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ワクチンが行き渡った後の、この社会の風景

コラム町永 俊雄

▲BBCニュースが伝える「より安全にハグする5つの方法」 ここにはハグという習慣を超えて、ハグすることでこの社会を今一度つなぎ直そうとする人々の意思表明であるかのようだ。

沖縄にも緊急事態宣言が出され、連日重症者数が過去最高になり、変異株の流行もあればこの先はまだまだ見通せない。
この事態に日々を暮らす側にとってみれば、ただ施策の迷走に振り回され、右往左往するしかなく、その腹立たしさをどこに向ければいいのかわからない。

そうした最中でも立ち止まるわけにはいかない人々がいる。介護の現場で「介護崩壊」を防ぐために取り組む人々だ。このコラムでも以前に取り上げているが、そうした介護、医療、行政の人々が情報交換するオンラインでの議論の場が、この列島の一画でひっそりと、しかし切実な熱量を孕んで開かれている。そのことを知る人はそれほど多くはない。

毎週持たれるこの会合は、このところ一段と緊迫の度合いを高めている。
各施設でのクラスターの発生状況、高齢者だけでなく介護職員の感染の状況分析、リスクが高い入浴介助、口腔ケアをどうするのか、密閉空間ではエアロゾル感染が主要な感染経路ではないかという現場実感は、いち早く報告に上がっていた。
現場の声や取り組みは直ちに報告され、同時に全国各地の高齢者施設の感染対策の取り組みは写真入りのリポートや、医療者の変異株情報も遅滞無く取り込まれて周知される。それだけでなく、毎週提示される膨大な資料の中には、例えば、感染で亡くなった人の葬儀や火葬に関しての厚労省のガイドラインまでが示されている。

このオンラインの会議の場は現場を持つ人が行き交い、声を掛け合い、情報を共有する最前線なのである。クラスターであったり、あるいはウイルスがエアロゾル化し空間全体に浮遊するような中で、医療者も介護者も当事者も生き抜く日々を過ごしている。

ここには時に押し殺したような怒りの声もあれば、理不尽な現実へのグチを語り合える場にもなる。戦場の土埃を身体中から振り落としながら、前線基地に帰還した戦士のひとときのようでもある。
このコロナウイルスの事態の第一波に世間が震撼とした直後に、「介護崩壊を防ぐ」というこの場ができた。その時すでにこれで収まるわけがないと見通して、人々が集まったのである。それが去年の6月。
その時、呼びかけた医療福祉グループの代表はこう語った。
「この事態に、施設の高齢者は逃げることができない。逃げることができない人から、私たちが逃げるわけにはいかない」

そして、ここでの話し合いの中から生まれた新たな社会システムもある。
それが、感染者を出した施設への法人の枠を越えた応援体制の構築である。

とりわけ、介護施設、福祉団体との連携だけでなく、県との協働体制を構築したことで応援の体制が機敏に動いた。感染者を出した施設に応援を出す際の防護具の補給やホテルの手配などには、ただちに県が動いた。また応援の職員を出した法人は、自分の施設が手薄になる。そこにまた他の施設からの玉突き派遣と言う形で支援職員が入る。これには各団体を跨いでの派遣体制を敷くことで可能になった。

この下地になったのは、県行政とともに介護関係者、各団体、認知症当事者(当事者がいることの役割は大きい)、家族、医療者たちが相互に連携と議論ができるプラットフォームとしてのワーキンググループの存在があった。
おそらくワーキンググループでは、複雑な各団体や行政との調整や駆け引きがあったに違いない。しかし話し合いを重ねて出来たこの応援体制は、いわばコロナ禍での、ギリギリの現実に打ち立てた共生システムと言っていいだろう。

ここにあるのは、この現実から決して「逃げない」とし、地域を維持させようとする介護の力の表明だ。こうした新たな社会システムの創出はもっと社会の側に知られるべきだと、私は思う。

先日のオンラインの場に、不意に新しい風が吹いた。いつになく厳しい現実と取り組みの報告が続いた後で、何かの拍子に「ワクチンが行き渡った後の、この社会の風景」の語り合いに転じた。

それは、これから本格化するワクチン接種の予約をめぐって、このまま早い者勝ちレースで、他者をふるい落として我先にと殺到する社会は、自分たちの必死の現場での想いと整合しない。そんな思いが誰にもあったに違いない。

コロナ禍収束の切り札としてはワクチン接種しかないとしながら、それが早い者勝ちで、他者に先駆けなければ予約できないとさせてしまった施策の罪は重い。
しっかりとしたワクチンの供給体制を計画し配分の公平を図り、多少の時間差はあるにせよ、誰もが接種できると言う情報をきちんと出していれば、こうはならなかったはずだ。
どう考えても、自分の命や暮らしを賭けて人々を競わせ争わせるシステムを公共に設置するアホがいるか。

ワクチンが行き渡った後のこの社会はどんなだろう。表面的には街ににぎやかに人があふれ店々も開かれ活気に満ち、さあ、経済回復!の文字が踊るだろう。
しかし、一方でその深層には、コロナ禍の後遺症のようにして、人心が分断され荒涼の心象風景が広がるのかもしれない。私たちは、地域の今一度の紡ぎ直しが必要になる。
ワクチン以降には、私たちの傷ついた社会と心を癒し修復しなければ、私たちは、私たちの地域社会を取り戻せない。

会議の中で、ある参加者がイギリスの感染対策の緩和で、ハグ解禁がニュースになっていると報告した。
これがユニーク。BBCでは、大真面目に(と言うのはあくまでも私の感覚で、もちろんBBCは大真面目なのである)、ハグにはベネフィット(利点)があるが、より安全にハグする方法としては5つのポイントがあり、それは、
(Be selective)誰彼ではなく(Make it quick)すばやく(Avoid face-to-face contact)顔同士を合わせず(Do it outside)戸外で(Get tested)ウイルス検査も、この5項目だ。

解説では、ハグには科学的根拠があり、ハグすることで幸福感、信頼感を得ることができ、心拍数、血圧を下げ、ストレスを下げるとある。なぜなら、触覚は子宮内で発達する私たちの最初の感覚だからで(へええ)、霊長類から進化した私たちにはすでに毛皮はないが、ハグすることでかつての互いの毛繕いの記憶が蘇り、脳内の心地よい化学物質であるエンドルフィンを誘発するのだそうだ。

しかし、改めてこのハグ解禁を伝えるニュースの背景を探れば、このコロナ禍での社会の分断を修復しようと言う英国全体の合意があるような気がする。
人とのつながりの感覚、互いの信頼、親密といったものを取り戻すために、あなたとハグしよう。そう呼びかけるニュースは、同時に「私たちの社会はどうあったらいいのか」と言う共有財の感覚につながっている。ハグするように、私たちの社会を抱きしめ、そしてともに歩みだそう、と。

ワクチンが行き渡った後の、この社会の風景。
私たちはどう描くことができるのだろう。
介護崩壊の前線の人々は、そのことを見据えながら、今日も防護服と医療マスク、手袋に身を固めて現実に踏み入っている。

参考:介護崩壊を防ぐ! その時「現場」では何が起きていたか
   BBC NEWS Covid-19: Five ways to make hugging safer

▲ハグの安全な方法のイラスト。新型コロナウイルスに関する情報は、このようなことにまで懇切であると同時に、人々の思いにきちんと向き合っている印象がある。

|第177回 2021.5.26|

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