職向けとのことだが、これはこれからワクチン接種が始まる私たちにとっても、お役立ちガイドなのである。
例えば、最初のページの(コラム上段掲載)左側には、ワクチンの頭文字の一文字ごとに端的なポイントを提示している。これはあれだな、業務の要諦は「ほうれんそう」で、それは、報告、連絡、相談、といった類の工夫である。微笑ましい工夫と言えなくもないが、これを作成する側に立てば、なんとか伝えたいとする切実な思いの結晶であろう。
たかだか2枚のガイドだが、この分量にまとめることがとても大切なのだ。今必要なことは何か、そのエッセンスと優先すべきことが厳選されている。その情報の選別の過程も含めてが、「伝える」ということだ。
例えば今私がこのコロナワクチンについて正確に知ろうと思ったら、毎日のメディアの報道をチェックし、厚労省のHPの「接種のお知らせ」を確認し、日本感染学会ワクチン委員会の提言を読み込み、なお連日更新される専門医の見解をフォローしなければならない。
ではそれをしたことで確信を深めるかと言えば、かえって情報の多さに溺れてしまう。それぞれが微妙に違うことを言っているようにも受け止められる。
このガイドで何より印象的なのは、ワクチン接種は強制はしないが、ズバリ、「強く推奨する」と言い切っていることだ。
原文でもここはhighly recommended と太字で強調されている。もちろんこのガイドでも副反応が起こることの可能性についての説明も記されてはいるのだが、日本のように両論併記といったバランスではない。
日本での様々な情報を客観的に提示し選択の判断は本人に委ねるのと、イギリスのディメンシアUKのように「強く推奨する」と、ハッキリと方針を打ち出すのと、どちらがいいのかは一概には言えない。
ただ、このガイドが接種に対して強い推奨を勧めるのは、ひとつは、ディメンシアUKが、認知症当事者や家族を支援する団体という性格にある。
ここには、認知症の人たちは、感染すれば重篤化するリスクが高いということを踏まえての独自のスタンスがあり、また当然そこには裏付けとしての医療エビデンスと、本人や家族との合意形成があるから打ち出された「強い推奨」なのだろう。
あくまで慎重でありたいとする論点も大切にしたいが、責任を持ってこうしたハッキリした見解を打ち出す当事者性のある団体があってもいいのかもしれない。判断のための選択肢としても有効だ。
もうひとつ注目したいのは、2枚目の(コラム下段掲載)、認知症の人と家族に特化した情報性である。
どんなことが記されているのか。
例えば、その人に合った時間と場所で、騒音などで気が散らないように、とか、ワクチン接種にあたっては、何をするのか、なぜそれが大切なのかわかりやすく説明する、とか、しっかりとその人の話を聞き、質問してもらう時間をとる、といった本人主体のためのヒントが続く。
これはディメンシアUKが出しているので、認知症の人のためのガイドとなっているが、これはそのまま高齢者誰ものワクチン接種の時のガイドにもなるもので、ノーマライゼーションのためのガイドとも言えるだろう。
わかりやすく、本人が納得し理解してワクチン接種の意思決定ができるように、きめ細かいヒントが並んでいる。あえて言えば、接種を前提にしているが、やはりリスクコミュニケーションについての項目があってもいいような気がする。
しかし、こういうガイドこそ、超高齢社会で認知症社会の日本に必要ではないか。
以前、私たちの話し合いの中で、丹野智文氏がワクチン接種に関して「認知症の人でも接種するかどうかは、誰かに決められるのではなく、自分で判断したい」と語っていた。仮に副反応などのリスクがあるとしても、自分で判断したのであれば受け止めが違うと言う。
わかりやすく伝える、ということは子供扱いすることとは全く違う。その人の判断と選択を尊重するというメッセージである。
「情報保障」という言葉がある。例えば聴覚障害者への手話通訳などがそれで、私も福祉関係の番組の際には、フリップを提示するときには視覚障害者がいることを想定し、「これをご覧ください」ではなく、その内容をまず全部読み上げ、そのフリップも背景と文字が同色系だと色覚特性の人には識別しにくい場合があり、一旦モノクロ変換して確認したりした。
わかりやすさは、そうした情報保障も含み、特にこうした誰にも関わることには最重要だ。
2006年に国連で障害者権利条約が採決され、それを受けて国内でも障害者制度改革推進会議が設けられたとき、メンバーの半数を障害者が占めたその語り合いは徹底的にわかりやすさを重要視した。
例えば、制度改革の基本的な方向については、内閣府の議事録に次のように記されている。
「権利の主体」である社会の一員
すべての障害者を、福祉・医療等を中心とした「施策の客体」に留めることなく、「権利の主体」である社会の一員としてその責任を分担し、必要な支援を受けながら、自らの決定・選択に基づき、 社会のあらゆる分野の活動に参加・参画する主体としてとらえる。
これが、障害者委員などへの「わかりやすい版」ではこうなる。
「権利の主体」である社会の一員
障害のある私たちに関係することを決めるときは、必ず私たちの意見を聞いて決めることが一番大切です。そのためには情報が伝わなければ何も決めることはできません。今までのように、本人抜きに決められた制度によって、あきらめたり、がまんするのではなく、私たちは、自分に関することのすべてを自分で選んで、決める権利があります。(漢字には全てルビつき)
わかりやすく伝えるということはこういうことだ。知る権利と決める権利を保障することなのだ。「わかりやすい版」は、単に逐語的な言い換えではなく、「私」という本人を主語に置き、そこに権利の主体を思いを込めて綴っている。ここには本人の声が高々と立ち上がっている。
ワクチン情報を伝えるということは、医療情報やエビデンスもさることながら、ワクチン接種を受ける側の選択と判断と、そして権利を保障するという社会の責務なのだ。
イギリスのディメンシアUKのガイドにはそうした声が聞こえるような気がする。
「私たちは、このワクチン接種について今わかっていることをできる限りお伝えします。
私たちはあなたが感染するリスクと、今後のあなたのより良い暮らしを考えると、なるべく接種することをお勧めしますが、それでもそれを決めるのはあなたの判断であり、あなたの権利です。
ゆっくりと考えて、何かわからないこと、知りたいことがあればなんでも言ってください」
私が欲しいのはこうしたワクチン情報と社会なのである。
(ディメンシアUKのガイドの体裁はウェブ掲載のため再デザインしたもの。内容については原文そのままとした)
参考サイト:Dementia UK
|第167回 2021.2.16|